夢民―ゆめたみ―

現実逃避といわれようと、
日々の生活の中に
心地よきことや楽しきことを探し
記録してみるカナ。

学友とランチ

2011-11-20 21:57:28 | 避難民日記
死んだほうが良かったのでは?

子供や夫は残せないから・・・一家みんなで?

そんなのは死んでしまった人に失礼すぎる

でも、気づくと生きていくのが辛すぎて苦痛でそう考えている。


でも生きてしまっている自分から逃げ切れず・・・


眠れない

食べれない


そんな毎日から早く脱出するには

自分に考える余地を与えないこと。



そう決意して職業訓練を受講。



人と話すことすら苦痛

だって、自分の状況を把握できずどうしていたらよいかわからないから。


でも、どこに行っても職に就ける自分を作ろう。

そして強くなって自分の生活は自分で切り開こうと授業に集中。


あれから3か月。


半年間の職業訓練のうち半分を過ぎ

同じ勉強、同じ試験をとりくむクラスメイト。

いろんな年代、職歴、境遇で職をつかむためにスキルアップしている仲間達。


今日も一つの試験に挑み

同じ試験会場だった数名と流れでお茶&ランチ。


喫茶店に入るなんていつぶりか?

何もいらないと思っていたのに、まわりのテンションに影響され

一緒に雑貨をあさる・・・

飲み物とケーキで試験の緊張から解き放たれたら

「どこでランチする?」と洋食屋さんへ移動でランチ。


知らない土地に住んで8か月。

アパート周りで買い物済ませているだけで

同じ市内でも地名も道路名も何もわからず着いていくだけ。


でも、ランチ。

たわいもない話題でもりあがって長居して

新しい時空を垣間見れた様で有意義な感じ。


相変わらず、避難民だけど

相変わらず、何の支援も援助もないけど

上を見ても下を見てもきりがないなら

下を見て、自分はまだまだ幸せと思い

何にも頼らず、何もあてにせず、

ゆっくり自分の生活を作り上げ

自分らしく生きていくしかないんだろう。


ここでも住んでいけそうな気がしてきた!けど

同居始めて半年の姑は

知らない土地だからと部屋から出ずに過ごし

新しい環境を受け入れる気が無い。


毎日外に出て少しずつ環境を身に着けていく私。

でも、家に帰ると半年前から変わらぬ姑がいて、夢から覚めた気になる。


職業訓練が終わったら

姑にとって一番いい環境を探して引っ越しかな・・・


故郷には帰れる目途無く

新しい環境に順応する気がないなら不健康を極めるだけ。

家族が一人でも不健康なら

みんな元気になれないものね・・・。

とうとう私も被災者になった。

2011-06-22 22:59:49 | 避難民日記
短大生活がもうすぐ終わる頃
「卒業旅行でもしようか」と友人M。

お金がないのでヒヤヒヤ
語学力もないのでドキドキ
でも、『卒業旅行』って響きが憧れるね!
卒業っていうのは最後だし。
思い切って言ってみる。

「良いね~!どこへ?」

その時、彼女の口から出た所は神戸。

そしてその数日後の朝。
テレビはどこを見ても火事があちこちでおきている瓦礫の山を延々と映していた。

何の映像だかわからないまま、朝食をとり学校へ。

そして、その時に友人Mが真っ先に言った!

「おたふく!神戸もう無いよ!!行けないじゃん卒業旅行。」

あれは、神戸だったのか・・・
何があったの???
見渡す限りの焼野原みたいだったよ?
「地震だよ地震!」
???私の寝起きの頭では何も理解できず。
帰宅後のニュースを見て、たくさんの情報が集まり
そうしてやっと事の次第がわかってきた。

でも、何もすることが出来ず。



そして私達の卒業旅行は無いまま時は過ぎ
私の結婚式で再会した友人Mは
私の披露宴で同じテーブルに座っていたNに嫁ぎ静岡へ。

私は同郷の夫と結婚
と同時に夫の転勤先の新潟県柏崎市へ。

柏崎市に転居して2か月。
夫以外と話す機会が無く
ある日気づくと言葉が出なくなっていた。

積極的に外出
積極的に会話
そして柏崎でたくさんの人と知り合い支えられ
夫が長男でなければ柏崎に住み続けたい!とまで思う位に離れがたく
転勤の期間を終え福島に戻って・・・
小千谷での地震。

小千谷は週に一度ドライブに行っていた大好きな場所!
夫の同僚も居た。

その時も、何も出来ず。
顔も名前もその家族まで知るたくさんの人を助けたい
でも、何をどうしたら良いのか???
私と夫で何が出来るのか???

結局、募金と支援イベントに積極的に関わる事しか出来ず。



そして、とうとう私の身にも地震がおきた。

新潟の人たちの教訓と
TVで学者が言っていた「宮城県沖のプレートが20年以内に大地震をおこす。」
この2つが私を脅かしていた。

対策といえば
寝室と玄関と車に懐中電灯。
水の買い置き。
家具の固定。
カセットコンロとやかんと水タンクをセットで保管。
その程度だけど・・・

でも、地震がおきて
家の中も
家の外の道路も
商店街の街並みも
線路も橋も信号も
すべてがグチャグチャで
間違いなく避難所暮らしになるとは思った。

体育館暮らしで寒いだろうと
毛布、羽毛かけ布団、寝袋マット、上着という上着(ダウン・綿入れなど)
カイロ、着替え(干していたもの・これから干すもの・これから洗うものも)
貴重品(印鑑通帳などは常に身に着けていたので主に貴金属)
根菜や果物(食糧支援が遅れた場合自炊の為)
カセットコンロ2個とやかん2個
その時になって、水をタンクに入れようとして水道が止まっているのを知る。
気づけば電気は点いていて、もったいないから消す。

そうやって、ワゴン車につけたけど
次は余震で取れなくなったら困る正装用の衣類。
衣装ケースごと倒れてるし・・・
入園式用に買った子供の物(制服やバック用布地いろいろ)
同じく自分の靴
夫のスーツやオーダーの礼服
それらを積むか迷い・・・
ぐちゃぐちゃにならないように
明日の朝、夫と片づけながら取りに来ようと判断し
戸締りをして出る。
でも、手が届いたのでYシャツ2枚とネクタイ一本と靴は積む!

でも、余震で出入り出来ないような状況になったらと
片づけの時のために、工具箱を取ってきて
盗まれないように勝手口の入ってすぐに置き家を離れた。

あ、食材持っても鍋や包丁が無い・・・
一晩くらい食べなくても良いから
明日の朝でいいか!


そして・・・

私が考えていた明日の朝。

余震と闘いながら避難所から家に通い
夫と家を片づける日々。

それは来なかった。


大地震の翌朝7時。

原発が危ないのでマイカーのある人はマイカーで川俣町へ向かってください
と、防災無線が繰り返し言い
同じ小学校へ避難していたたくさんの車が動き出し
せかされて私たち家族もそのまま大渋滞の一部になったから。

あれから3カ月以上たった。

何もかわらない。

原発からの避難者は帰る所を無くし
復興という言葉に取り残され
行くあても決めかねて
ただただ不安と、その不安からの逃避とを繰り返し
何も考えないようにして過ごす。





創作活動開始!・・・?

2010-09-16 09:18:20 | 
妊娠して活動範囲が狭まった2007年。
『今しかない
と決意して、プリザーブドフラワーの講師取得を決意
講座を受講&特訓で、なんとか合格

でも、自由に動けると思っていた出産後・・・
昔の人はうまいこと言ったもんだ
『産んでからは身が二つ』
自分の自由は
もう一つの小さい身がうまくついてこなくては成り立たぬ

そして、二人の世界に一生懸命で
社会から離れて、狭い世界の毎日が繰り返され
それが当り前で苦痛でなくなり・・・

そうなると
『小さいほうの身』さんが
日々成長という驚き・感動・喜びを与えてくれて
毎日幸せを実感しながら生活できてきました


で、ボチボチと趣味復活

地域の女性作家さん達が集まり
廃校の中で共同作品展があるとのことで
何か作ってまざっちゃおうと思っています

アイデアに近づける技術があるかどうか・・・
材料にこだわれる財源が乏しいが・・・
この機会にやるだけやってみようと思います

形になったら写真のせますね~
(形になったらね


遅めの母の日

2009-05-28 07:48:36 | おでかけ日記。
昨日は姑と二人でおでかけ!行先は・・・???
『綾小路きみまろ爆笑スーパーライブ』

常々、
「きみまろが言うべした
(きみまろが言うでしょうよ)
と前置きして
「あれから40年
と楽しげに言う姑

数年前の母の日にきみまろのCDをプレゼントしたら
「どこにも売って無いってTVで言ってたのに
と大変喜び、私が帰るなり車に直行で聞いてくれた姑
(人気商品は見つけた時が吉日で早めに買ってた

今年はやはり入手困難なプラチナチケットとなっている
きみまろライブチケットを2枚購入していたのだった
(しかも1月から予約の予約までしてね

並んで座って2時間ちょっと
横から笑い声が聞こえるので
安心して私も笑ってました

「今日はありがとう」
って言ってもらって
ちょっと親孝行出来たような気になってしまうけど
本当に喜んでもらえたならいいな~

目撃者・・・ですか?ワタシ。

2009-05-25 22:37:00 | 商店街ヨモヤマ話。
写真は去年の8月。南相馬市の朝日座にて・・・

生後8ヶ月の息子は
父である夫に抱かれて、人生初のお笑いライブを観賞中…

観てる
観てない


お笑いライブと聞いて飛び込んだ私達親子3人は
そこで『みちのくボンガーズ』を知りました

福島生まれの福島育ちな私達夫婦は
なんでか福島からお笑いを発信して頑張っている
(県内出身者は1人だったかな?)
みちのくボンガーズに感激


姑は常々、夕時にTVで見かけるメンバーのキャラ『オカン』を観て
「オカンっていう人は何なんだ
「何をしてる人で、何でテレビに出てるんだ
「一辺近くで見てみたい
と言っていたので、連れて行けなかったのが残念


でも、全く初ボンガーズな夫いわく
「さいとうほーし(才当ホーシ)っていう人が一番面白かった
と、何度も思い出し笑い・・・



そんな才当さん、やはり夕時にTVで
英会話のカナダ人講師と
県内を巡るコーナーを持ってます

『いぐ散歩』

そして今日、
(前置き長かったけど、こっから本題ね
職場から外を何気に見たら、何か撮影をしてるではないですか

しかも、よく見たら才当さん

もしかして『いぐ散歩』

自転車小学校2人が
カナダ人先生と才当さんに挟まれ
カメラとマイクを向けられ・・・

固まってませんか
しっかり答えてたかな

6月3日の放送が楽しみです



一応駅前だけに
自転車アナウンサーやら
なすびさんやら
太宰治賞受賞の小説家先生やら
才当さんやら
こんな田舎でも色んな人が訪れてくれて嬉しいですね~
(あ、才当さんだけは見えただけでした
                     しかも後ろ姿