Since 24/07/2007
29日の日曜日、住んでいる地域の市道とクルマで15分ほど離れているりんご園周辺の市道の草刈りが重なってしまって、りんご園のほうに参加しました。というのも前回、戸隠講による戸隠神社参拝(一泊)のために欠席したから、2回も続けて欠席、という訳にはいかないので。
開始は朝6時から。朝早いなぁ、と思う方もおられましょうが、これは普通なんです。というよりこの時間のほうが何かにつけて都合も具合もいい。宵っぱりだったこの私が、朝早いのがいっこう苦にならなくなった。むしろ夜遅いのがしんどい。9時頃になると頭が働かなくなり、布団が恋しくなる。田舎に住んでこんな風になりました。昔から夜明けが大好きな自分にとってはうれしい変化です。この変化は、刺激の種類の変化によるものじゃないか、都会には夜更かしさせる刺激が、農村には早起きさせる刺激があるんじゃないか、と自己分析しています。
当日の起床は5時前。ヤギのナナちゃんにえさを与え、草刈機の予備用燃料なんぞを調合した後、早めに現地に着くように5時30分に家を出たにもかかわらず、すでに草刈機のうなり音があちこちで聞こえてくる。「6時からなのに。時間、守って欲しいよなぁ。」と思いながら、すぐ仲間に加わる。
この市道の草刈りには、わずかですが市からお金の出る地域と出ない地域があります。我が居住地域では交付金は受けていません。これについては機会があれば別途として、いま直面しつつあるのは草刈る人々の急激な減少です。
市からの交付金の有無にかかわらず、自分たちの利用している道は自分たちでということで、ムラの行事の一つとなっており、春の道普請(みちぶしん)を加えて年3回(雪かきは別)あるのですが、高齢化と人口の減少により参加人数がへり、したがって参加者の負担が重くなってきている。そのためか、近頃は草刈り当日の数日前から、あちこちで刈り始めている所も目に付く。こうしないと当日1日では負担が大きい、時間がかかり過ぎるということです。
一般的に『中山間地』が荒れてくるには一つのパターンがあって、まず棚田の耕作放棄。田んぼが耕作放棄されると当然網の目のように張り巡らされている水路の手入れが行き届かなくなり、所により水が滲みでてきて、路肩などを削って行く。冬なんぞ、カチンカチンに凍ります。次に畑の放置。(なぜ田んぼが先か、ということはまた別の機会に)そしてそれらに通じる道の両側に雑草がはびこり、やがてクズ・カナムグラなどのつる性雑草が覆いかぶさって道が消えていく。我が家の前の県道に続く反対側への道がこのカタチ。かつてはこの近辺でも有数の山菜のとれるところであったらしいけれど、人の入らない土地には山菜も消えて行く。
田畑を耕し続けること、草刈り、用水路の手入れという農作業の一連の生業(なりわい)が国土保全や水源涵養に結びついているのはご承知のとおりです。
兼業農家でもないサラリーマンであってもこの地域に住んでいる人々は、こうしたムラの行事の一つとなっている草刈りに参加してくれている。しぶしぶ参加する人もまれにはいるが、やはり「自分たちでやらねば」という気がある。ちなみに消極的になる原因は、少ない休みをこのために取られることがいや、というのが大きい原因です。
ところで、いま政府や農水省が進めようとしている競争力や効率化を重視した『第二の農地改革』といわれる小規模農家からの農地の提供(集約)による大規模農家の育成・補助と小規模農家の切り捨て、株式会社による農業分野への進出解禁は、農産物という『商品』の面からの視点だけで政策を行っているような気がします。この政策を実行すれば、「コメの値段はこれだけ安くなる」「輸入農産物の値段に対抗できる」「輸出競争力がつく」などと言っています。
でもちょっと待って。
株式会社や大規模農家の経営する農地周辺の草刈りや水路の手入れ等々、今のやり方はできなくなるだろうなぁ。たとえ誰かがやったとして、この人件費や燃料代などは生産コストに入っているのかしら。あるいはあらたに暗渠水路を作るとしたら、それはきっと基盤整備費や補助というカタチの税金の投入で、税金の投入である限りコストには算入されないと思うけれど…。
加えて国土保全のための費用も算入されているのでしょうか。
「コメが高い」「野菜が高い」という声を都市部で聞きます。たしかに農村部に比べるとホントに高い。一方、こちらでは別に豊作でなくとも捨てることがある。ウチでさえ、台所や畑ではピーマン、キュウリ、ナス、インゲン、ダイコン、ゴーヤなどが萎びて転がっている。見慣れた風景だけどこれだってホントは農民の胸が痛い。安くてもいいから食べて欲しい。
消費者にできるだけ安く届ける。
このために生産コストを下げることも大切だけれど、農水省がこうした新施策を実施する前に、規格外(曲がったキュウリ、大きさの揃わないトマトなどゴマンとある)のものの取り扱いや、経済産業省とは今の流通のありかたを、国土交通省や環境省とは国土保全や環境保護も視野に入れた総合的な施策が立案できるような気もしますが。
(とにかく輸送費が高い。私はリンゴを買ってもらっているけれど、ダンボール箱などの梱包資材を含めると、何を買ってもらっているのかわからなくなる。ネコや鳥、製紙業界を食べさせるためのようなものです。)
正確には覚えていませんが、映画『おもひでぽろぽろ』の中で柳葉敏郎似の若者が
「この美しい農村の風景は、みんな百姓が作り上げたんです。この田や畑はもちろん、林も川も、そうみーんな全部。」
『農業は農業である』。随分前に読んだ本の題名だけど、近頃この意味の深さが染み入ります。
農業は農業であって、鉄鋼産業、サービス産業、外食産業などいわゆる産業とは別物、ということでしょう。
都会に住んでいるときから田園風景は好きでしたが、ここに住み着いて時々刻々、その美しさを見れば見るほど「美しい農村風景」(これこそ「美しい日本」。ねえ安倍さん!)を残しておきたいなぁ、と思いながら草を刈る数時間でした。
29日の日曜日、住んでいる地域の市道とクルマで15分ほど離れているりんご園周辺の市道の草刈りが重なってしまって、りんご園のほうに参加しました。というのも前回、戸隠講による戸隠神社参拝(一泊)のために欠席したから、2回も続けて欠席、という訳にはいかないので。
開始は朝6時から。朝早いなぁ、と思う方もおられましょうが、これは普通なんです。というよりこの時間のほうが何かにつけて都合も具合もいい。宵っぱりだったこの私が、朝早いのがいっこう苦にならなくなった。むしろ夜遅いのがしんどい。9時頃になると頭が働かなくなり、布団が恋しくなる。田舎に住んでこんな風になりました。昔から夜明けが大好きな自分にとってはうれしい変化です。この変化は、刺激の種類の変化によるものじゃないか、都会には夜更かしさせる刺激が、農村には早起きさせる刺激があるんじゃないか、と自己分析しています。
当日の起床は5時前。ヤギのナナちゃんにえさを与え、草刈機の予備用燃料なんぞを調合した後、早めに現地に着くように5時30分に家を出たにもかかわらず、すでに草刈機のうなり音があちこちで聞こえてくる。「6時からなのに。時間、守って欲しいよなぁ。」と思いながら、すぐ仲間に加わる。
この市道の草刈りには、わずかですが市からお金の出る地域と出ない地域があります。我が居住地域では交付金は受けていません。これについては機会があれば別途として、いま直面しつつあるのは草刈る人々の急激な減少です。
市からの交付金の有無にかかわらず、自分たちの利用している道は自分たちでということで、ムラの行事の一つとなっており、春の道普請(みちぶしん)を加えて年3回(雪かきは別)あるのですが、高齢化と人口の減少により参加人数がへり、したがって参加者の負担が重くなってきている。そのためか、近頃は草刈り当日の数日前から、あちこちで刈り始めている所も目に付く。こうしないと当日1日では負担が大きい、時間がかかり過ぎるということです。
一般的に『中山間地』が荒れてくるには一つのパターンがあって、まず棚田の耕作放棄。田んぼが耕作放棄されると当然網の目のように張り巡らされている水路の手入れが行き届かなくなり、所により水が滲みでてきて、路肩などを削って行く。冬なんぞ、カチンカチンに凍ります。次に畑の放置。(なぜ田んぼが先か、ということはまた別の機会に)そしてそれらに通じる道の両側に雑草がはびこり、やがてクズ・カナムグラなどのつる性雑草が覆いかぶさって道が消えていく。我が家の前の県道に続く反対側への道がこのカタチ。かつてはこの近辺でも有数の山菜のとれるところであったらしいけれど、人の入らない土地には山菜も消えて行く。
田畑を耕し続けること、草刈り、用水路の手入れという農作業の一連の生業(なりわい)が国土保全や水源涵養に結びついているのはご承知のとおりです。
兼業農家でもないサラリーマンであってもこの地域に住んでいる人々は、こうしたムラの行事の一つとなっている草刈りに参加してくれている。しぶしぶ参加する人もまれにはいるが、やはり「自分たちでやらねば」という気がある。ちなみに消極的になる原因は、少ない休みをこのために取られることがいや、というのが大きい原因です。
ところで、いま政府や農水省が進めようとしている競争力や効率化を重視した『第二の農地改革』といわれる小規模農家からの農地の提供(集約)による大規模農家の育成・補助と小規模農家の切り捨て、株式会社による農業分野への進出解禁は、農産物という『商品』の面からの視点だけで政策を行っているような気がします。この政策を実行すれば、「コメの値段はこれだけ安くなる」「輸入農産物の値段に対抗できる」「輸出競争力がつく」などと言っています。
でもちょっと待って。
株式会社や大規模農家の経営する農地周辺の草刈りや水路の手入れ等々、今のやり方はできなくなるだろうなぁ。たとえ誰かがやったとして、この人件費や燃料代などは生産コストに入っているのかしら。あるいはあらたに暗渠水路を作るとしたら、それはきっと基盤整備費や補助というカタチの税金の投入で、税金の投入である限りコストには算入されないと思うけれど…。
加えて国土保全のための費用も算入されているのでしょうか。
「コメが高い」「野菜が高い」という声を都市部で聞きます。たしかに農村部に比べるとホントに高い。一方、こちらでは別に豊作でなくとも捨てることがある。ウチでさえ、台所や畑ではピーマン、キュウリ、ナス、インゲン、ダイコン、ゴーヤなどが萎びて転がっている。見慣れた風景だけどこれだってホントは農民の胸が痛い。安くてもいいから食べて欲しい。
消費者にできるだけ安く届ける。
このために生産コストを下げることも大切だけれど、農水省がこうした新施策を実施する前に、規格外(曲がったキュウリ、大きさの揃わないトマトなどゴマンとある)のものの取り扱いや、経済産業省とは今の流通のありかたを、国土交通省や環境省とは国土保全や環境保護も視野に入れた総合的な施策が立案できるような気もしますが。
(とにかく輸送費が高い。私はリンゴを買ってもらっているけれど、ダンボール箱などの梱包資材を含めると、何を買ってもらっているのかわからなくなる。ネコや鳥、製紙業界を食べさせるためのようなものです。)
正確には覚えていませんが、映画『おもひでぽろぽろ』の中で柳葉敏郎似の若者が
「この美しい農村の風景は、みんな百姓が作り上げたんです。この田や畑はもちろん、林も川も、そうみーんな全部。」
『農業は農業である』。随分前に読んだ本の題名だけど、近頃この意味の深さが染み入ります。
農業は農業であって、鉄鋼産業、サービス産業、外食産業などいわゆる産業とは別物、ということでしょう。
都会に住んでいるときから田園風景は好きでしたが、ここに住み着いて時々刻々、その美しさを見れば見るほど「美しい農村風景」(これこそ「美しい日本」。ねえ安倍さん!)を残しておきたいなぁ、と思いながら草を刈る数時間でした。