SHAンパンでもいかが?

「最終楽章 気分はAdagio」
77歳の一人暮らし。

朝型に。

2023-05-31 08:40:00 | 日記


長年の習慣で
ブログの更新は
夜でしたが
寝る前の
スマホの操作を止めて
朝に変えてから
良く眠れるように
なっています。(*^^*)


   ✨✨✨✨✨

1847年
ジョルジュ・サンドと
破局後、
ショパンは
弟子のレッスンや
演奏の仕事に
打ち込みましたが
体調を悪化
させてしまいます。

1848年 フランスの
2月革命を避けて
イギリスへ渡り
ヴィクトリア女王の
御前演奏などを
行いましたが
体調は悪化する
一方でした。

このイギリス滞在は
彼の弟子であった
ジェ―ン・スターリングが
率先して
ショパンの面倒を
みましたが
彼女の親切の
根底にあったものは
ショパンへの恋心で
彼がサンドと
別れたのを機に
結婚を想定して
より親密に
なりたかった
ようです。

しかし彼は
サンドとの別れ以降
精神状況が
良くなることがなく
イギリス滞在中には
1曲も書くことが
出来なかったのです。
いかにサンドの力が
大きかったのかが
よくわかります。

亡くなった年である
1849年に
マズルカを書き
これが最後の昨品に
なりました。



ヴァンドーム広場
12番地の
最後のすまい


マズルカ
ミケランジェリ
(3'46'')