https://news.yahoo.co.jp/articles/d96b76cd2ce91955cc20e12acda261d466396fcb
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就任2年目で全国大会に導いた元Jリーガー うつ状態→引退→大学進学→世界放浪、高校サッカー指導者のいま
2022/2/1(火) 18:00配信
「何をすればジャイアントキリング(番狂わせ)が起こせるか。
そこから逆算して計画を立てるんです」。
関西学院大学在学中の前田氏、ドレッドヘアーだった
監督就任からわずか2年目で滋賀県の近江高校サッカー部を
全国大会に出場させた前田高孝(まえだ・たかのり)監督(36)。
生徒に「お前ら、海賊になれ」とけしかける、型にはまらない指導の
背景には自身の波瀾万丈(はらんばんじょう)な生き方が影響している
監督就任2年目に1、2年生のみで全国出場
近江高校は滋賀県彦根市にある共学の私立高校。
サッカー部の指定強化クラブ化に合わせて2016年、
前田監督率いるチームが動き出した。そのわずか翌年、
1年と2年のみのチームで、全国高校総体(インターハイ)の
全国大会に出場。乾貴士(セレッソ大阪)らを輩出した
野洲高などを破った。2年後の2019年に再びインターハイに、
さらに翌2020年には選手権大会出場も決めた。
県内で優勝争いの一角を占める存在になった。
元Jリーガー、引退直前は「うつ状態」
前田監督は全国出場常連校の滋賀県立草津東高を卒業後、
志願して練習に参加してJ1清水エスパルスに入団。
しかし、じん帯断裂などのけがに泣き、2シーズンで戦力外に。
その後もなんとかプロを続けるため、3年ほど、シンガポールや
日本フットボールリーグ(JFL、実質4部リーグに相当)、
ドイツ、ルーマニアと渡り歩いた。
「うつ状態だった」と振り返るのは最後のルーマニア。
プロテストに落ち続け、周囲から認められない中、自信を失っており、
テスト会場に向かう中「そうか。けがをすれば、
テストを受け続けなければいけない状態から解放される」と考えた。
「好きだったサッカーを嫌いになっていた。苦痛で仕方なかった」
と前田監督。そのテストでは実際にひざをけがし、
その時「これでサッカーをやめられる」と痛みでもがきながらも安心したという。
ルーマニアからドイツに電車で2晩かけて帰る途中、
「後悔はないか」と自問自答を繰り返し、22歳で引退を決めた。
大学進学、世界放浪、タイの孤児院にグラウンド…
引退後、「社会起業を学びたい」と関西学院大学に23歳で入学。
在学中はアジアや南米をバックパックで回り、
タイの孤児院にサッカーグラウンドを造ったり、
インドにあるマザー・テレサの「死を待つ人の家」でボランティアをしたりした。
そのほか、中学生向けのサッカースクールの運営、
ホームレスでつくるサッカーチームのコーチ、大阪市西成区の
児童養護施設のスタッフなど、興味の赴くままに動いた。
大学4年からは関学サッカー部のコーチも担当した。
卒業後はヘッドコーチを続けていたが、
うまい選手が集まる関学で教える中で「自分が指導しなくても勝てるのでは」
と疑問を持つように。「ゼロから夢中で成し遂げたい」
という思いを抱く中、サッカー部に力を注ごうと計画していた近江高と出合った。
「3年以内に全国に行く」 生徒に訴え70人集める
2015年、監督になることが決まってからの行動力がすごかった。
1年間掛け、16年4月に入学する選手集めに奔走。県内はもちろん、
関西圏の中学校やクラブチームを車で回った。
無名の高校には誰が見てもうまい選手は来てくれない。
技術はないけど足が速い、身長は低いが技術があるなど
「何か一つ、光っているものを持つ選手に声をかけまくった」という。
その際はこう説いた。「人生には道が2つある。
他人がつくった道と切り開く道だ。近江高なら自分で新しい歴史がつくれる。
想像してほしい。入学して3年以内に必ず全国に行く。その目標が実現すれば、
めちゃくちゃ衝撃的だ」。その結果、70人を集めた。学校も驚き、
人工芝のグラウンド計画も一気に話が進んだという。
エリートにならず、常に挑戦者であり続けろ
前田監督が大事にしている言葉は「人生を切り開く」や「サバイバル」。
まさに自身も体現してきた。部員にも「自立して社会に変革を起こせ。
イエスマンにならず、自分の意見を持て」と伝えてきた。
その中から生まれたスローガンが「ビー・パイレーツ(海賊になれ)」。
エリートにならず、常に挑戦者であり、仲間のために戦う-などの意味を込めた。
滋賀といえば琵琶湖だが、琵琶湖から全国の大海原に飛び出すという願いも織り交ぜた。
指導では「本物に触れさせる」ことに力を入れる。
名門の東福岡高や富山第一高と練習試合を組んだり、
レスリングチャンピオンらの講話を聞かせたりした。
またサッカー部には分析係やメディカル係のほか、
企画係や広報係などがある。企画係はこれまでに
ペットボトルのキャップ集めなど実施した。
部内で役職を持たせることで責任感を芽生えさせ、
サッカーとは直接関係のないことでも成功体験を積ませることで、
チームに良い空気が循環するという。
高校サッカーの頂点やJリーガー輩出、目標じゃない
チーム率いて今春で7年目に突入する。高校サッカーの頂点を目指したり、
Jリーガーを輩出したりするだけが目標ではないという。
「近江高サッカー部を、地域コミュニティーの中心になる
総合スポーツクラブのようにしたい」と語る。
グラウンドの脇にカフェやピラティス教室を設けて
「サッカーをツールにして、地域の活性化につなげたい」。
異色の履歴書に、これからも次々と新たな経験が加わりそうだ。
前田監督の経歴や指導方法については、
著書「サバイバルに生きていく」(ザ・ニュースパイラル出版)
に詳しく紹介されている。
(まいどなニュース/神戸新聞・堀内 達成)
6月26日(日)
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就任2年目で全国大会に導いた元Jリーガー うつ状態→引退→大学進学→世界放浪、高校サッカー指導者のいま
2022/2/1(火) 18:00配信
「何をすればジャイアントキリング(番狂わせ)が起こせるか。
そこから逆算して計画を立てるんです」。
関西学院大学在学中の前田氏、ドレッドヘアーだった
監督就任からわずか2年目で滋賀県の近江高校サッカー部を
全国大会に出場させた前田高孝(まえだ・たかのり)監督(36)。
生徒に「お前ら、海賊になれ」とけしかける、型にはまらない指導の
背景には自身の波瀾万丈(はらんばんじょう)な生き方が影響している
監督就任2年目に1、2年生のみで全国出場
近江高校は滋賀県彦根市にある共学の私立高校。
サッカー部の指定強化クラブ化に合わせて2016年、
前田監督率いるチームが動き出した。そのわずか翌年、
1年と2年のみのチームで、全国高校総体(インターハイ)の
全国大会に出場。乾貴士(セレッソ大阪)らを輩出した
野洲高などを破った。2年後の2019年に再びインターハイに、
さらに翌2020年には選手権大会出場も決めた。
県内で優勝争いの一角を占める存在になった。
元Jリーガー、引退直前は「うつ状態」
前田監督は全国出場常連校の滋賀県立草津東高を卒業後、
志願して練習に参加してJ1清水エスパルスに入団。
しかし、じん帯断裂などのけがに泣き、2シーズンで戦力外に。
その後もなんとかプロを続けるため、3年ほど、シンガポールや
日本フットボールリーグ(JFL、実質4部リーグに相当)、
ドイツ、ルーマニアと渡り歩いた。
「うつ状態だった」と振り返るのは最後のルーマニア。
プロテストに落ち続け、周囲から認められない中、自信を失っており、
テスト会場に向かう中「そうか。けがをすれば、
テストを受け続けなければいけない状態から解放される」と考えた。
「好きだったサッカーを嫌いになっていた。苦痛で仕方なかった」
と前田監督。そのテストでは実際にひざをけがし、
その時「これでサッカーをやめられる」と痛みでもがきながらも安心したという。
ルーマニアからドイツに電車で2晩かけて帰る途中、
「後悔はないか」と自問自答を繰り返し、22歳で引退を決めた。
大学進学、世界放浪、タイの孤児院にグラウンド…
引退後、「社会起業を学びたい」と関西学院大学に23歳で入学。
在学中はアジアや南米をバックパックで回り、
タイの孤児院にサッカーグラウンドを造ったり、
インドにあるマザー・テレサの「死を待つ人の家」でボランティアをしたりした。
そのほか、中学生向けのサッカースクールの運営、
ホームレスでつくるサッカーチームのコーチ、大阪市西成区の
児童養護施設のスタッフなど、興味の赴くままに動いた。
大学4年からは関学サッカー部のコーチも担当した。
卒業後はヘッドコーチを続けていたが、
うまい選手が集まる関学で教える中で「自分が指導しなくても勝てるのでは」
と疑問を持つように。「ゼロから夢中で成し遂げたい」
という思いを抱く中、サッカー部に力を注ごうと計画していた近江高と出合った。
「3年以内に全国に行く」 生徒に訴え70人集める
2015年、監督になることが決まってからの行動力がすごかった。
1年間掛け、16年4月に入学する選手集めに奔走。県内はもちろん、
関西圏の中学校やクラブチームを車で回った。
無名の高校には誰が見てもうまい選手は来てくれない。
技術はないけど足が速い、身長は低いが技術があるなど
「何か一つ、光っているものを持つ選手に声をかけまくった」という。
その際はこう説いた。「人生には道が2つある。
他人がつくった道と切り開く道だ。近江高なら自分で新しい歴史がつくれる。
想像してほしい。入学して3年以内に必ず全国に行く。その目標が実現すれば、
めちゃくちゃ衝撃的だ」。その結果、70人を集めた。学校も驚き、
人工芝のグラウンド計画も一気に話が進んだという。
エリートにならず、常に挑戦者であり続けろ
前田監督が大事にしている言葉は「人生を切り開く」や「サバイバル」。
まさに自身も体現してきた。部員にも「自立して社会に変革を起こせ。
イエスマンにならず、自分の意見を持て」と伝えてきた。
その中から生まれたスローガンが「ビー・パイレーツ(海賊になれ)」。
エリートにならず、常に挑戦者であり、仲間のために戦う-などの意味を込めた。
滋賀といえば琵琶湖だが、琵琶湖から全国の大海原に飛び出すという願いも織り交ぜた。
指導では「本物に触れさせる」ことに力を入れる。
名門の東福岡高や富山第一高と練習試合を組んだり、
レスリングチャンピオンらの講話を聞かせたりした。
またサッカー部には分析係やメディカル係のほか、
企画係や広報係などがある。企画係はこれまでに
ペットボトルのキャップ集めなど実施した。
部内で役職を持たせることで責任感を芽生えさせ、
サッカーとは直接関係のないことでも成功体験を積ませることで、
チームに良い空気が循環するという。
高校サッカーの頂点やJリーガー輩出、目標じゃない
チーム率いて今春で7年目に突入する。高校サッカーの頂点を目指したり、
Jリーガーを輩出したりするだけが目標ではないという。
「近江高サッカー部を、地域コミュニティーの中心になる
総合スポーツクラブのようにしたい」と語る。
グラウンドの脇にカフェやピラティス教室を設けて
「サッカーをツールにして、地域の活性化につなげたい」。
異色の履歴書に、これからも次々と新たな経験が加わりそうだ。
前田監督の経歴や指導方法については、
著書「サバイバルに生きていく」(ザ・ニュースパイラル出版)
に詳しく紹介されている。
(まいどなニュース/神戸新聞・堀内 達成)
6月26日(日)
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