詩編98:1~9、コリント115:1~11、ヨハネ20:1~18
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二日市教会主日礼拝説教 2024年3月31日(日)
「墓に来た女たち―その1」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
本日はイースター、復活祭の日曜日です。この説教のあと一緒に唱えることになっている使徒信条にも、主イエス・キリストが「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、三日目に死人のうちから復活した」とあるように、イエスのよみがえりを祝う復活祭の日曜日です。すなわち、キリストは「死んで」「葬られ」「三日目によみがえった」のでした。
けれども私たちは、死んだ人のことを、「誰々さんは死にました」とは言いますが、「誰々さんは死んで葬られました」の言い方はしないものです。ところが使徒信条は、「キリストは死んで葬られました」の言い方をするのです。なぜそう言わなければならないのか、これは考える価値がありそうです。
それはともかく、イエス・キリストの埋葬のことは今の15章42節以下に書かれていました。ただその前に確認したいことは、その時イエスの弟子は誰もいなかったことです。なぜなら、14章の50節には「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げ出してしまった」と書かれているからです。
ところで逃げ出した理由は、イエスの逮捕を目にしたからで、次は自分も捕まると身の危険を覚えたからでした。そして逃げ出した。逃げて逃げて、福岡から平戸あるいは長崎までほどの故郷ガリラヤに逃げ帰りました。ところで、逮捕は真夜中でした。そのあとすぐ裁判にかけられ、夜明け頃にローマ総督ポンテオ・ピラトの官邸に連行され、そこで死刑の判決を受け、ただちにゴルゴタという処刑場で十字架の刑に処され、午後3時に息を引き取ったと聖書に書かれています。そしてその時点で弟子たちは、誰もいなかった。つまり男性はゼロになっていました。
しかし、女性たちは踏みとどまった。そう聖書は言います。あるいは聖書には、「この婦人たちはガリラヤにおられたときからイエスに従っていた」とも書かれています。とは言え、田舎のガリラヤから来た女たちは、西も東もよくわからず、ここは不案内きわまりない土地でした。しかも、ゴルゴタの処刑場は厳重な警戒態勢で、武装した大勢の兵士たちが取り囲まれており、それだけでも恐怖でした。
しかもさらに不安なのは、遺体の行く先でした。十字架から降ろされたあとどうなるのか。イエスはガリラヤの出身で墓もガリラヤにしかありません。ところが遺体の埋葬は至急するよう求められていました。そのためもあって、死刑囚の遺体は掘った穴に投げ込まれ土をかぶせるという埋葬で処理されていました。女性たちは仮に身元の引受人になっても、納める墓がないのでした。実際的な話になりますが、それが彼女たちには最も深刻な悩みなのでした。
ところがそのような時に、アリマタヤのヨセフという人物が現れたのでした。聖書は彼のことを「身分の高い議員」だったと書いています。当時の議員は上流階級に属する人間で、経済的にも余裕がある人たちでした。なお、当時の人々にとっての墓は、良い暮らしが出来ている階層と、貧しい人々との間では格式の違いがありました。良い暮らしをしている人たちには、家族の墓という墓があって、家族あるいは親族の単位で墓は独立していました。一方、貧しい人々にも墓はありましたが、それはいわば大部屋方式で、誰彼の区別なく遺体が収納できるようになっていました。いずれにしても、葬儀を取り仕切る人間がいないと墓に収めることが出来ません。男衆がゼロのイエス・グループは、今や風前の灯でした。
そんなわけで、アリマタヤのヨセフの登場は、まさに救世主の出現でした。彼は彼女たちの窮状を知るとすぐ、自分が身元引受人になると上司に申し出ました。その時のことを聖書は、「ヨセフは勇気を出してピラトのところに行った」と書いています。なぜ「勇気を出して」なのかというと、ピラトにとってイエスは国家転覆罪の大悪人だったからです。しかも、ヨセフが属する権力者グループはイエスの殺害を申し合わせていたくらいで、メンバーの一人のヨセフがイエス・グループに有利な計らいをしたと知れ渡れば、バッシングも相当のはず。それを承知でピラトに願い出たのは、密かにイエスに好意を寄せていたからでした。
なお聖書は、ヨセフが神の国を待ち望む人だったと書いています。それはヨセフがイエスの弟子だったという意味ではありません。そういうことはともかく、男手がない彼女たちにとって、難問を切り開いてくれるのがいかなる人間かはもうどうでもいいことで、それよりも、神の手による見えない、しかし確かな導きがあるのだということを信じる機会となったのでした。
なお聖書によると、この時夕闇が迫っていました。この日は金曜日で、日没を境として曜日が変わり土曜日になるのでした。ところが遺体は金曜日の内に埋葬すべしと定められていました。ところでイエスが息を引き取ったのは三時なので、あまり時間がありません。それを知るヨセフは、てきぱきと事を運びました。家の従僕たちに命じ、至急亜麻布を買いに行かせ、その布を広げさせて遺体をくるませると、墓に直行させ、中に遺体を安置させると、再び命じて、大きな石で墓の入り口をふさがせ、ふさぎ終わると従僕たちを従えて帰ってしまった。このあと彼女たちは彼を見ることは二度とありませんでした。
ところで聖書には、それは「岩を掘って作った墓」だったと書かれています。岩に横穴を掘り進め、広くくりぬいた内部を遺体の安置所にしたのですが、人が入れるほどの空間で、弔問客や墓参者が腰かけられる石造りのベンチまで設けられていました。なおマルコの16章5節に「白い長い衣を着た若者が右手に座って」いたと書かれていますが、若者が座っていたのもそのベンチでした。
さて、このあと、二人の女性が墓の前に留まりました。思いもかけないことで決まったイエスの墓の場所を仲間に正確に伝えるため頭に叩き込んでいたのでした。というのも、このあとのことはアリマタヤのヨセフにも頼れないからでした。
とは言え、彼女たちをひどく悩ませていた難問も一挙に解決したのですから、キリスト教はこのヨセフをもっと高く評価してよいのではと思うのです。それはともかく、話はその二日後の朝のことに移ります。それは6章の1節以下に記されています。
さてここで重要なのは女性たちの会話です。「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」。遺体に香料を塗るのが目的とは言え、男の弟子も、議員ヨセフたちもいない今の時点のこの会話。それは悲観と絶望の自暴自棄の言葉だったのか、それとも、信じる心さえあれば大丈夫よという天真爛漫さの表れだったのか。「それを決めるのはあなたですよ」と言いながら、マルコは自分の福音書を終わらせたのでした。マタイ、ルカ、ヨハネと較べるなら、まことにユニークな福音書のイースター物語だったのでした。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭 義)
次週4月7日 復活節第2主日
説教題:墓に来た女たち ーその2
説教者:白髭義 牧師
能登半島地震
チャリティーコンサート
ピアノ連弾 & ソプラノ
4月14日(日)午後2時から3時
参加費:小学生以上1人 500円(未就学児フリー)
出演:西田祐子・和田朋子
どなたもおいでください
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二日市教会主日礼拝説教 2024年3月31日(日)
「墓に来た女たち―その1」
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
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本日はイースター、復活祭の日曜日です。この説教のあと一緒に唱えることになっている使徒信条にも、主イエス・キリストが「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、三日目に死人のうちから復活した」とあるように、イエスのよみがえりを祝う復活祭の日曜日です。すなわち、キリストは「死んで」「葬られ」「三日目によみがえった」のでした。
けれども私たちは、死んだ人のことを、「誰々さんは死にました」とは言いますが、「誰々さんは死んで葬られました」の言い方はしないものです。ところが使徒信条は、「キリストは死んで葬られました」の言い方をするのです。なぜそう言わなければならないのか、これは考える価値がありそうです。
それはともかく、イエス・キリストの埋葬のことは今の15章42節以下に書かれていました。ただその前に確認したいことは、その時イエスの弟子は誰もいなかったことです。なぜなら、14章の50節には「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げ出してしまった」と書かれているからです。
ところで逃げ出した理由は、イエスの逮捕を目にしたからで、次は自分も捕まると身の危険を覚えたからでした。そして逃げ出した。逃げて逃げて、福岡から平戸あるいは長崎までほどの故郷ガリラヤに逃げ帰りました。ところで、逮捕は真夜中でした。そのあとすぐ裁判にかけられ、夜明け頃にローマ総督ポンテオ・ピラトの官邸に連行され、そこで死刑の判決を受け、ただちにゴルゴタという処刑場で十字架の刑に処され、午後3時に息を引き取ったと聖書に書かれています。そしてその時点で弟子たちは、誰もいなかった。つまり男性はゼロになっていました。
しかし、女性たちは踏みとどまった。そう聖書は言います。あるいは聖書には、「この婦人たちはガリラヤにおられたときからイエスに従っていた」とも書かれています。とは言え、田舎のガリラヤから来た女たちは、西も東もよくわからず、ここは不案内きわまりない土地でした。しかも、ゴルゴタの処刑場は厳重な警戒態勢で、武装した大勢の兵士たちが取り囲まれており、それだけでも恐怖でした。
しかもさらに不安なのは、遺体の行く先でした。十字架から降ろされたあとどうなるのか。イエスはガリラヤの出身で墓もガリラヤにしかありません。ところが遺体の埋葬は至急するよう求められていました。そのためもあって、死刑囚の遺体は掘った穴に投げ込まれ土をかぶせるという埋葬で処理されていました。女性たちは仮に身元の引受人になっても、納める墓がないのでした。実際的な話になりますが、それが彼女たちには最も深刻な悩みなのでした。
ところがそのような時に、アリマタヤのヨセフという人物が現れたのでした。聖書は彼のことを「身分の高い議員」だったと書いています。当時の議員は上流階級に属する人間で、経済的にも余裕がある人たちでした。なお、当時の人々にとっての墓は、良い暮らしが出来ている階層と、貧しい人々との間では格式の違いがありました。良い暮らしをしている人たちには、家族の墓という墓があって、家族あるいは親族の単位で墓は独立していました。一方、貧しい人々にも墓はありましたが、それはいわば大部屋方式で、誰彼の区別なく遺体が収納できるようになっていました。いずれにしても、葬儀を取り仕切る人間がいないと墓に収めることが出来ません。男衆がゼロのイエス・グループは、今や風前の灯でした。
そんなわけで、アリマタヤのヨセフの登場は、まさに救世主の出現でした。彼は彼女たちの窮状を知るとすぐ、自分が身元引受人になると上司に申し出ました。その時のことを聖書は、「ヨセフは勇気を出してピラトのところに行った」と書いています。なぜ「勇気を出して」なのかというと、ピラトにとってイエスは国家転覆罪の大悪人だったからです。しかも、ヨセフが属する権力者グループはイエスの殺害を申し合わせていたくらいで、メンバーの一人のヨセフがイエス・グループに有利な計らいをしたと知れ渡れば、バッシングも相当のはず。それを承知でピラトに願い出たのは、密かにイエスに好意を寄せていたからでした。
なお聖書は、ヨセフが神の国を待ち望む人だったと書いています。それはヨセフがイエスの弟子だったという意味ではありません。そういうことはともかく、男手がない彼女たちにとって、難問を切り開いてくれるのがいかなる人間かはもうどうでもいいことで、それよりも、神の手による見えない、しかし確かな導きがあるのだということを信じる機会となったのでした。
なお聖書によると、この時夕闇が迫っていました。この日は金曜日で、日没を境として曜日が変わり土曜日になるのでした。ところが遺体は金曜日の内に埋葬すべしと定められていました。ところでイエスが息を引き取ったのは三時なので、あまり時間がありません。それを知るヨセフは、てきぱきと事を運びました。家の従僕たちに命じ、至急亜麻布を買いに行かせ、その布を広げさせて遺体をくるませると、墓に直行させ、中に遺体を安置させると、再び命じて、大きな石で墓の入り口をふさがせ、ふさぎ終わると従僕たちを従えて帰ってしまった。このあと彼女たちは彼を見ることは二度とありませんでした。
ところで聖書には、それは「岩を掘って作った墓」だったと書かれています。岩に横穴を掘り進め、広くくりぬいた内部を遺体の安置所にしたのですが、人が入れるほどの空間で、弔問客や墓参者が腰かけられる石造りのベンチまで設けられていました。なおマルコの16章5節に「白い長い衣を着た若者が右手に座って」いたと書かれていますが、若者が座っていたのもそのベンチでした。
さて、このあと、二人の女性が墓の前に留まりました。思いもかけないことで決まったイエスの墓の場所を仲間に正確に伝えるため頭に叩き込んでいたのでした。というのも、このあとのことはアリマタヤのヨセフにも頼れないからでした。
とは言え、彼女たちをひどく悩ませていた難問も一挙に解決したのですから、キリスト教はこのヨセフをもっと高く評価してよいのではと思うのです。それはともかく、話はその二日後の朝のことに移ります。それは6章の1節以下に記されています。
さてここで重要なのは女性たちの会話です。「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」。遺体に香料を塗るのが目的とは言え、男の弟子も、議員ヨセフたちもいない今の時点のこの会話。それは悲観と絶望の自暴自棄の言葉だったのか、それとも、信じる心さえあれば大丈夫よという天真爛漫さの表れだったのか。「それを決めるのはあなたですよ」と言いながら、マルコは自分の福音書を終わらせたのでした。マタイ、ルカ、ヨハネと較べるなら、まことにユニークな福音書のイースター物語だったのでした。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭 義)
次週4月7日 復活節第2主日
説教題:墓に来た女たち ーその2
説教者:白髭義 牧師
能登半島地震
チャリティーコンサート
ピアノ連弾 & ソプラノ
4月14日(日)午後2時から3時
参加費:小学生以上1人 500円(未就学児フリー)
出演:西田祐子・和田朋子
どなたもおいでください