聖霊降臨後第10主日
列王記●上3:5~12,ロマ8;26~29、マタイ13:31~33,44~52
「主の祈り/⑤エジプトの肉鍋」
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わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがた一堂にありますように。
さて、わたしたちはこれまで、主の祈りのことを毎週考えてきました。先週は「み心の天に成るごとく、地にもなさせたまえ」を考えました。今週は、「われらの日ごとの糧を今日も与えたまえ」となります。ところでこれは、英語では、「ギブ アス ツデイ アワ デイリー ブレッド」です。デイリーブレッド。私たちは、主の祈りでデイリー・ブレッドを祈るのです。なぜならイエスが、そう祈るよう教えたからです。
ところで、京都には進々堂というパン屋さんがあります。老舗のパン屋で創立は大正7(1913)年です。複数いた創立者の一人が続木(つづき)タネで、彼女は同志社女学校と明治女学校で学び、内村鑑三の著作と聖書を毎日読むことを日課としていました。そしてそのことが、彼女の経営者としての姿勢にも反映され、市内の同業者たちが、より水分を多く含むパンを販売し値段を上げていた時、彼女はよく火の通った軽くおいしいパンのみかたくなに焼き続けました。やがて京都では今に至るまで、「パンなら進々堂」と言われるくらい信用と評判が広まったのでした。さて、進々堂は昭和27(1952)年に、食パンをスライス袋詰めした商品を売り出しました。そしてその商品名は「デーリーブレッド」。この名前の由来は、知る人ぞ知るでした。
ところで、イエスが祈るようにと教えた「ギブ アス デイリー ブレッド」は、旧約聖書から始まっていました。すなわち、モーセに率いられ荒れ野を歩いたイスラエルの民の口から同じような言葉が発せられたからでした。彼らはモーセにこう言いました。「我々はエジプトの国で、神の手にかかって死んだほうがましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに、あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を餓え死にさせようとしている」。要するに彼らは「ギブ アス デイリー ブレッド」ならぬ「ギブ アス 肉鍋」を叫んでいたのでした。
肉鍋が腹一杯食べられたなんてうらやましい話ですが、でも眉唾かもしれません。なぜなら、彼らはエジプトでは奴隷だったからです。聖書にはこう書かれているからです。彼らは虐待され強制労働を課せられていた(出エ1)。仕事の内容は、粘土をこね、れんがを焼くことでした。また、あらゆる農作業にも駆り出されていました。しかし考えてみれば、エジプトの支配者側にとっては貴重な労働力。彼らを餓え死にさせない程度の対策は常に手を打っていました。最低限必要な食事は保証し生かしておいたからです。
では、奴隷の彼らは何を食料としていたのか。それはパンでした。ただし、パン屋さんで買ってくると言う意味でのパンではなく、各家庭で焼かれた自家製のパンでした。だからそのために当局から支給されたのは、穀物でした。女たちはそれを臼でひいて粉にし、それを水で練ってパンを焼きました。これは必要最低限の食事でしたから、貧しい人たちの食事でしたが、それでも穀物があるのでパンはデイリー ブレッドでした。
以上はエジプト時代の話です。このあと彼らはエジプトを脱出し、荒れ野でモーセに従う民となりました。旧約の民数記11章には、その時の民の泣き言が書かれています。「誰か、肉を食べさせてくれないものか。エジプトではただで魚を食べていたし、キュウリやメロン、ねぎや玉ねぎやにんにくが忘れられない」。でも本当にそうだったのでしょうか。いずれにしても、民の泣き言は、自分たちが今にも死にしそうだという訴えとは違っていました。このような泣き言が地上に満ちたため、ばんやり聖書を読む人は彼等に同情を寄せてしまうのでした。
しかし聖書には、民は毎日空腹だったとは書かれていません。なぜなら、神は毎日マナを降らせていたからです。マナのことはこう書かれています。「コエンドロの種のようで、一見琥珀の類のようであった。民は歩き回って拾い集め、臼で粉を挽くか、鉢ですりつぶし、鍋で煮て菓子にした。それは濃くのあるクリームのような味であった。夜露が降りると、マナも降った(民数記11:7)」。食べ方まで書かれていましたが、ある本にはこう書かれていました。「マナ・タマリスクという木があって、その葉をある昆虫が刺すと、分泌物と樹液で構成されるまん丸いものが葉の表面にできる。それがマナである。その球状のものが地面にころがり落ちたのを夜暗い内に集めて食料とする。朝に温度が上昇すると溶けてしまうからである。甘い味がするので、今でもベドウィンは食べている」(新共同訳旧約聖書註解Ⅰ148頁)。なお、ベドウィンは砂漠の民のことです。
なお、こういうことも書かれています。神が民にマナを降らせるようになった由来です。神はモーセにこう伝えたのでした。「これこそ主があなたたちに与えられたパンである。あなたがたは出て行って、毎日必要な分だけを集めよ(出エ16:4,15)」。)」こういうわけで、神はマナを降らせ始めました。しかも毎日、一日も欠かさず40年間でした。このマナこそ、文字通りのデイリーブレッドなのでした。
にもかかわらず、民はつぶやくのをやめなかったと書かれています。たとえば詩編78編。「彼らは心のうちに神を試み、欲望のままに食べ物を得ようとした」。また彼らは互いに言った。「荒れ野で食卓を整えることが神には出来るのだろうか」。すなわち、外見はみすぼらしいかもしれないが、神が毎日降らせてくれる食卓用のデイリーブレッドなど眼中にないのでした。
こんな話もあります。民があまりにも肉を欲するので、あきれた半分で神が、肉食用のうずらを送ってやったという話です。なお、うずらは季節の渡り鳥なので、一年中は無理でした。その時期になると大群が飛来しました。民は夢中でそれを捕獲した。彼らの口の中はたえず肉でいっぱいだったと書かれています。しかも、必要以上の分量を捕獲したものだから貯蔵したが、それはすぐ腐り始め、あたりに悪臭がただい、やがて疫病が蔓延し、ついに多数の死者を出した。その死者を葬った場所はこんにちも「貪欲の墓」と呼ばれている・・・ということまで書かれているのです。
ところで、同じ旧約の箴言17章にはこんな言葉があります。「一切れのパンがあって安らぎがあるのは、御馳走があって争いのある家にまさる(17:1)」。一切れのパンつまりデイリーブレッドさえあればいいのではないかという考えです。
なお念のため言うと、イエスの祈りは「ギブ アス ツデイ アワ デイリー ブレッド」でした。ポイントは「ギブ アス」。「ギブ ミ― チョコレート」の「ギブ ミー」ではなかったということです。ギブ アス、つまり「わたしたちにください」の「わたしたち」をあえて意識しながら祈りたいもののであります。
次週8月13日(日)聖霊降臨後11主日
説教題:主の祈り⑥なぜ食べるのか
暑さ対策の為、礼拝は、空調設備が整ったラウンジで守っております。
列王記●上3:5~12,ロマ8;26~29、マタイ13:31~33,44~52
「主の祈り/⑤エジプトの肉鍋」
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わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがた一堂にありますように。
さて、わたしたちはこれまで、主の祈りのことを毎週考えてきました。先週は「み心の天に成るごとく、地にもなさせたまえ」を考えました。今週は、「われらの日ごとの糧を今日も与えたまえ」となります。ところでこれは、英語では、「ギブ アス ツデイ アワ デイリー ブレッド」です。デイリーブレッド。私たちは、主の祈りでデイリー・ブレッドを祈るのです。なぜならイエスが、そう祈るよう教えたからです。
ところで、京都には進々堂というパン屋さんがあります。老舗のパン屋で創立は大正7(1913)年です。複数いた創立者の一人が続木(つづき)タネで、彼女は同志社女学校と明治女学校で学び、内村鑑三の著作と聖書を毎日読むことを日課としていました。そしてそのことが、彼女の経営者としての姿勢にも反映され、市内の同業者たちが、より水分を多く含むパンを販売し値段を上げていた時、彼女はよく火の通った軽くおいしいパンのみかたくなに焼き続けました。やがて京都では今に至るまで、「パンなら進々堂」と言われるくらい信用と評判が広まったのでした。さて、進々堂は昭和27(1952)年に、食パンをスライス袋詰めした商品を売り出しました。そしてその商品名は「デーリーブレッド」。この名前の由来は、知る人ぞ知るでした。
ところで、イエスが祈るようにと教えた「ギブ アス デイリー ブレッド」は、旧約聖書から始まっていました。すなわち、モーセに率いられ荒れ野を歩いたイスラエルの民の口から同じような言葉が発せられたからでした。彼らはモーセにこう言いました。「我々はエジプトの国で、神の手にかかって死んだほうがましだった。あのときは肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに、あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を餓え死にさせようとしている」。要するに彼らは「ギブ アス デイリー ブレッド」ならぬ「ギブ アス 肉鍋」を叫んでいたのでした。
肉鍋が腹一杯食べられたなんてうらやましい話ですが、でも眉唾かもしれません。なぜなら、彼らはエジプトでは奴隷だったからです。聖書にはこう書かれているからです。彼らは虐待され強制労働を課せられていた(出エ1)。仕事の内容は、粘土をこね、れんがを焼くことでした。また、あらゆる農作業にも駆り出されていました。しかし考えてみれば、エジプトの支配者側にとっては貴重な労働力。彼らを餓え死にさせない程度の対策は常に手を打っていました。最低限必要な食事は保証し生かしておいたからです。
では、奴隷の彼らは何を食料としていたのか。それはパンでした。ただし、パン屋さんで買ってくると言う意味でのパンではなく、各家庭で焼かれた自家製のパンでした。だからそのために当局から支給されたのは、穀物でした。女たちはそれを臼でひいて粉にし、それを水で練ってパンを焼きました。これは必要最低限の食事でしたから、貧しい人たちの食事でしたが、それでも穀物があるのでパンはデイリー ブレッドでした。
以上はエジプト時代の話です。このあと彼らはエジプトを脱出し、荒れ野でモーセに従う民となりました。旧約の民数記11章には、その時の民の泣き言が書かれています。「誰か、肉を食べさせてくれないものか。エジプトではただで魚を食べていたし、キュウリやメロン、ねぎや玉ねぎやにんにくが忘れられない」。でも本当にそうだったのでしょうか。いずれにしても、民の泣き言は、自分たちが今にも死にしそうだという訴えとは違っていました。このような泣き言が地上に満ちたため、ばんやり聖書を読む人は彼等に同情を寄せてしまうのでした。
しかし聖書には、民は毎日空腹だったとは書かれていません。なぜなら、神は毎日マナを降らせていたからです。マナのことはこう書かれています。「コエンドロの種のようで、一見琥珀の類のようであった。民は歩き回って拾い集め、臼で粉を挽くか、鉢ですりつぶし、鍋で煮て菓子にした。それは濃くのあるクリームのような味であった。夜露が降りると、マナも降った(民数記11:7)」。食べ方まで書かれていましたが、ある本にはこう書かれていました。「マナ・タマリスクという木があって、その葉をある昆虫が刺すと、分泌物と樹液で構成されるまん丸いものが葉の表面にできる。それがマナである。その球状のものが地面にころがり落ちたのを夜暗い内に集めて食料とする。朝に温度が上昇すると溶けてしまうからである。甘い味がするので、今でもベドウィンは食べている」(新共同訳旧約聖書註解Ⅰ148頁)。なお、ベドウィンは砂漠の民のことです。
なお、こういうことも書かれています。神が民にマナを降らせるようになった由来です。神はモーセにこう伝えたのでした。「これこそ主があなたたちに与えられたパンである。あなたがたは出て行って、毎日必要な分だけを集めよ(出エ16:4,15)」。)」こういうわけで、神はマナを降らせ始めました。しかも毎日、一日も欠かさず40年間でした。このマナこそ、文字通りのデイリーブレッドなのでした。
にもかかわらず、民はつぶやくのをやめなかったと書かれています。たとえば詩編78編。「彼らは心のうちに神を試み、欲望のままに食べ物を得ようとした」。また彼らは互いに言った。「荒れ野で食卓を整えることが神には出来るのだろうか」。すなわち、外見はみすぼらしいかもしれないが、神が毎日降らせてくれる食卓用のデイリーブレッドなど眼中にないのでした。
こんな話もあります。民があまりにも肉を欲するので、あきれた半分で神が、肉食用のうずらを送ってやったという話です。なお、うずらは季節の渡り鳥なので、一年中は無理でした。その時期になると大群が飛来しました。民は夢中でそれを捕獲した。彼らの口の中はたえず肉でいっぱいだったと書かれています。しかも、必要以上の分量を捕獲したものだから貯蔵したが、それはすぐ腐り始め、あたりに悪臭がただい、やがて疫病が蔓延し、ついに多数の死者を出した。その死者を葬った場所はこんにちも「貪欲の墓」と呼ばれている・・・ということまで書かれているのです。
ところで、同じ旧約の箴言17章にはこんな言葉があります。「一切れのパンがあって安らぎがあるのは、御馳走があって争いのある家にまさる(17:1)」。一切れのパンつまりデイリーブレッドさえあればいいのではないかという考えです。
なお念のため言うと、イエスの祈りは「ギブ アス ツデイ アワ デイリー ブレッド」でした。ポイントは「ギブ アス」。「ギブ ミ― チョコレート」の「ギブ ミー」ではなかったということです。ギブ アス、つまり「わたしたちにください」の「わたしたち」をあえて意識しながら祈りたいもののであります。
次週8月13日(日)聖霊降臨後11主日
説教題:主の祈り⑥なぜ食べるのか
暑さ対策の為、礼拝は、空調設備が整ったラウンジで守っております。

