猿沢の池の伝説

2005-04-12 17:42:17 | NARA
「昔、平常の帝に仕つ奉る釆女ありけり
顔かたち、いみじう清らにて、人々よばひ
殿上人などもよばひけど、あはざりけり、
そのあはぬ心は、席を限りなくめでたきものに
なん思ひ奉りける・・・云々」(大和物語より)

しかし常なきものは男女の仲、
やがて帝の寵愛の衰えたことを嘆いて釆女は身を投げてしまいました。
そのとき衣を掛けたのが衣掛け柳といわれています。
これを不憫に思われた帝が釆女の霊を慰められたのが池の北西の釆女神社です。
 釆女の古里福島県郡山市にも釆女の霊を祭る釆女神社があります。
この歴史の縁により、奈良市と郡山市は姉妹都市提携を結んでいます。


この話に出てくる釆女神社ですが、実はお社が池に背を向けているんです。
 

入水した池を見るのは可哀想だということでわざと後ろを向けて建てたという説や、
入水した池を見るのは忍びないと一夜のうちにお社が池に背を向けた説があります。
ちょうど神社と猿沢の池をはさんだ位置に身を投げる際、衣を掛けた柳の木もあります。
そこには釆女地蔵が祀ってあります。

 ←釆女神社のほうから衣掛けの柳と釆女地蔵が見えます

  ←衣掛け柳のほうから釆女神社の赤いお社が見えます

奈良の猿沢の池に言い伝えられてる伝説です。
今でも釆女を奉るお祭りが秋の中秋の名月の頃に開催されます。


↑釆女まつり
霊を慰めるお祭りで花扇奉納の行事である。
王朝貴族が七夕の夜、秋草で飾った花扇を御所に献じ
庭の池に浮かべて風雅を楽しんだ古事による。
 

十二単装束のお渡りやお稚児さんによる御所車などが市中をねり歩き
池に2艘の花扇船を浮かべ、一艘では雅楽の演奏、
もう一艘では季節の花を積み池に撒いていた記憶があります。
猿沢の池の近くで働いていたにもかかわらず、
仕事中だったので行くことはできませんでした。
あいまいな記憶はそれ以前に行った記憶です。

この猿沢の池はもともとは興福寺の放生池だったのです。
放生というのは“捕えた生物をはなちにがすこと。仏教で慈悲の行いとする”
と辞書にありました。寺院は放生のための池を敷地内に作っていたということなので
猿沢の池も放生池のひとつだったようです。
この池には七不思議の伝説も残っています。
「澄まず 濁らず 出ず入らず 蛙はわかず 藻は生えず 魚が七分に 水三分」



今でも亀の大繁殖は放生された亀の子孫?
そういえば蛙は見ないですね。亀のみ

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