旅してマドモアゼル

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ときどき旅、いつでも変わらぬジャニーズ愛

「金閣寺」

2012-02-07 | 観たものレビュー

今日は朝からなんだかあったかいですね。

といっても、夜にはまた寒さが戻るようですけども。


日曜日は赤坂ACTシアターへ「金閣寺」を観に行ってきました。
しかも、前から2列目という神席ですよ。

いや・・・

何もここで席運使わなくても・・・

まあ、私の名義じゃないからいいんだけど・・・(リョーコちゃん、ゴメン!)

でも、久しぶりにコンタクトなしで裸眼で舞台を見ました。
普段、コンタクトしないので、たまにすると、なんだか慣れないんですよね。
なので、裸眼で見られるというのは気持ちがいいもんなんです。

さて、舞台の原作は三島由紀夫の名作。
有名な著書ですから、私も昔、学生の頃に読んだ記憶はあるんだけど、三島の世界観に共鳴できなかったのか、主人公が僧侶を目指していて、吃音で、最後に金閣寺を燃やしちゃったこと以外はあんまり覚えていないんですよね。

でも、作品への固定概念がなかった分、逆に素直に舞台の世界に入ることができたみたいです。

ストレートプレイとコンテンポラリーダンスが融合したかのような、斬新な演出が面白い。
机や椅子、ロッカーや壁、といったものが、場面転換に合わせて、寺への階段や土手、京都の路地、といった様々なものにくるくると変化するスピーディーな舞台。
でも、時に、咳払いすることすら憚れるほどの静謐な空間が舞台を支配し、時に、男と女の猥雑で淫靡な世界へといざなわれる。。
その激しい緩急の差に、ふと眩暈を覚えながら、これが狂気をはらんだ三島の世界なのかと思う。

主人公の溝口を演じる森田剛は、その小柄な体に圧倒的な存在感をまとって舞台に立っている。彼の新感線の舞台を始めて観たときの、思いがけない感動とはまた異なる、これがあのV6の森田剛なのかと凝視してしまうほどの静かな感動が私の心をよぎった。
特に金閣寺に火をつけた後の、それまでとはまったく違う溝口の大人びた表情に、ドキッとさせられた。
溝口に影響を与える2人の友人、鶴川、柏木を演じるのが大東駿介と高岡蒼佑。
大東君演じる鶴川の爽やかさは、その死の真実が明かされる最後まで、溝口だけでなく、私たち観客さえ騙される。
そして、高岡さん演じる柏木が放つ色気と悪徳の香りは、鶴川より魅力的だ。柏木が溝口に向ける言葉はつねに辛辣、どこか見下したような侮蔑を含む。でも、その皮肉な言葉は痛烈な真実でもある。
うーん・・・高岡さん、やっぱり素敵な役者さんだよね。

今回、驚いたのは、金閣寺という建物、この小説における「圧倒的な美」をあらわすアイコン、その金閣寺を生身の人が演じているということ。
でも、それがかえって、溝口が金閣寺に対して抱く憧憬や劣等感、といったヒューマンな感情を観る側に納得させる効果を生んでいる。
そして、金閣寺は女ではなく、男でなくてはならない。なぜなら、溝口は吃音という障害ゆえに、女性に対して激しい劣等感を抱いているから。
ただ、その姿はまるで女性のようで、現実世界において、中性的な美しさを溝口の前にさらしている。
やがて、友情への不信、崩壊した自分の未来、現世への絶望が、溝口を、現世の美として目の前に存在する金閣寺への放火へと向かわせる。
炎上する金閣寺、が目の前にあるわけではないのに、なぜかその光景を肌で感じられる、素晴らしい演出に圧倒された。

うん。こういう演出、ニューヨーカー好みだよね(笑)

でも、こういうすごい舞台を観てしまうと、しげさんや横山さんにもこういう舞台に立ってほしいと思ってしまうのです。

本当に素晴らしい舞台でした。最後が上手くまとまらなくてスミマセン。



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