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3月11日(金)続海賊

2011-03-11 11:40:59 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)


海賊と言うと髑髏マークの旗を掲げた船に荒くれ男どもが乗り組んで財宝を積んだ船を襲う図を想像する。16世紀後半に始まったイギリスとスペインの戦争では国王公認の海賊船が相手国の船を襲って略奪行為を公然と行った。

そうした私掠船の船長で歴史に名を残した人も多い。中でもイギリスで有名になったのはJ.ホーキンズ、F.ドレーク、M.フロビッシャーなどである。1588年スペインの無敵艦隊を撃退したのもイギリス艦隊を指揮した海賊出身の船長たちであった。

イギリス・スペイン間の抗争が収まり、ヨーロッパに平和が訪れると、私掠航海のうまみがなくなった。そこで海賊は新天地を求めてアメリカ海域に進出する。イギリス・フランス・オランダなどの海賊船は、カリブ海域で植民地から本国へ財宝を運ぶスペイン船を襲って荒稼ぎした。

海賊の活躍場所はヨーロッパやアメリカばかりではない。アラビア近海も古くから海賊の巣であった。特にホルムズ海峡のアラビア半島沿岸は「海賊海岸」の異名があるほどアラブ系海賊が暴れまわる海域だった。

海賊の活動範囲はさらにインド、マラッカ海峡と東にもおよび、唐・宋時代には中国との貿易船を狙う大海賊団が福建・広東沿岸に出現している。

さらに東、日本にも海賊はいた。中世から近世初めにかけて九州・瀬戸内の海上交通を支配した武士団は海賊に他ならなかった。彼らは「海賊衆」と呼ばれ、守護大名や戦国大名と主従関係を結び、「水軍」という海上軍事力を担った。

これらの古典的海賊は近代国家の成立とともに大半は消滅した。しかし海に面した貧困国の住民は危険を冒しても海賊行為に生きる道を探る。現代の海賊はまさに貧困の落し物なのだ。