3月16日(水)水のありがたさ
昨夜から雪が降っている。被災地の方々には無常の雪だろうが、水不足に悩んでいる者にとっては恵みの雪である。家内が大きな鍋とバケツにきれいなところを選んで詰め込んできた。溶ければほんの少しの水が得られるだけだろう。それでもないよりは増しである。飲み水には使えなくても食器を洗ったり雑用水としてなら使える。
電話が通じるようになって様々な方から見舞いの電話を頂いた。遠くは九州から、5年間住んでいた西宮からも多い。テレビで仙台もひどいことになっていると心配してくれたのだろう。わが家は飲み水が気がかりなだけで、被害らしい被害もなかったので、その旨お伝えした。住所だけでは津波が来る場所かどうか判断できないだろうから余計な心配をかけてしまった。
清潔な水のありがたさを今度ほど身に沁みて感じたことはない。出しっぱなしの温水で食器を洗うなんて何と恐ろしいことをしていたのだろうと思う。水に恵まれた日本であるが、昔の人は水を無駄にせず大事に使っていた。
ご飯を食べ終わったら茶碗にお湯を注ぎ、タクアンなどを使ってご飯のネバを洗い、その湯を飲むのは当たり前だった。台所に下げたほとんどの食器はすすぎ洗いだけで済んだのである。油分が付着した皿の類も不要になった紙で拭いてから最小限の洗剤と水で洗った。
この度の大地震は、贅沢な生活に慣れた者への鉄槌であったかも知れない。元通りの生活ができるようになっても、水も電気も節約に努めようと思う。
昨夜から雪が降っている。被災地の方々には無常の雪だろうが、水不足に悩んでいる者にとっては恵みの雪である。家内が大きな鍋とバケツにきれいなところを選んで詰め込んできた。溶ければほんの少しの水が得られるだけだろう。それでもないよりは増しである。飲み水には使えなくても食器を洗ったり雑用水としてなら使える。
電話が通じるようになって様々な方から見舞いの電話を頂いた。遠くは九州から、5年間住んでいた西宮からも多い。テレビで仙台もひどいことになっていると心配してくれたのだろう。わが家は飲み水が気がかりなだけで、被害らしい被害もなかったので、その旨お伝えした。住所だけでは津波が来る場所かどうか判断できないだろうから余計な心配をかけてしまった。
清潔な水のありがたさを今度ほど身に沁みて感じたことはない。出しっぱなしの温水で食器を洗うなんて何と恐ろしいことをしていたのだろうと思う。水に恵まれた日本であるが、昔の人は水を無駄にせず大事に使っていた。
ご飯を食べ終わったら茶碗にお湯を注ぎ、タクアンなどを使ってご飯のネバを洗い、その湯を飲むのは当たり前だった。台所に下げたほとんどの食器はすすぎ洗いだけで済んだのである。油分が付着した皿の類も不要になった紙で拭いてから最小限の洗剤と水で洗った。
この度の大地震は、贅沢な生活に慣れた者への鉄槌であったかも知れない。元通りの生活ができるようになっても、水も電気も節約に努めようと思う。
2011年3月17日(木)被災者に希望を
真冬のような寒気が地震の被災地を襲った。雪が降ったところも多い。避難先で暖をとる術もなく寒さに震えながら眠られぬ一夜を過ごした方が大勢いたに違いない。お年寄り一人が亡くなった。せっかく生き延びて避難したのに寒さが引きがねになったのかもしれない。
戦後のラジオ放送で「尋ね人」と言うのがあった。戦火や外地からの引き揚げなどで消息が分からなくなった身内や縁者・知人を探す番組である。どれぐらいの期間続いたか忘れてしまったが、来る日も来る日も消息不明の人への呼びかけが続いた。
今度の地震の被災者も連絡が取れなくなった肉親や知人の消息を知ろうと必死だ。何箇所もある避難場所を巡り歩いて探す人、確認された死者の氏名を書き記した張り紙にじっと目を凝らす人、津波で跡形も無くなった瓦礫の間を手がかりを探してさ迷う人など痛々しい映像が映し出される。
そうした人たちに比べたら、断水で水道水に不自由しているとはいえ、自宅で生活でき温かい寝具にくるまって眠れるだけでも何て幸せだろうと思う。被災地へ通じる道が寸断されて、救援物資が届かない避難所もまだたくさんあるようだ。道路が不通なら海から、あるいは空から生きるために必要な物資を届けることができないのだろうかとやきもきする。
原子力発電所の事故は重大な問題ではあるが、被災者が今どんな状況に置かれているのかの報道が疎かにされてはならないし、それにも増して救援物資の一日も早い輸送と、被災者を勇気付ける情報提供を急がなければならない。
昨年チリの鉱山落盤事故で地下に閉じ込められた人たちが全員救出された。彼らが長い間暗闇の中で待つことができたのは、必ず救出すると言う希望のメッセージが地上から送られていたからである。地震発生から一週間、避難生活を送る人々への物資は思うように届けられなくても、希望のメッセージは届けることができる。
真冬のような寒気が地震の被災地を襲った。雪が降ったところも多い。避難先で暖をとる術もなく寒さに震えながら眠られぬ一夜を過ごした方が大勢いたに違いない。お年寄り一人が亡くなった。せっかく生き延びて避難したのに寒さが引きがねになったのかもしれない。
戦後のラジオ放送で「尋ね人」と言うのがあった。戦火や外地からの引き揚げなどで消息が分からなくなった身内や縁者・知人を探す番組である。どれぐらいの期間続いたか忘れてしまったが、来る日も来る日も消息不明の人への呼びかけが続いた。
今度の地震の被災者も連絡が取れなくなった肉親や知人の消息を知ろうと必死だ。何箇所もある避難場所を巡り歩いて探す人、確認された死者の氏名を書き記した張り紙にじっと目を凝らす人、津波で跡形も無くなった瓦礫の間を手がかりを探してさ迷う人など痛々しい映像が映し出される。
そうした人たちに比べたら、断水で水道水に不自由しているとはいえ、自宅で生活でき温かい寝具にくるまって眠れるだけでも何て幸せだろうと思う。被災地へ通じる道が寸断されて、救援物資が届かない避難所もまだたくさんあるようだ。道路が不通なら海から、あるいは空から生きるために必要な物資を届けることができないのだろうかとやきもきする。
原子力発電所の事故は重大な問題ではあるが、被災者が今どんな状況に置かれているのかの報道が疎かにされてはならないし、それにも増して救援物資の一日も早い輸送と、被災者を勇気付ける情報提供を急がなければならない。
昨年チリの鉱山落盤事故で地下に閉じ込められた人たちが全員救出された。彼らが長い間暗闇の中で待つことができたのは、必ず救出すると言う希望のメッセージが地上から送られていたからである。地震発生から一週間、避難生活を送る人々への物資は思うように届けられなくても、希望のメッセージは届けることができる。