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3月19日(土)身に沁みる親切

2011-03-19 15:01:16 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
3月19日(土)身に沁みる親切

飲み水に不自由していると書いた小生のホームページを見たのか、水道が出る宮城県南西部の小都市に住んでいる甥が、ポリタンク二つとクーラーボックス1個に入れた飲料水を車に積んで運んで来てくれた。ホウレンソウ、タマネギ、キュウリ、ニンジンなどの野菜、リンゴ、4種類のキノコも一緒である。まだ近所の店も閉まったままなので大いに助かった。

給水所からペットボトルへ水を汲んできて下さる人、卵を分けてくださる人など、ご近所の方々のご親切が身に沁みてありがたい。こちらは、していただくばかりで何のお返しもできないのが心苦しい。仙台市のライフライン情報によると、小生の住んでいる地区の水道復旧は今月末日だという。

まだ2週間も先だが目途がついただけ良しとしなければなるまい。ガスは復旧の見通しさえ立てられない状態だという。下水処理場も甚大な損害を受け、当分は水槽で沈殿させた汚水の上澄みだけ消毒して海に流す応急措置で対処するという。

被災地への救援ルートは徐々に通じるようになったが、ガソリン不足が輸送の足を引っ張っている。幸い奥羽本線など日本海側の鉄道で青森を迂回して盛岡まで達することができるそうなので、盛岡まで各種燃料や物資を大量に運べることになった。救援物資を積んだトラックが動き出し、寒さに震えている被災者のもとへ一日も早く灯油が届くよう願っている。

避難所生活が長くなれば、からだの不調を訴える人も多くなるだろう。持病の薬が切れて病状悪化を恐れる人もいるに違いない。また健康な人でも心労で精神的に参っている人だっているはずだ。そうした人々への支えになるカウンセラーは配置されているのだろうか。飲み食いだけでなく心のケアも災害時の大事な仕事である。その辺の情報が伝わってこないのが気がかりである。

シベリア抑留を歌った「異国の丘」と言う歌があった。その中に「我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ 帰る日が来る朝が来る」という一節があったように記憶する。被災者の方々も、絶望的な状況の中でも諦めず未来を信じて強く生きて欲しい。

3月18日(金)情報弱者

2011-03-19 15:01:16 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)


災害に遭ったとき、いちばん不安なのは今後の見通しが立たないことだろう。しっかりした情報が不足すると不安がつのる。今日は食べ物がなくても明日になれば炊き出しが始まるとか、一週間以内には電気が通じるだろうとか言った情報が伝われば、不自由な生活に耐える力を人間は持っている。それが昨日触れた希望のメッセージである。

今度の震災でその点がうまく機能していたかというと、必ずしも合格点は与えられないようだ。自治体はライフラインの復旧状況や給水を受けられる場所などについて懸命に情報を流しているが、大災害の場合にはその情報を受け取れない大勢の人々がいることを忘れてはならない。

特に気になるのは、家が破壊されずに済み一見被災地とは見えない地域に住んでいる、一人暮らしで近所付き合いもないお年寄りである。町内会や民生委員が日ごろから実態を把握していればいいが、ツンボ桟敷に置かれた老人はどうすればいいのか途方にくれるだろう。

大勢の人が集まる避難場所には行政の目が向くけれども、自宅で食べ物も飲み水もなく困ってしまう情報弱者もいることを忘れないで欲しいのである。そういう人々は自ら声を上げることもしないから、救援の手を差し伸べることが難しいと思うけれども、今度の災害を教訓にぜひセーフティーネットを広げて欲しい分野の一つである。

ピ-マン

2011-03-19 01:11:36 | ★①よろず何でも忘備ノ-ト★
ピ-マンエドワード・ウェストン作
アメリカ生まれの有名な写真家。この人の写真好きだ。
8×10インチのカメラを使い、絞りはF64にして、じっくりと撮影したものである。
1886年生まれで,1958年に死去している。もちろん,写真は白黒の写真である。

http://bestof.at.webry.info/200707/article_30.html

http://homepage.mac.com/mimura3/hpm/HPMIMURA/webal.html