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5月25日(火)雨の日の乗り物

2010-05-25 12:34:52 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)
5月25日(火)雨の日の乗り物

天候の変化が目まぐるしい。昨日は所用で午後に外出したが。嵐のような横殴りの雨で傘は役立たず、びしょ濡れになった。雫が滴り落ちる傘を持って乗客が乗り込むのでバスの中もびしょびしょ。何とも気持ちが悪かった。幸いバスが空いていたので濡れた傘を押し付けられることはなかったが、満員だったらと思うとぞっとする。

最近は市中心部では屋根をかけたバス停が多くなり、バスを待つ間に傘の雫を切り他人に迷惑をかけないように準備することも出来るようになったが、傘をさしてバスが来るのを待つ停留所ではどうしようもない。間もなく始まる長い梅雨時の外出を考えると憂鬱になる。

乗り物内の不快感を軽減する方法はないものだろうか。濡れた傘を包み込むカバーを持ち歩くことぐらいしか思い浮かばない。デパートや銀行など大勢の人が出入りするところに備え付けられている透明の袋のようなものである。あれを傘の柄に結び付けておけばいつでも利用できる。ただで手に入るものだから大いに活用しようではないか。

同時にバス会社にお願いしたいのは梅雨時にバス内の湿度を下げる工夫である。大概のバスは冷房装置を備えるようになった。家庭用のエアコンには除湿機能がある。バスの冷房装置も同じ機能がついているのだろうから、雨の日は除湿運転をしてもらいたいものだ。そうすれば乗客は気持ち良く過ごせるし窓ガラスが曇って外が見えなくなることもなくなる。

経費の問題が付きまとうけれども、冬の暖房を止めればひねり出せるのではなかろうか。冬に外出する人はそれなりの防寒対策をしているのだから車内の暖房は本来要らないものだと思う。暖房はエンジンが発する熱を利用しているのであれば話は別であるが。

生きている意味がわからない

2010-05-25 09:04:38 | ■⑪大事な言葉★観たい映画★
生きているんじゃなくて、生かされていることを自覚しようよ。
世の中の自然がなくちゃ、生きてないし、親がいないと、生きてない。

いい生活がしたい、人に愛されたい。そんなもの全部エゴですよ。
やりたいこと、やってれば、いいじゃん。

もしかして、鬱って、生甲斐がないことと、願望叶わないことの不安に、エネルギーを使いすぎて、苦しくなるのかな?

んじゃ、生きている意味を探すことを生甲斐にしたら?
何が、人を生きる原動力にするのか?それを、探求するだけでも、楽しいかも?
あ!俺がやってることか!?
なぜ人は、結婚願望なんてものに、うつつを抜かすのか、探求してみたら?

女に足りないのは、探究心。
男に足りないのは、・・・おッぱい?判らん!誰か教えて。
ちょっと遠まわしの言い方をしてしまってごめんなさい。それなりの生活を送らなくてはいけない、っていう意味ではないです。それは寂しい事です。

私の母は、今でも安定剤が手放せない不安定さがありますし、子どもの頃は、母は寝たきりで外に出られなくなってしまっていました。何年かそんな生活が続いていましたが、父が思い切ってお店を始めて荒療治ですが一緒に仕事を始めたのがきっかけで良くなりました。だから、そんな事はないと思います。私のまわりでも、自分を含めて同じような症状の人は案外います。

人と比べて今の自分は。。。と思ってほしくないな、と思ったんです。いろんなしがらみ(固定観念)から開放して、あなたのいい所をもっと見つけてほしくていろんな事を書いてみました。そこから、何かが始まる気がしたので。応援しています!

荒療治ですか。
以前体調が悪い時に、思い切って2泊3日の旅行をしたんですね。
その時は、昼間も起きていられるし、何とかなるじゃない、という感じで、その後すぐに仕事を始めました。
今回は、先日1泊2日の旅行をしたのですが、暇があれば寝ている状態で、疲れて疲れて仕方なかったです。
今回は前回とは違うんだなと痛感しました。

30代前半で長年うつ病。
仕事ができなくなり生活保護を受けることになりました。

そのお気持ち、すごくよくわかります。
私も今までうつ病のせいで両親にも見捨てられ、
彼氏にもさんざんフラれてきましたから・・・
それに、「30過ぎてまわりはどんどん結婚してくのに、
自分はうつ病で結婚したくても自信がない」ってゆう
同じような不安もいつも持っています。

でも意味のない人生なんてない、と私は思います。

例えば、転んだ時の痛みは
転んだ人にしかわからないように、
私は今、midori0808さんの苦しみが痛いほどわかるから、
心から応援したいし、早く元気になってほしいと思っています。
midori0808さんだってうつ病に苦しみながら
頑張って生きてるからこそ、
うつ病の人はもちろん、いろんな人達の悲しみ・苦しみを
誰よりも深く理解してあげられるんじゃないですか。
それだけでも生きている意味は十分あるし、
むしろmidori0808さんという一人の人間を
必要としている人がきっといるはずです。

私だってmidori0808さんのように
同じ病気、同じ悩みを持った人がいるってだけで心強いし、
「私も負けずに頑張ろう!」って気持ちになります。
だから焦ったりしないで、
お互い少しずつ病気を治していきましょうね!

それから、うつ病や精神病の人達が集まるサイトがいくつかあります。
そこでチャットしたり、掲示板に書き込んだりしてみてはどうですか?
同じ仲間達と話すだけでもだいぶ元気がでますよ。

毎日同じ時間に起きて、朝一で素っ裸で太陽の光を浴びてみてください。騙されたと思って。
多くを期待せず、昨日より起きていられた自分を誉めてください。バランスの良い食事を摂ってください。
その後ボランティア活動に目覚めてみては?
自分がいて喜んでくれる人がいると実感湧きやすいですよ。大事なのは視野を広げる事です。

雑阿含経

2010-05-25 08:44:27 | ■⑪大事な言葉★観たい映画★
『』などの古い経典では

「一切行無常」(sabbe-saMkhaaraa-aniccaa、sarva-saMskaara-anitya)
「一切法無我」(sabbe-dhamma-anattaa、sarva-dharma-anaatman)
「涅槃寂滅」(nibbaana-vuupasanna、nirvaaNa-vyuupasaama)
という三つの事柄は明らかに説かれているが、「三法印」とは呼んでいない。

龍樹の著作といわれる『大智度論』巻十五では、まだ煩悩を十分に絶滅することができないで、有漏道(うろどう)にあって無漏道を得ていない人々が「三種法印」を信ずべきである、として「一切有為生法無常苦印」・「一切法無我印」・「涅槃実法印」の三法印を示している。また巻二二では「仏法印に三種あり、一には一切有為法念々生滅し皆無常なり、二には一切法無我なり、三には寂滅涅槃なり」といい、これを「一切作法無常印」「一切法無我印」「寂滅印」とよんでいる。この部分が龍樹自身の著作であるとすれば、三法印はすでに龍樹時代に成語化されていたといえる。


雑阿含経

2010-05-25 08:44:27 | ■⑪大事な言葉★観たい映画★
『』などの古い経典では

「一切行無常」(sabbe-saMkhaaraa-aniccaa、sarva-saMskaara-anitya)
「一切法無我」(sabbe-dhamma-anattaa、sarva-dharma-anaatman)
「涅槃寂滅」(nibbaana-vuupasanna、nirvaaNa-vyuupasaama)
という三つの事柄は明らかに説かれているが、「三法印」とは呼んでいない。

龍樹の著作といわれる『大智度論』巻十五では、まだ煩悩を十分に絶滅することができないで、有漏道(うろどう)にあって無漏道を得ていない人々が「三種法印」を信ずべきである、として「一切有為生法無常苦印」・「一切法無我印」・「涅槃実法印」の三法印を示している。また巻二二では「仏法印に三種あり、一には一切有為法念々生滅し皆無常なり、二には一切法無我なり、三には寂滅涅槃なり」といい、これを「一切作法無常印」「一切法無我印」「寂滅印」とよんでいる。この部分が龍樹自身の著作であるとすれば、三法印はすでに龍樹時代に成語化されていたといえる。


何を信じるか

2010-05-25 08:32:01 | ■⑪大事な言葉★観たい映画★
何を信じるか

一言で言えば、信仰の対象が違うということですね。キリスト教はイエス様ですし、仏教はお釈迦様、儒教は孔子さま、イスラム教はマホメッドということですね。そうそう神道は天の御中主さまですね。みなさん神様ですが多少の個性があるということですね。そこで霊界ではどのような位置づけかが判ればもう少し参考になるでしょう。
霊界で一番えらい神(仏)様は釈迦大如来様です。右手下にイエス様、左手下に孔子様という序列です。マホメッドはもう少し下の序列にいます。これが実際の序列ですね。はっきりいっておきましょう。すべての神は釈迦大如来に従っているのです。つまり釈迦大如来が霊界の社長です。仏教でいう親鸞、日蓮さん他はずっと下の梵天や菩薩界というところの神様です。どの信仰対象つまり宗教を選んでもかまわないんですけど、目指すは一番であれば、釈迦大如来を信仰の対象とするのが一番いいですね。現状はどの宗派も教えのレベルは菩薩界ていどですから個性がありさらに間違いがいっぱいありますので混乱するのは当然だと思います。細かい雑音は気にせずまず信仰の対象を誰にするかを決めればいいことだと思います。自分の個性にあった信仰対象がいいのかもしれませんね。

悪魔の辞典っぽく書くと

キリスト教
まず神ありきで始まった宗教的宗教
多くの宗教を取り込みながら同時に
様々な儀礼と世界観を取り込んでいった
そこには欧州の侵略の歴史が見え隠れする

仏教
空の哲学であったものがいつの間にか宗教にされてしまった宗教
各地に広まるうちになんだか土着の宗教や後付けの思想を
いろいろと取り込んだせいでキリスト教より
消化不良を起こしてしまっているカオスな宗教でもある



仏教についてはとりあえず
『三法印』を知っておくと理解が早いかと思います
『諸法無我』『涅槃寂静』『諸行無常』

仏教って言うのはとりあえず
神様仏様云々よりまずこれなんです

キリストの釈迦もムハマンド?マホメット?も、彼らの時代に彼らが見える範囲の人間が、【現世において幸せに暮らす為の教え】を説いていると解釈しています。故に本質は同じだと思います。
 開祖は皆、神の子、神の使いのように言われますが、実際は一人の人間、聖人と呼ばれるにふさわしい一人の人間が苦悩の末にたどり着いた教えだと思います。

 聖書も仏教の経典も、開祖は残していません。後世に弟子たちが残しました。更にその後、政治の力により歪曲されて説かれた部分があると思います。「黙示録」の利用など典型でしょうね。

 キリスト教と仏教の違いですか、一般に一神教か多神教かの違いですね。また「神に祈り全てをゆだねる」と、一部の仏教の宗派ですが「己を磨き神の領域に近づこうとする、神の真理を知ろうとする」の違いでしょうか。

 人の本質は「欲」であり、その「欲を善い事に使う」為に、ご自身にとって理解しやすい宗教を学ばれてはいかがでしょうか。

>「神に祈り全てをゆだねる」
これです。私がよく違和感を感じたのは。
どうしてもゆだねることができなかったんです。

未来は自分で切り開くものって頭の中にインプットされてたし・・・

「欲」そう、この欲ってものに悩まされてます。

回答ありがとうございました。

iPadとは何か?

2010-05-25 06:52:02 | ■⑪大事な言葉★観たい映画★
iPadとは何か?
Mac, 家電

1.キーボードがなく誰でも使える直感的なiPad → Universal Computer

iPadを見た時、機械オンチの母に薦められるパソコンがやっと出来たと感じた。母に機械を使わせるとボタンが二つ以上あるとダメなのだ。携帯も教えるのも大変だった。その点から見るとiPadは、非常に素晴らしい。ボタンが一個しかない。iPadでもタッチパネルにボタンが出てくるじゃないかと思われるかもしれないが、ディスプレイに表示されるボタンは、キーボードと違って、GUIで装飾されているため、それが何のボタンか分かるようになっている。母はボタンの意味でつまずくのだ。そういう母に合わせて家の家電製品はとにかくボタンの少ないものを選んでいる。(最近のボタンの多い家電製品は母のような人間を無視している)
 

2.どんな状態でも使えるコンピューター → Always Computer

これは、前かかみになってパソコンを操作している人達を見れば分かる。彼らはパソコンを使うために座って膝の上に乗せなくてはいけない。しかも大抵が低品質なTNパネルなため、見る姿勢をパソコンに強制される。しかし、iPadの液晶は広視野角のIPSパネルなので、見る角度を強制されないから、自由な姿勢で見られる。つまり、ソファに座ってリラックスしながらネットサーフィンという状況が生まれる。ノートの前で前かがみになって見にくいディスプレイを猫背で眺めるよりも遥かに健康的だ。また、ノートは、その構造上、立って操作する事が出来ない。その点、タブレット型のiPadは立って操作が出来る。これが何を意味するかと言うと、使う場所が制約されないと言う事だ。従来でも携帯が、そういう機動性能を有しているが、携帯は画面が小さく、表示性能に限界がある。つまり、iPadは、どこでも使えるリッチなコンピューティング環境と言える。680gとノートに比べれば軽いので持ち運びやすい点も重要。つまり、軽くて使う場所を選ばず、画面も大きい事からAlways Computerと言えるのだ。従来のノートPCは「常に」使える状態ではなかった。なぜなら、座る場所がなければ操作できないからだ。必ずPCを置く場所を必要とするので、常に使うために必要なシチュエーションを選ばない状況ではなかったのだ。
 

3.紙の代替となりうるコンピューター → Electronic Paper

従来のノートPCは、書類の表示に適していなかった。なぜなら、縦長の書類を表示するには解像度が足りない上に画面も小さかった。高級機で解像度を満たしていても、画面が小さすぎて、文字の視認性が著しく劣っていた。つまり、1枚の書類をまともに表示できないノートPCは紙の代替としては半人前だったのである。また、持ち運びもPCは重くて、使う場所を選び、紙としては不便だった。要するにノートPCはノートPCでしかないのである。従来のタブレットコンピューターとの違いは、片手でギリギリ持てる680gの軽さと、10時間というバッテリー持続時間、それに対して大きく美しい画面を備えたバランスの整った仕様である。従来のものが一部を備えていても、これほどきちんと調和のとれたスペックの製品は未だかつてなかった。その完成度の高さが紙の代替として評価する理由である。
 

 NOTE PCとの違い:紙のように使う場所を選ばないモビリティと高品位な表示品質
 kindleとの違い:カラーvsモノクロ(カラー印刷の再現が可能)
 携帯との違い:画面の大きさ(1枚の書類(紙)を見渡せる画面の大きさと解像度)
 

つまり、従来のどの製品にもない紙に近い特性をハイレベルで整えているバランスの良さがiPadの特徴である。そのために独自のCPUや高画質なIPS液晶などを備えている点が特筆すべき点である。紙の代替になるので、普及したらプリントアウトせずに「Pad Out」なんて造語も出来るかもしれない。
 

4.何にでもなる柔軟性を外に持ち出せる → True Mobile Computer

実質的にはコンピューターなのでソフトさえあれば何にでもなる。インターネット、メール、ゲーム、本、テレビと、ジャンルを選ばないトータルメディアコンピューターと言うべき存在だ。従来のPCとの違いは、紙のニーズと融合したコンピューターと言う事である。紙の上でダイレクトにやれたらなということが素直にできる構造である事だ。勿論、それは大きなモニターがあれば、従来のPCでもできた。しかし、それを縦表示にする事で外に持ち出して出来るようになった事が重要なのだ。しかも、持ち運べる重さの範囲内でそれを実現した事が大きい。従来のものは重すぎてダメだった。軽くても画面が小さかったり、何か一つ欠けているものがあり、不完全だった。
 

5.バランスの良いスペック(疲れない操作体系)

さて、iPadの肝は、個々のスペックよりも、それを組み合わせたバランスの良さにある。そこで、そのバランスについて述べる。従来のものは、表示品質が低すぎて長文を読むのには向かなかった。だが、私は昔、iBooksの画面のようなテキスト表示ソフトを作った事があるので、紙がなぜ読みやすいのか知っている。(自作のソフトは未完成だったので公開はしなかった。ちなみにMacOS 9)紙が読みやすいのは、紙がオフホワイトであるからだ。完全に真っ白の画面は眩しすぎて読みにくいのだ。だから、このblogのバックは、白ではない。多少暗くしている。そうする事で長文を読みやすくしているのだ。(テキストエディタの背景色の設定をグレーにしてみると分かる)さらにもっと言えば、スクロール操作は面倒だということだ。ページ表示の方が遥かに検索性が高く、操作の手間も少なくて済む、スクロール操作の嫌なところは、画面が動くので、今まで読んでいた部分を探さなければいけないのだ。これを繰り返すと目と神経が疲れる。ページ送りの場合、その部分が固定されているので、疲れずに読む事が出来る。
 

だから、iPadを買って電子本を読む人は、PCで文章を読むのと違って読みやすいと感じる筈だ。私は、自分でアプリケーションを作って表示させていたから、よく分かる。PDFでも同様の事が出来ると思うだろう。確かにできる。しかし、殆どのPDFは真っ白な背景であり眩しくて目が疲れるのだ。大事なのはバランスだ。それが欠けていると、疲労が大きくなる。それにPDFのファイルはページ送りがトロい。0.3秒以内にページがめくれないとダメだし、画面を開いた時にインターフェースがゴチャゴチャしているなんて、読書環境としては最低、ナンセンスだ。操作性もボタンがあるところまでマウスを持っていかなければいけない。だが、iPadだと普通の本と同じように使う事が出来る。これって重要。わたしの母でも使えるし、私自身も小さなボタンに意識を集中するよりも大きな電子ブックの縁をタッチパネルで操作する方が楽だ。小さなボタンをマウスで操作するのも結構疲れるのだ。(それは動作を検証してみれば分かるだろう。マウスを動かすときの腕の動きと、タッチパネルを使う時の手の動きの量を見れば一目瞭然だ。指先で直感的に操作できるiPadの方が運動量も、神経も両方とも軽微である事が分かる。微細な違いと思うかもしれないが、これを何回も繰り返すと大きく違ってくるのだ)
 

まとめ

私はiPadの仕様と画面を見ただけで、クオリティコントロールがしっかりしていると分かった。わたしに言わせると「よくわかってる」という評価だ。従来のソフトもハードも、この完成度には遠く及ばなかった。だから失敗した。だが、iPadは成功するだろう。なぜなら、使ってみたら、その快適さに気づくだろうし、値段も高くない。安くて使ってみていいものは、普及する。iPodのように。機能だけを見て評価している人は実際に使ってみると、長文を読んでも、なぜか疲れない事に驚きを感じるだろう。それを実現する細部に対するこだわりが、使ってみて分かるからだ。そして、紙を不便だと思う時が来るかもしれない。そういう意味では初めて紙のように使えるコンピューターが登場したと言えるのかもしれない。紙の地位を脅かす存在と言えるだろう。そして、紙が無くなるということは、それに付随するオフィスの存在や、メディアの形すらも変容させる可能性を秘めている。今までは、完成度が低くて、侵食する事はなかったが、iPadの登場で、それが変わる状況になったと言える。そういう意味でiPadとは革命的な紙(Revolutionary Paper)と言えるだろう。