一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

マーチフォーライフ2018に参加して

2018-07-17 13:37:42 | 生命問題
昨日は毎年恒例の生命(胎児)のための行進をしました。その報告を少し。マーチフォーライフは日本では五回目に当たるそうで、年々参加者も増えております。今回は外国人の参加者が非常に多かったです。昨年よりも多くの人の参加で嬉しく思いました。私たちの聖主もお喜びになったに違いありません。
まず16時に築地教会に集まりました。

15時から築地教会ではミサがあって司祭団の退場で外国人の司祭達が教会の扉から出てこられました。
その後ファティマのマリア様が到着されました。


ここで集まった人のテンションは上がります。聖母行列です。それも大都会の中マリア様が祝福して行かれるのですから、大きなお恵みを確信する瞬間です。
この日イエズス会の最高齢(90を越えておられます)の神父様も来られていました!少しお話しましたがすごく元気な方です。高齢なのに皆さんの暑さの心配をされてました!
主催者の挨拶そして司祭の挨拶と祝福を受けマリア様といざ行進です。

皆様の心配通り確かに暑いです。しかしです、闇に葬られ、子宮内で殺された赤ちゃんはゴミ箱に捨てられていることを考えるとこの暑さは、本当に大したことの無いように思いました。
そして築地教会から日比谷公園まで、途中銀座など人通りの多いところを歩いていきます。

行列は基本五列になって歩きますが、昨年よりも長い列でした。
後方は聖母マリア様が私たちの長い列をご覧頂き、私たちは各グループでロザリオを唱えて歩きました。ファティマのマリア様の歌も歌いながら。

完全にこれは証人(あかしびと)ですね。最後の方はラテン語でイエズス様とマリア様の連祷を歌い、あっという間の3kmでした。


胎児が助かるのならもっと歩きたいくらいでした。日比谷公園に着きました。
まずある神父様が英語で祝福されると、聖ピオ十世会の小野田神父様が呼ばれてラテン語で聖水で行進された方を祝福されたのが印象的でした。

今回改めて参加して気がついたことは小野田神父様以外で行進に参加された司祭に邦人司祭がいなかったことが少し残念というか悲しく思いました(すみません。いたのなら教えて下さい)
参加者も半数は外国人の方。前田枢機卿様、菊池大司教様の呼びかけに応じて、日本人の信者さんはもっと集まるべきです。日本人の胎児のために外国人司祭や沢山の外国人の方々がこの暑さのために行進して下さっていることに感謝しなければなりません。大きなお腹の妊婦の方も行進していました。マリア様も外国人の方が担いで下さいました。
この世いおいて最も小さき人のために行ったことは主のために行っていることを思い起こしましょう。
イエズス様も胎児でした。もちろん聖人も私たちも胎児だったのです。その最も小さな生命ですが、魂は等しく同じであります。
ワシントンのように100万人規模のマーチフォーライフでなくとも、東京は数千人がまず集まるようにして、マスメディアにもっと取り上げられたらと思います。胎児が一人の人間として私たちの来た道を歩めるように、死因の一位が常に人工中絶というこの異常な死の文化に終止符を打ちたいと思いました。
聖母マリア様私たちのために祈り給え!


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14 コメント

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マーチフォーライフについて (一参加者)
2018-07-18 22:17:44
国籍、性別、年齢様々な方々が沢山参加されとても良い事だと思います。
それぞれ様々な思惑で参加されておられるでしょうが、「カトリック信者」として参加されるなら、このマーチは「償いと犠牲」の為に参加されるべきだと思いませんか?
お腹の中で殺される胎児の霊魂の為に、堕胎を犯す(協力する)人々の霊魂の救霊の為に、これから堕胎を犯そうとする人の改心の為に、酷暑の下で偏見と嘲笑の中笑顔で歩き続ける償いと犠牲と祈りを天主に捧げるべきではないですか?
そしてプラカードや団扇や風船や人数や行進自体が道行く人やネット好きな人や記事を読む人の霊魂に働き掛けると思うのは普通の人です。
カトリック信仰には霊魂に強く働き掛けるロザリオの祈りがあります。
毎日ロザリオを祈り、苦しみの玄義を黙想していればマーチの本当の意味が理解出来る筈です。
何千人、何万人集まっても参加される全てのカトリック信者が祈らなければ変わらないと思いますよ。
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Re:マーチフォーライフについて (ジュゼッペ)
2018-07-18 23:01:20
一参加者さま
コメントありがとうございます。そして先日暑い中お疲れ様でした!たくさんのお祈りと犠牲をお捧げされたのだと思います。
ご存知の通りカトリックの信仰も正しく理解して教えて貰えなければ、神様や教会のことを理解するのは不可能です。
祈りと犠牲は人間側の最大限の努力(善行)によって祈りが聞き届けられます。
今回ブログだけではなく色々な人を誘いました。多くの人は参加は出来ないけど、祈るよと言われた方もおられました。しかし、祈りだけではなく行動にうつして、胎児を守りたい、中絶はいけないことだよ、と訴えたいという人が集まったのだと思います。
学生時代はもちろん、仕事柄多くの人に会うのですが、びっくりすることに多くの人はプロチョイスなのです。堕胎が殺人だとは思っていません。最近では障害児かどうか確認してから堕胎するのがよく取り上げられています。悲しい事に多くの人が賛同するコメントを載せています。ですが、堕胎は殺人ですよ!受精した瞬間それは人間なのですよ!私たちも胎児だったのですよ!まずは胎児を大切にしないと命の大切さを語れないのですよ!これは多くの人が声を上げて知らせるべきです。
一例です。子供を育てたくないまだ結婚したくないと何度も中絶をした女性に、中絶中胎児がどういう行動をしたのか映像を見せたそうです。子宮の中で殺されないように逃げ回る胎児、その後無残に棄てられる一連の映像をみてその女性は涙を流して後悔したそうです。初期の胎児か人間だとは思ってなかった一例です。
割愛しますが、これには色々な背景があって間違った生命倫理と間違った性教育を推し進めたことによって引き起こされた悲しい結果なのです。
ですから、私たちの行動(努力)が多くの人に働きかけられることできたらと思います。
暑い中スータンを着た司祭が祈りながらの行進されている姿を見てると、神様が司祭を送って多くの人が回心する切っ掛けをお作りになってるのだなと思いました。
どなたか存じ上げませんが、来年もご一緒に行進出来たら嬉しいです!
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Unknown (一参加者)
2018-07-19 15:08:46
ジュゼッペさん

御考察ありがとうございます。
本当に中絶する妊婦達は全くの罪悪感も無く吹出物でも取り除くが如く手術を受けるのでしょうか?
体調が変わって妊娠した事に気付いた女性は赤ちゃんが出来たと言いますし、年端もいかない少女でも中絶する事に苦悩します。
中絶した女性が事実を公にしたがらないのも罪悪感の表れです。
人は天主に似せられ象られた事で産まれ持って善悪を判断する性質を持ち合わせています。
もうお読みでしょうがタイムリーなこちらの記事を参考にして下さい。

https://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/51f108130666c57ec0c0a5b633afc74f

では何故悪いと分かって罪を犯すのか、それは利己主義的な倫理観を産み出す人間の自由意志によるものです。
悪いと分かっていながら利己的な倫理観を持って中絶を行う人に悪い悪いと言って止めるでしょうか?
だから堕胎を止めるには天主の完全なる正義の倫理観を取り戻す事、それは天主の恩寵とカトリック信仰しかないのですよ。
人間が沢山集まり自分達の力で堕胎の罪を取り除けると考えるのは少々傲慢ではありませんか?
善を成す力は天主からしか与えられないと思いますよ。

敬具
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プロライフ運動 (ジュゼッペ)
2018-07-19 21:21:43
一参加者さま
アヴェ・マリア!
この世は罪にまみれていますので、堕胎するのにも確かに色々な理由があるのは、ご存知の通りで、一参加者さまのご指摘のこともありますし、本当に初期の胎児が人だと思わない人もいるのも確かなのです。
ですからマーチフォーライフなどプロライフの活動は尊い活動だと思います。
しかし、十戒があるけども罪を犯してしまう私たちがいるように、このような行進をしたところでは、全ての堕胎を止めることは不可能です。当たり前ですね。
結局のところ実は一参加者さまも私も前提は同じところにいます。全ては主の御心には委ねるしかないのです。祈り、犠牲を捧げつつそして努力をします。例えば病気になったからと祈りだけでいいわけでは無いのです。病院に行って治療をしなくてはいけません。出来得ることもしないで、一切を神様にお任せするということは卑怯であり傲慢だと知っているからです。
最も小さな命である胎児のために何か出来ないかと考えて私はマーチフォーライフに参加しました。
ですから深く考える必要はありません。胎児のためにたくさんの人が来ることは私はとても素晴らしい事だと思います。善いことですから。
今回も参加して思いましたがこの行進で得る物は人によって違うとは思いますが、マリア様と行進するのですから必ず大きなお恵みがあると思います。すぐには分からなくとも必ずあとで大きな事だと気がつくはずです。ですから参加する事はとても意義があります。司祭も昨年より多く集まりましたし、今回は議員さんもいたようです。この輪が大きくなればとても素晴らしいと思いませんか?なぜなら一見人間的努力かもしれませんが神様の働きかもしれないのです。
私は一参加者さまより信仰が薄いかもしれません。しかし、多くの人が集まることによって聖母マリア様と行進する事によって、主の御心の働きがそこにあるのではないかと私なりに思うのです。ですから未信者もプロテスタントの方も集まったらいいと思いますよ。きっとカトリックに導かれる人もいるわけですから!
どこに主のお望みがあるか私にはわかりません。しかし、教皇大使、枢機卿様、大司教様、神父様が胎児のために愛徳を呼びかけている以上、私たちが出来るだけ応える事によって神様は多くの物を私たちに与えてくださると私は考えています。
もちろん、その前提に普段の絶え間ない祈りと犠牲そして善行、全てを神様に委ねることの連続無しにして救霊はありえません。
胎児のみならず私のためにもお祈り下さい。
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Unknown (一参加者)
2018-07-21 11:34:14
ジュゼッペさん

一例ではありますが経験談をありがとうございます。

経験談から胎児が人間と思わなかった、中絶が殺人だと知らなかった、そんな人の為にと言われましたが、堕胎を行う妊婦の殆どが無知による行いなのでしょうか?
こんな記事を見つけました。

https://www.huffingtonpost.jp/2016/10/24/poland_n_12621356.html

ポーランドは87%がカトリック信者、ほぼカトリック教国です。
カトリックでは堕胎を禁じており昔なら破門だった事はもちろんご存知ですね。
ポーランドの中絶禁止法は日本に比べて厳しいものになっていますが、より厳格な法案が提出されたのにも関わらず26の地域で10万人の「デモ」が行われた結果、提出した保守議員まで反対にまわり否決されました。
このニュースを見て何か感じる事はありますか?
この国で堕胎をする妊婦やデモを起こした10万人(殆どが女性)は無知(胎児が人間とは知らず中絶は殺人だと思わない)ということでしょうか?

産婦人科に行けば嫌でもお腹にいる胎児のポスターやパンフレット、産婦人科は本来子供を産む場所ですから中絶手術を行う産婦人科医でさえ最初に産む事を勧めます。
人間は自分の都合の悪い事から逃げようとするし都合が良い様に人道的観点を持ちいます。
ジュゼッペさんが話したプロチョイスの方々は中絶は殺人だと説明したら皆さん納得されました?
プロライフになりましたか?
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Re:Unknown (ジュゼッペ)
2018-07-21 17:54:15
一参加者さま
公会議以降多くの国が「キリスト教国」を放棄する中、再びキリスト教国の誇りを取り戻せたらと思います。ポーランドでは一度許してしまった中絶を禁止するために法律を作ろうと立ち上がった法案でしたが、確かに「デモ」で否決されたようですね。しかし、逆に中絶に反対した「デモ」が同じくあった場合中絶禁止法案は可決したのでしょうか?
カトリック信者の多くが「カトリック」を名乗っても、天使や悪魔の存在を信じなかったり、煉獄をもはや信じていなかったり、地獄へ行く人は多くはない、と信じていたり、カトリックのパーセンテージだけでは、果たして中絶が破門だっと知っているかは疑問もあります。
例えば共産党への支持や協力も自動破門に値しますが、平然と共産党に票を入れたという人もカトリック信者の中にはいますから。
現代社会はもはやカトリック信者を表明しても多くのカトリック信者は無神論者と変わらない生活をしていたりします。ミサの出席率、世界的に見る司祭の召し出しの大幅の減少や空っぽの神学校はそれを物語っています。
中絶した人全員に私はインタビューしたわけでは無いのでどのような想いを持って中絶したのか比率は分かりません。しかし、国連の科学者のインタビューの中で「胎児が人間だと分かると多くの人は中絶を躊躇してしまうが、初期の一定の胎児は痛みもないし、脳も知恵も無いので人間として見なさい用に指導せよ」というのを学生時代見たことがあったので、このプロパガンダで多くの人は中絶をしているのだろうなぁと予測をしたわけです。そして実際そのように思って簡単に中絶した人の記事を読んでやはり、悪魔の誘惑、この世の恐ろしさを垣間見えたのでした。
近代主義に染まったカトリック教育を受けた人が、正統信仰に触れて今までの信仰や生活を後悔して改めるように中絶が悪ではないと思ってた人が悪であることを知るためには、何かしらの運動が必要となります。全員は無理でも一人でも助かることが大切です。
あとは胎児が無事に産まれてくるように社会がより良くするのも政治家の役目です。ですから長上のため為政者のためにも復活祭の頃私たちは祈りますね。
聖母行列の聖母を見た人が今でなくともいずれかはカトリック信仰に導かれる光になることも私は期待しています。これは神様の委ねるところです。私たちの祈りや犠牲がどこで実を結かそれは分かりません。思わぬ事で大回心があります。たった一回の御出現で一国がカトリックになるという大きなお恵みがメキシコでありましたが、それまでにプロテスタントの回心を祈ったヨーロッパの人々の祈りと犠牲そして善行の結果だったかもしれません。
マリア様のこの偉大な力を信じましょう!マリア様のお力で多くの胎児が救われるように私は行進しました。多くの人がこの行進に加わってその多くの捧げられたロザリオは必ず大きな結果があります。
来年も多くの人が聖母行列に加われるように!お祈りします!
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日本人司祭はおりました (一支持者)
2018-07-22 18:58:14
今回マーチに参加された司祭が十人で、そのうち日本人司祭が3人でした。2人は去年も参加され、今年はサレジオ会から初参加者が1人でした。

参加された修道女は1人のようで、台湾から来日されたアルゼンチンの方でした。

今回残念だったことは、何故か同日に大阪で司教叙階式が設定されてしまい、大阪方面からの参加者が皆無だったことです。

一参加者の言われることは分かりますが、マーチに参加する人を集めている経験からいいますと、人を集める難しさを余りよく分かっていないようにも見えました。今年5年目でやっと200人を超えたばかりです。来年は、他の参加者ももっと人をマーチに誘う努力をして欲しいです。
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Re:日本人司祭はおりました (ジュゼッペ)
2018-07-23 07:51:07
一支持者さま
コメントありがとうございます!
激暑の中の行進お疲れ様でした。
そして貴重な情報もありがとうございました。確か調布の教会でも活動があったのでサレジアンの方も来られるだろうとは思っていましたが、喜ばしいニュースです。
一支持者さまは主催者側の人ですか?私もなるべく沢山の方を誘いましたが、それ以上の努力をされたのだとお見受けしましたのでその大変さはよくわかります。
中には生命倫理は人類の共通の倫理道徳だからと、神道や仏教界にも声かけをされた人もいたと聞きます。
多くの人がこの行進に加わり聖母行列が出きることを私は祈っています。そして一人でも多くの胎児を堕胎という殺人から免れますように!
また来年に向けて頑張りましょう!
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Unknown (一参加者)
2018-07-23 16:53:53
ジュゼッペさん

「例えば病気になったからと祈りだけでいいわけでは無いのです。病院に行って治療をしなくてはいけません。出来得ることもしないで、一切を神様にお任せするということは卑怯であり傲慢だと知っているからです。」

さて、私はこのコメントを見て…と思いました。
最初から私はカトリック信者を前提としてコメントを書いております。
私は一切を神様にお任せしろとは書いておりませんよね。

まず病気になって病院に行くのは食べる事、寝る事、働く事などと同じ「この世を生きるに必要な事」です。
これらは誰でも人間なら生きる為にしなければならない事です。
でもカトリック信者なら、病気になったらこの痛みや苦しみや困難を天主に犠牲や償いとして捧げる事が行動だと思います。
そして治して下さいと祈るのではなく、天主から与えられたこの十字架を担うる力を与えて下さいと祈るべきだと思いませんか?
私はジュゼッペさんは伝統的カトリック信仰をお持ちでよくお祈りしておられると思います。
でもマーチに関してこれは善い事だ神さまが祝福しているに違いない、と根拠も結果もないままにとにかく人を集めて行動するんだ!と妄信的になってませんか?
マーチを支持するあまりに説明が矛盾していませんか?
集団で何かを行い意思共感し高揚感と達成感によって連帯感が生まれコミュニティに依存してしまうと本来の基礎であるカトリックの本質を見失ってしまいます。
そして達成感やコミュニティとしての連帯感はマーチを行う事自体が目的になりますよ。

私はプロライフの理念は非常にカトリック的だと考えています。
賛成ですし称賛もしています。
また世界的に堕胎が合法か非合法かの分布を見ると北半球はほぼ全面的に合法化されていますが、完全に非合法や厳しい条件下で合法を認めている国(基本的に非合法)は国民がほぼカトリック教徒ということからもプロライフがカトリック信仰から来るものだと考えられます。

中絶を行う妊婦の理由は様々ですが、全ての理由をカトリック信仰が解決してくれます。
例えば、レイブされた全く非がない少女がいたとして妊娠したら中絶したい、させたいと周りも考えると思います。
何故なら暴行や辱しめを受けた上に憎い加害者の子供を産み育てる事は精神的にも肉体的にも経済的にも非常に耐え難い苦痛だからです。
でも伝統的カトリック信仰に基づいてこの世のあらゆる苦難や困難を天主に捧げ犠牲と祈り、罪の償いを持って天国に入る事が人間の最大の目的だと理解出来きればこの大きな苦難も受け入れ中絶を止められると思います。
あなたの敵を愛しなさい、罪を忌み嫌いなさい。
だから私達カトリック教徒が本来のカトリック信仰である犠牲と祈りと償いを示さなければ理解されないと思いますよ。
そして無神論者も未信者も他宗教の方々も中絶反対に共鳴して頂ける事からプロライフ活動がカトリック信仰に導かれる架け橋になれば素晴らしい事だと思っています。

しかしマーチに関してはあまりカトリック的だとは感じません。
この示威運動、示威行動、いわゆるデモ行進はとにかく数を集めて意思、主張を社会に示す行為です。
言わば数と力で威圧的に思想を通そうとする行動はカトリック的にどうでしょうか?
私はカトリック教会が伝統的な教えの中でデモ行進しろと指示や先導した歴史を知りません。
勿論、行動の元になるカトリック的な意思や意向を教皇様や司教様、神父様達が祝福する事は分かります。
ですから周りのカトリック信者がデモ行進に参加せず、家で、教会で、堕胎の罪の為に祈ってますと言う気持ちは非常に理解出来ます。

日本では元々戦前まで堕胎罪として中絶は全面禁止されていましたが、戦後の諸事情で少しづつ緩和され現在は条件付きで合法(実際はほぼ完全に近い)とされます。(経緯は割愛します。)
萬の神の国の日本で堕胎が罪であると国民が認知していた事は人間が持って生まれた善悪の認識を表していると思います。
しかし合法ならこれは国民の権利であり自分の生活を守る為に法に基づく権利を行使する行為に文句は言えません。
しかしマーチフォーライフは日本の法に逆らい中絶を殺人と唱え中止させようとしています。
これ普通に考えれば何方に理があるか分かりますよね。
ですがいくら合法といっても私達カトリック教徒は信仰を捻じ曲げ合法だから罪ではないと信仰に逆らう事も認める事も出来ません。

さてジュゼッペさんも私も中絶、堕胎は大罪であるとカトリック信仰を基に認識していますよね。
でもマーチフォーライフでは中絶を罪とは呼んではいけないそうです。
しかもカトリック教徒に対して罪という言葉はNGなんだそうです。
どういう事でしょう?
日本の法に反してまで中絶に反対する意思があるのに、デモ行進に参加する人を集める為にカトリック信仰を捻じ曲げる理由はどこにあるのでしょうか?
もし、何十人も何百人も引き連れてマーチに参加する団体がマリア像は宗教色が出るから嫌だとか、沈黙の笑顔でデモ行進をするから祈りや聖歌はやめてほしいと言われたら、マーチフォーライフはどうするでしょうか?
ジュゼッペさんは聖母や祈りを禁止したマーチを支持できますか?
もうだいたいお分かりでしょうか。
中絶反対という理念は伝統的カトリック信仰無しでは成立しないのです。
そして合法的に中絶を行う罪人を改心させるのは天主の御憐れみと恩寵なのですよ。
ですから参加される1人でも多くのカトリック信者に堕胎に関わる霊魂の為に犠牲と祈りをお願いしたいと申しております。
とても簡単な事です、猛暑の中を歩く犠牲を捧げロザリオを唱えて下さい。
私も聖母マリアと伝統的カトリック信仰を持つ神父様、そして犠牲と祈りがあるならずっと一緒にマーチを歩きます。
ジュゼッペさんと家族の為に毎日祈っていますよ。

ああイエズスよ、我等の罪を赦し給え。
我等を地獄の火より護り給え。
また全ての霊魂、ことに主の御憐れみを最も必要とする霊魂を天国に導き給え。

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一参加者さんへ (一支持者)
2018-07-23 19:25:56
ここで書くよりも、先ずマーチフォーライフの主宰者Prolife.jpに意見を書くことをお勧めします。カトリック信者ですので、あなたの言われることにも耳を傾けるでしょう。個人的に存じておりますが、マーチフォーライフがカトリック主体となったことは、彼の念願でした。最初の数年間はプロテスタントの方が多かったのです。私は教会やプロライフのイベントの会場を借りる程のことはしておりませんが、マーチフォーライフうを知ってもらい、賛同していただくように努力してまいりました。

参加された全部のカトリック信者がロザリオを唱えながら歩いたわけではありませんが、特に後ろの方からロザリオを唱えたり、聖歌を歌ったりしていたのは聞こえていました。私は真ん中辺りでしたが、プロライフのプラカードを持ちつつ、ロザリオを唱えておりました。

ブロクの記事にもロザリオのお祈りを唱えたと書かれているのに、一参加者は何故か猛暑の中を歩く犠牲を捧げロザリオを唱えて下さいと書かれます。あなたはどこにおられたのでしょうか? 

マーチについて、不満があること自体は私にもわかりますが、余りにも完璧主義になり過ぎです。マーチはまだ5年目で参加者も200人を越えた程度であり、人数的にも霊的にもまだまだ未熟です。私もそうですが、一参加者さんにはもっと忍耐が必要です。

カトリック信者として参加する私たちひとりひとりが、マーチをよりカトリックらしくしていけますように。
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