一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

跪ずく殉教者

2016-10-06 07:44:08 | カトリック
幼い頃母から聞いた話では、昔ある役人があるカトリック信者に、「目の前にあるこの十字架の上を飛び越えよ、そうしたら許す」と言ったそうです。しかしそのカトリック信者はそれを拒否して、むしろその前で跪いて静かに祈ったそうです。するとその首はその場で切られて転がって行きました。
その殉教者は私の母方の先祖様だそうです。この方(彼女)はこの世より天国を選びました。私たちカトリック信者は最終的には天国に行くことを望んでいます。それよりも行かなくてはなりません。カトリック信者のみならず全ての人間は、天国に行かなくてはなりません。そのように主はお望みです。しかし人間には自由意志があるのと、さらに始末が悪いのは原罪の結果罪に傾きやすく、非常に弱いため自由意志が、悪いほうに悪いほうに向かっていきます。神の恩寵が無ければ私たちはもっと無惨な状態なのです。
現代の日本では命を取られる程の殉教にはならないのですが、神への崇拝や崇敬を表さないように、仕向けられることがあります。むしろその行為を禁止さえするようです。以前私はミサ中に跪いて主に祈っていたとき、教会の年配の(老人の方)男性に跪くことをしないように言われました。私はその人と口論になりたくないのと、祈りの途中でもあったので無視をしました。しかし、ミサ後また呼ばれて注意を受けましたが、口論になりたくないのでその場を静かに離れました。
残念なことです。教会内で主を私が教わった、太古の昔からある崇拝の形を禁止しようという動きがあることを知ったのです。それからしばらくして最近では公に禁止されるようになったようです(実際禁止はされていません)。
しかし私は先述の殉教者をいつも思い出します。十字架の前で跪いて殺された殉教者です。しかし私の前にあるのは、主御自身の御聖体です。私は殉教して殺されるわけではありません。殴られたり拷問をされるわけでもありません。ですからたとえミサの間で跪いたとしてもそれは殉教者の跪きと比べても大したことではなく、主に対する忘恩を償うために私はあえて辱めをうけてもいいように現在でも跪いています。

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2 コメント

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ありがとう! (マリア・グラッツィア)
2016-10-12 10:14:29
ジュゼッペさま



こんにちわ、初めまして!

素敵なブログをありがとうございます!



「たとえミサの間で跪いたとしてもそれは殉教者の跪きと比べても大したことではなく、主に対する忘恩を償うために私はあえて辱めをうけてもいいように現在でも跪いています。」の言葉に胸を打たれました。それとともにおのれの信仰の弱さを痛感しました。私は昨年の公の禁止のはじまりから、挫けて跪くことなくミサに幾度となく与りました。ジュゼッペさんのお話を読み、私は人間的な意味で辱めを怖れていたにすぎない卑怯者だとあらためてわかりました。(今は跪きを当たり前とするごミサに与るようにしています。)

信仰を求めて教会に足を運んでもそこで正しい信仰に導かれない不条理への悲しみ辛さをマリア様はじっと見ていてくださり守り導いてくださるようにも思います。カトリック信者はこの世より天国を選びますという言葉も胸にジーンと響きました。ジュゼッペさんの御先祖様の殉教者のお話、ありがとうございます。

実はこのメールの文面は9日に書いていましたが、心の中にしまっておこうと思いました。でも今朝12日のブログを拝見して、気持ちが変わりました。なぜなら、あまりにも素直にお気持ちを伝えてくださいますジュゼッペさんのためにめでたしを唱えるとともに、私も素直に気持ちを伝えたくなったから。他にもたくさんお話ししたいです!
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返信 (ジュゼッペ)
2016-10-12 18:20:53
マリア・グラッツィアさん
私の稚拙なブログにコメントありがとうございます。
逆にそのような謙虚で真摯なコメントに私が心を打たれました。というのは、聖マタイの聖福音10章28節『また、体を殺せても、霊魂を殺せないものを、おそれることはない。むしろ、体と霊魂とをゲヘンナ(地獄)で亡ぼさせるお方をおそれよ。』を強く黙想出来たからです。
弱さを認めることは容易ではありませんし、気がつくこともまた簡単ではありませんね。
一見当たり前のことを単純に行うのは簡単のように思えます。頭で分かってること、信じたことをありのままに実行することは、いざ出来そうで出来ません。なぜならば私達は弱い存在で常に憐れみが必要だからです。ですから、『主にお出来にならないことは無い』ので、信頼して祈るようにしています。私は子供に個人の祈りの後には必ず最後に「全ては主のお望み通りになりますように」と付け加えるように教えています。自分の弱さを認めて主に願う人はなんと幸いでしょう!マリア様のマントの中に私達を守って下さるようにお祈りします。
最後に、お祈りをありがとうございました。この恩は忘れません。あなたのめでたしが、私の家庭に大きな実りになると確信しています。
そしてこれからもコメントなりでも、ただ読んで頂いても、何かしら関わってくださると嬉しいです。
そして特に日々の祈りの時にふと私を思い出して下さればそれ以上の幸せはありません!
これからもよろしくお願いします。
ジュゼッペ
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