一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

美しく綺麗なものを選ぶ

2017-03-14 07:32:06 | クラシック音楽
現代社会は物に溢れる時代だといいます。取捨選択が必要になってきます。しかしだからといって必要なものとそうでない物を決めるとき私たちはどうしたら宜しいのでしょうか。
私が言う「物」というものの中には情報なども含まれています。先の公会議以降、教会ははっきりとした羅針盤や指針を示すのをあえて避けているような印象があるようです。私たちは何が正しいのか分からないけども選択をしなくてはならないことになります。
そこで多くの人は過去の聖人の言葉や行いを通して自己の価値基準とする人もおりますし、先輩カトリック信者の助けを頂く人もおられます。
例えば究明箇条には、霊魂を傷つける事に関する事があります。例えば書物に関しても救霊の妨げになるような本を所有したり読んではいけないことになっています。これらは悪魔が喜ぶ事です。あとは音楽にも気をつけましょう。例えばロックという音楽の起源はあるエクソシストによれば、悪魔崇拝から来たのだそうです。発祥の地は作曲家パーセル以降クラシック音楽が育たなかったイギリスとも言われています。グレゴリオ聖歌のアンチテーゼとして悪魔ミサの音楽がロック音楽というわけです。ロック音楽家の多くは麻薬に手を出すのも自殺者が多いのも頷けるのです。悪魔の力が働いているという見方もあります。従って私たちは目に限らず耳から入る情報も美しく綺麗なもので無くてはなりません。
寂しくBGMでも聴こうと思ったら、クラシック音楽を聴きましょう。クラシック音楽の起源はグレゴリオ聖歌です。心が綺麗になる物を選ぶことを主はお望みです。

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2 コメント

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モーツァルト (抵抗キリシタン)
2017-03-17 07:34:05
オフィスで一人で仕事をしている時はBGMにグレゴリオ聖歌かモーツァルトを流してます。モーツァルトのミサ曲とかは当時の典礼から想像すると、貴族が私的に立てる御ミサで使用した「典礼聖歌」ではないかと勝手な想像をしつつ…
でも、美しいものはいつの世も愛され、時代に媚びたものは時代が変われば廃れていくんでしょうね。
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Re:モーツァルト (ジュゼッペ)
2017-03-17 17:24:57
そうですね。ハイドンやモーツァルトもベートーヴェンも古典派と称される作曲家は、司教に自分の音楽を献上したりするので、司教聖別や
荘厳ミサなどのミサ曲は残されていますね。
そのモーツァルトもグレゴリオ聖歌を超える音楽を作ることは不可能だと言っています。そしてミサ(当時はトリエントミサ)はあらゆる儀式の中でもその美を超越しているとも言っています。トリエントミサの形式上、司祭が通常文を唱えると侍者共に椅子に座りますので、その間に作曲者のキリエやグロリアやクレドが歌われます。サンクトゥスやアニュスデイが聖歌隊によって歌われたとしても、司式者(司祭)は淡々とミサを進行するのみです。現在の参列者共に唱える新しいミサとは違いますね。
カトリックの作曲家で有名なのは、他にはシューベルトやブルックナーやフランクなどがおりますが、プロテスタントの作曲家でもブラームスなどは作曲技法などは凝っていて理論家を満足させてくれます。
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