一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

ひざまずき

2017-05-15 07:59:33 | カトリック
先週13日土曜日にファティマのマリア様の御出現100周年を迎えました。
実はマリア様の御出現の前というのは大抵天使が現れることが多く、ファティマも例外ではありませんでした。
マリア様の御出現の前の年に天使が牧童らにあらわれています。
天使はまず、「自ら先にひざまずき、額が地面に着くまで身をかがめて、(次の※)祈りを三度繰り返しました」とあるように、神様に対する礼拝の姿勢を示されています。それからというもの、3人の牧童は祈るときこの姿勢を真似ました。
天使ははるかに私たちよりも知恵があり、あらゆることを弁えているはずです。従って私たちも被造物の末端としては、天使に倣う必要があります。
しかし知恵も無く高慢で愚かな私達は、被造物であることをしばしば忘れてしまいます。神様が自ら天下りて、パンの姿になられているにも関わらず私達は無関心です。おそらく臨終と裁きのときに、全てが明るみになった時大きな後悔と、誤解に気が付くのでしょう。どなたに対して従順であるべきなのでしょうか。


※天使の祈祷

「ああ天主、我は御身を信じ、崇め、信頼し、愛し奉る。我は御身を信ぜず、崇めず、信頼せず、愛さざる者のための御赦しを願い奉る。」

「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、我、御身を深く礼拝し奉る。世界中のすべての御聖櫃のうちにましまし給うイエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂と御神性を、イエズス・キリスト御自身が受け給う侮辱、冒涜、無関心を償うために、御身に捧げ奉る。イエズス・キリストの至聖なる聖心とマリアの汚れなき御心の無限の功徳によりて、あわれな罪人の回心を御身に願い奉る。」

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4 コメント

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まず姿勢から (抵抗キリシタン)
2017-05-16 10:48:42
聖母月ももう半分過ぎてしまいましたね…

跪くことは、たとえ民族や宗教が違おうとも人間を超えた存在に対する人間の自然な崇敬の気持ちを体現したものと思います。

「日本には跪く慣習がないから」といって、跪きを、ましてや聖変化の際に跪きをしない(させない)という日本のカトリック教会はどこへ行ってしまうのでしょうか…
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その通りです (ジュゼッペ)
2017-05-16 13:39:52
神様の御前で跪くという行動は聖書の中にも出てきます。祈りの中にも出てくるので、習慣が無いから、というのは詭弁です。絶対的御者の前でただ突っ立っているということ自体が高慢ということを私達は、理解しないといけません。跪き自体礼拝を意味していますので、跪くことを禁止するということは、礼拝の禁止と同等なのです。
歴史的にみても、跪くことを禁止したり、嘲笑う人はいずれその報いを受けることになると私は思います。非常に重大な責任から逃れることは出来ないでしょう。
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御聖堂で… (抵抗キリシタン)
2017-05-19 07:31:16
移動中に時間が作れると目的地近くのカトリック教会によってロザリオを捧げるようにしております。跪き台のある教会しか行きませんが…
以前は跪いてお祈りをされていた方を多く見かけましたが、最近はベンチに座ったままの方のほうが増えました。祈っておられるのか休んでおられるのか、外見からは判断できません。
残念ながら昨日も(+_+)お邪魔した教会は駅近交通至便で冷暖房完備です…

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Re:御聖堂で… (ジュゼッペ)
2017-05-21 07:33:23
跪き台のある教会は大分限られていますね。でも跪き台が無くとも私たちの主はおられます。御聖体訪問は主はお喜びになられます。是非続けて下さい。
実は今回の私の異動先の近くにも教会があって時間を見つけて時々御聖体訪問をさせて頂いています。この間神父様を捕まえて告解もお願いしました。このような環境にあることを主に感謝致します!
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