一カトリック信者(ジュゼッペ)の日々想い

聖ヨゼフを愛する一カトリック信者の日々を綴ったブログです。

緊急洗礼

2016-10-25 07:27:39 | カトリック
『我、聖父と聖子と聖霊との御名によりて、汝を洗う』

カトリック教会の教えでは洗礼を受けていない者は天国に入ることはできません。一般的な教会で行われる水の洗礼に対して、実は望みの洗礼も存在します。教会は洗礼に対する望みによって、カトリック教会の外にある人も救いに与ることができると教えています。この洗礼の望みを受ける人とは、真の宗教についての不可抗力的な無知、つまり過失の無い無知でありながら『自然法を遵守し、誠実で廉直な生活を営み、かつ神様に従う心の態度を有しているところ』の人の事です。例えば近くにカトリック教会があれば間違いなくカトリック信者になり得ただろうし、本当の宗教を知らなくとも行動や言動が神様に一致している人のことでしょう。しかしご存知の通り望みの洗礼を受ける人は、ごく稀であり非常に難しいことだと言われています。
さて、天国のための必須条件である洗礼ですが、緊急洗礼というのがあります。死が近い人に洗礼を授けることを言いますが、昔から天国泥棒と言われてきました。ある聖書の箇所を思い出します。聖書のイエズス様の天国のたとえ話の中に、ぶどう園の労働者の話があります。先に働いた人も後から雇われた人も同じ賃金の話です。先に働いた人が不平を言うと、主人が最後に「友よ、私は、あなたに不当なことをしたのではない。あなたは私と、一デナリオで契約したではないか」と言います。そうです。これは契約なのです。いつとかではなく、洗礼を受けたならば天国に入れる切符を頂くことになるのです。
私は2人の方に緊急洗礼を授けたことがあります。いずれも危篤でした。1人の方は数時間後にお亡くなりになりました。
主よ我らを憐れみ給え!

公教要理
『生命の危ない人に洗礼を授ける必要があり、その場にたくさんの人がいるとき、そのうちのだれが洗礼を授けるべきでしょうか。

 生命の危ない人に洗礼を授ける必要があり、その場にたくさんの人がいるとき、司祭がいるなら司祭が洗礼を授けるべきです。しかし、司祭が不在の場合は、下級の聖職者がこの任にあたります。聖職者が居ないときは、男子信徒が望ましいのですが、事情のあるときは、この限りではありません。

洗礼を授ける人はどのような意向を持たねばなりませんか。
 
 洗礼を授ける人は、洗礼に際して、教会が行なうことをしようという意向を持たなければなりません。』

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