城壁の街で : At The Walled City Blog

カナダ・ケベックシティ在住、ラヴァル大学院生の生活雑記
Université Laval, Québec City

高緯度地方

2006-11-29 | 雑記
「城壁の町で・日本編」はまだ続く予定ですが、ちょっとだけ、ケベックの現状を報告しておきます。

当然のことなんだけれど、ケベックは既に寒い。雪こそそんなには降っていないものの、夜は大体氷点下なので、帰宅時にバスに乗るまでが苦痛。まぁ、ここから気温がどんどん下がるのは分かっていることなので、その点はまだ突っ込みたくない。 今の気温(-3~+5度)でグダグダ言っていたら、あと5ヶ月は突っ込み続けなければならなくなる

なので寒さは置いておくとして、今のところ一番気になっていることは


日照時間の短さ


だな。


朝の7時はまだ薄暗い。「あぁ、朝だな」と素直に思える光の量に達するのは7時半ぐらいだ。で、夕方は4時には暗くなりだす。

単純に、日本よりも、ミズーリよりも、オタワよりも北にある街だから当然といえば当然のはなしだ(そういえば、夏は日が長かった)。そして、その辺のことは「地軸が傾いているからだ」云々という理屈は分かっている。だって、自称インテリですもの。


でもね。なんかね。 あれよ、気が滅入るんすよ。


朝は下手したら8時や9時まで寝ているから別にいいんだけれど、夕方の四時に薄暗いと、本当に損した気分になる。 何でだろうな?






という話を、フランス人のピエール君にしてみたら、

「うちのワイフが育った街はノルウェーの北の果てなんだけれど。そこでは3ヶ月くらいずっと夜だぞ。それから考えたらこんなの問題にならないよ。大丈夫、大丈夫」

だってさ。えへへへ。



そういやぁ、来夏は2-3週間北極圏に行くのだけれど、そこでは全然日が沈まないらしい。大丈夫なのか俺?

旅の読書II : リバイバル?

2006-11-28 | 雑記
もう一冊はこちら


岡嶋二人に関しては前にも少し書いた。どうやら、去年に「この文庫がすごいで」のミステリー部門でランクインしてから売れに売れているようで、大型書店では平積みにまでなっていた。2000年に入ったくらいからこのコンビの本を書店では目にすることは殆どなくなっていたのに、今回の帰国時に見たら講談社文庫版なんてほぼ全ての作品が揃っていた。

2000年から2004年の五年くらいの間に岡嶋二人が読みたくなって文庫本を探しに本屋に出向くも、手に入らなくてガックリしながら家路についたバカ元ファンは自分だけではなかったはずだ。

そんな状況が経った一冊「この文庫がすごい」という雑誌(ムックか?)で紹介された(講談社が「99%の誘拐」をリバイバルしたのは、その少し前なんだと思うけれど)がために大きく変わってしまうんだから世の中わからんもんだ。一般消費者の行動ってのも不思議だけれど、出版業界のプロモートというか流通というかって本当に不思議だよな。

一体、仕掛けたのは誰なんだ?



そんなことはともかく、カナダへ行く飛行機の中で読んだ「そして扉が閉ざされた」は余り面白くはなかった。

「シェルターに閉じ込められた若者4人」という特殊な状況と「そこから徐々に導き出される解答」という元々の「アイデア」が強すぎたために、そこに頼り切ってしまったんだとおもう。心理的な描写とか、人間関係の構築が「そりゃ短絡的過ぎるだろよ」と突っ込みたくなるくらい甘くて、「明日天気にしておくれ」を読んだときのような「おぉ、スゲエ、スゲエ」という興奮をえることは出来なかった。 残念ではあるけれど「ミステリーを読む」というのはそういうもんだと思う。

とりあえず、実家の押入れを漁って「解決まではあと六人」と「タイトルマッチ」を密輸してきたので、気が向いたときに読んでみようと思う。



今になって、「クラインの壷」と「クリスマスイヴ」を手に入れなかったことを非常に後悔している。

次の帰国のときこそは!

旅の読書 Part I

2006-11-28 | 雑記
今回の出張旅行中に読んだ本二冊の紹介





往路と、学会中(もちろん夜寝る前だ)に読んだ本がコレ。言わずと知れた「世界のオザワ」の若いときの欧州行(そのあとアメリカも行っていたな)の記録である。同じ大学で修士をやっているフルート吹きに借りた。


読み始めは、感銘を受けるどころか、余りの自意識過剰気味でリズムの悪い文章に飽きれていた。でも、途中で「26歳の小澤征爾が”武者修行”直後に書き上げたものだと知って、その辺は納得。逆に、覚めやらぬ興奮と、軽い照れがああいった文章を書かせているんだなと思うと、物凄く親近感が持てるようになった。そこからあとは引き込まれるように読みつづけてしまった。


強く感じたことは小澤征爾って、ものすごく明るくて人懐っこい奴なんだろうなということ。だからこそ、多くの人が彼に手を貸し、金を貸し、酒を飲ませ、そしてチャンスを与えたんだろうな。音楽家としての才能に恵まれた上に不断の努力を積み重ねているのは当然のこと、それ以上に彼に道を開いたのは「人柄」だったのかもと勝手に想像していた。


ただ、全体を通して違和感があったというか、不思議に感じた点は、嫌ぁな出来事も山ほど有ったはずなのに、その点には殆ど触れられていないこと。最後の方で、海外での日本人コミュニティの狭さと、人間関係の難しさに関して触れられてはいたけれど(やっぱり小澤征爾でも苦労したんだと思うと嬉しくなった点だ)、その他は殆どかかれていなかったように思う。もともと、マイナスな出来事は気にしない性格なのか、意図して排除したのかどうかは知らないけれど、体験記としてはリアリティに欠けてしまうなぁという気がした(そういやぁ遥か昔に、乙武何某の「五体不満足」を読んだときにも似たようなことを思ったな)。やっぱり、体験記は苦労と喜びの両方があって初めて強いリアリティを持つのかなぁ。

超小市民的な自慢だが、自分は小澤征爾と握手したことがある。






続きは後ほど。

万聖節の宵に

2006-11-26 | 雑記
更に続きです


ちょうどハロウィンの時期に日本にいたわけなんだけれど。

街に溢れるオレンジ色の飾り付けが気になった。


なんだろう、僕がまだ日本にいた頃(5-6年前)は、一部の雑貨屋とかでハロウィン系の飾り物を目にすることはあったけれど、全体的に見ればそんなに多くは無かったはずだ。

でも、今回の帰国中は街のそこらじゅうで(それこそコンビニでも)ハロウィン関係の飾り付けやら広告やらをみかけたし、さらに普通の家の軒先でオレンジ色のかぼちゃをみた。



なぁ、クリスマスもそうだけれど、俺らにハロウィーンは関係ないだろよ。
(あーあ、余計なこと言ってしまった。おっさんだな、俺)



いや、いいんだよ別に。子供はお菓子をもらえて、大人もコスチュームに身を包んでパーティーってのは嬉しいだろうから。 うん、仮装パーティーなんて素敵だよね。しかも、かぼちゃ削ってランタン作ったりしたら、みんなが大好きな欧米の雰囲気が満点だよね。 楽しいよね。 最高だよね。



ただ、ハロウィンが何の日か知っているかな?



ケルト人のお盆だぞ<参考>



あの、あれだ、ナスに足つけて、送り火をたいてってのとおんなじだ。
うん、ハロウィーン=洋風お盆だね。

そんなことをする前に、ちゃんと夏はお墓参りに行きましょう。



つか、ハロウィーンはまだ良い。お菓子、カボチャ、コスチュームなどの要素があるから「お祭り」的に楽しむにはいい按配だ。時期的にも日本では他に何も無い時期だから、ここでイベントが一つあってもいいだろう。

でも、さすがに

イースター(復活祭)だとか言って卵に色を塗りだしたり、
サンクスギビング(感謝祭)だとか言って七面鳥を焼きだしたり、
St.Patrick's day(アイルランド人の祭り)とかいって緑色の服を着てギネスを飲みだしたり、
Cinco De Mayo(メキシコの祭り)とかいってコロナを飲みだしたりしたら

誰かがやんわりと苦言を呈すべきだと思う。

特に、サンクスギビングをやりだしたら本気で止めるべきだろうな。あれは完全に北米の開拓者ものだ。まぁ、七面鳥を焼けるグリルのある家が少ないだろうから、幾ら商業的に宣伝してもそこまで流行らないと思うけれど・・・・・・・・・






こんなことを言いながら、アメリカ一年目のハロウィーンには、喜び勇んでカボチャに穴あけていたことは秘密です。

出張で見た日本

2006-11-24 | 雑記
さて、日本出張報告の続きです。


日本の皆様には普通のことかもしれませんが、

日本のコンビニってすげぇよな

学会中は浜大津のビジネスホテル暮らしだったので、浜大津駅付近のコンビニの世話になったのだけれど、あまりの洗練されっぷりに呆然としましたよ。


まず、何でも売っている。
朝飯、昼飯、夕飯、全ての食事を調達することが可能。
雑誌もメジャーなものは全て手に入る。
日用品というか生活必需品は一通り手に入る。(髭剃りから、歯ブラシから)
おやつも、甘いのから塩気のモノまで全部ある。
んで、店舗にもよるけれど酒もタバコもある。

あの狭いスペースに、あの的を得た品揃えは脅威だ。

そして、サービスがすごい。
ヨーグルトを買ったら何も言わないのにスプーンをくれるし、ラーメン買ったら箸が入っている。
弁当も温めてくれるし、ラーメンのお湯もくれる。 んで、暖かいものと冷たいものはちゃんと分けた袋に入れてくれる。

うん、日本の住んでいるとあたりまえかもしれないけれど、「こっちが要求しなくても、必要なものは満たされる」というのはスゲエことですよ。つか、北米生活も既に5年。 己がこっちの生活に慣れすぎているんだな。




ただ、思ったのだけれど、レジのところにある「おでん」。あれって安全なのか?

店によったらレジのまん前で、誰もが触ることができる位置にあって(自分で選んで取るというのが重要なんだろうけれど)、蓋もされていない(幾ら透明の蓋にしても曇って見えなくなるからだろうな)。

うん、北米だとテロとかの問題になってくるけれど(あそこに毒を仕込むの簡単だ)、単純に衛生面の問題が・・・・・

だって、ずーーーーーーっとそれなりの温度で放置されているんだろ?
つか、蓋もされずレジの前にあったら、唾は飛び込むは、ごみが入り込むはでかなり不衛生だと思うんだけれど・・・・・・

考えすぎですかね。

白銀の世界 リターンズ

2006-11-21 | 雑記
とうとう雪が積もった。多分、数日中に融けてしまうだろうけれど、今のところ大学の芝生は真っ白だ。

で、C'est l'hiver! (=It's Winterのつもり)と同僚に言ってみた。そしたら、フランス語として認識してもらえてたのは良かったのだけれど、「こんなのは、まだ冬と言わないわ」と英語で軽く返された・・・・・・

ま、そんなことはともかく、今回の日本出張のまとめの記事を何回かに分けて書きます。まずは、今回の帰国の主目的であった学会発表"以外"で最も印象的だった出来事を一つ・・・・



今回の帰国は、基本的には「学会にかかる出張」だったため、自由時間が極端に短かった(実質6日)。なので、必要最低限の事柄しかこなすことができず、会えなかった友人すらいた始末であり、あまり大きな出来事はなかった。

そんな日程の中で非常に印象的だった出来事は、京都で装丁家として生きている高校の同級生と夕食をともにする機会があったことだ。

僕と同じ姓を持つこの女性とは、高校時代には(10年も前のことらしいな)殆ど話したことがなかったのだけれど(山と勉強が生活の全てだった当時の自分とは話が合わなかっただろうな)、まぁ、色々と縁があって学会日程がすべて終了した夜に京都で会う機会に恵まれた。

年頃の女性と二人で会っていたといっても別にどうというわけはなく、晩飯食って、コーヒーを飲みながら、近況の報告をしたり、お互いの仕事の簡単な説明をしたり(装丁家と陸水学徒の会話だ、最低限の説明はしないと、お互いに何のことかサッパリとわからんのだ)、共通の同級生の話をしただけ。でも、今回の会食ではお互いに大きく共感するところがあり、かなり面白いひと時をすごすことが出来た。

しかしまぁ、芸術家、音楽家、学者、役者、その他生活必需品でないモノをクリエイトする仕事につこうとする人は、大体において貧乏で将来が不安定だ(必要ないことをやっているから当然だわな)。自分も現状と将来の不安定さからくる不安で眠れなくなることもしばしばだ。しかも、通っていた大学が大学だけに、同窓の仲間のほとんどは優良企業の超高給取りだったり、超安定の資格職に付いていたりしている、いわゆる勝ち組に属しているものが多い。そんな彼らと近況報告をし合っていると「俺はこれでいいのかなぁ」と思うことがしばしばだった。 でも今回、この装丁家と話をしていて「まぁ、もう少しくらいは貧乏しながら好き勝手やっていてもいいのかな」と素直に思えたのが大きな収穫だったな。とかく見失いがちな自分の位置確認が出来たわけだ。

それにしても、自分の意志で前に進もうとする人に典型的な、真っ直ぐで優しい目をしていたのが印象的だった。

ケベック再び

2006-11-14 | 雑記


ナンダカンダで2週間の日本滞在は終わってしまい、仕方なくケベックに舞い戻りました。今回のフライトでは、KIX-YVRがかなりすいていたので(視認で80%くらいの混雑)、非常に楽でした。ただ、陽気なフライトアテンダント(おっさん)に変に気に入られてしまい、どうでもいいことを色々と話し掛けられて面倒臭かったですがね。

あと、こっちについたのは金曜の夜中だったので、家に到着してからすぐに寝たのだけれど、次に起きたら土曜の夜でした。 実に18時間眠りつづけていたことになります。なんか、合宿上がりの高校生みたいだ。


それにしても・・・・・・・やっぱりスゲエな、ケベックは。強烈っすよ。

だって、周りが何を言っているか全然わからねぇもん。

母国語の日本語なら読んでも聞いても99%以上分かるものが、英語だと70%位の理解度になり、フランス語だと1%もわからん。「あーぁ、何でこんなところにいるんだろう」ってシミジミと思ったな、うん。

だれか、神戸にVincent研究室を持ってきてくれんかな。