「一人で食べる食事はエサだ」
岡崎京子の「ハッピィ・ハウス」で主人公の女の子がつぶやく言葉である。
一人で食事をすると、とにかく早い(10分以内)、そして味気ない。食事は、安らぎの時でもなく、楽しみの場でもなく、ただただ動くためのエネルギーの摂取の手段となりはてる。
自分の場合、日々の食事機会の95%以上は一人だ。そして、金銭的(カナダは外食が高いし、Lavalの学食は値段と質がつりあわない)、語学的理由(フランス語が出来んからレストランで注文が面倒)によって、ほぼすべての食事を自炊でまかなっている。だから、放っておくと食事の質はどんどん落ちる(「どうせ自分しか食べない」と思うと、ちゃんと作る気なんてすぐに無くなる)。
結果、
一人で食う→おいしくない→食事どうでもいい→手をかける意味ない→質の低下→おいしくない→さらにどうでもよくなる
の、恐ろしい悪循環に陥る。
一時期ほんとうにひどい状況になっていて、精神状態も体調も悪くなってしまった。で、今年の初めくらいに「さすがにこのままでは死ぬな」と思ったので、状況を徐々に改善をしようとしていた。「いくらなんでも、もう少しくらいは自分を大事にしよう」そう思ったのだ。
まず、「一日の始まりくらいは気持ちよく食べよう」と考え、朝食に手をつけた。なけなしの数千円を投じ、朝食用に小綺麗な食器をそろえ、マットも買った。で、毎朝、コーヒーをちゃんと淹れ、安くてまずいパンでなく、高いけどおいしいベーグルを食べるようにし、炭水化物、たんぱく質、フルーツなどをきちんと食べるようにした。
まぁ、朝食なんてバリエーションのつけようが無く、毎日代わり映えはしないけど、「きちんと、綺麗に食べている」気分になって、少し元気になった気がした。
次に、昼食に手をつけた。ここ2年くらいはずっと、スーパーで売っている大量生産ものの一番安いパンで作ったサンドイッチを食っていた。やっすいハムとチーズをはさんだものと、シーチキンをはさんだものの二種類。味気無いというか、正直まずいのだけれど(北米のガソリンスタンドで買うサンドイッチなみのまずさ)、気にせず同じものを食べ続けていた。本当にどうでもよかったのだ。
でも、朝食の質を上げる努力を始めてからほどとなくして、昼食に対しても「もう耐えられない」と感じるようになってきた。アレほどどうでも良かったのに、不思議なもんだと思う。で、とりあえず、サンドイッチのグレードアップを画策し始めた。ちゃんとレタスやトマトを買ってきたり、時には奮発してスモークサーモンを買ったりもするようになった。所詮サンドイッチなので、10分以内で食い終わる現状に変わりはないけれど、ほんの少しだけ昼食が苦痛でなくなった気がする。
そして、ここからが今日の本題、夕食の改善だ。
今までは、週末に大量に作ったものを一週間毎日食べ続けて消費していた。肉じゃが的なものをなべ一杯に作ったり、やまほどコロッケを揚げたり、でかいフライパンでマーボードーフをつくったり、少ないレパートリーを5-6週間単位でローテートさていた。それを、日曜から木曜日まで毎日、タッパに無造作につめて持って行き、研究室でひっそりと食べる。唯一の救いは、研究室の電子レンジで温めてから食べることができることだった。「どうでもいい」と思っていたときはそれでも別によかった。毎日朝から晩まで同じものを食べていると飽きるが、そのうち「飽きること」にも慣れる。
でも、朝食・昼食改善からの流れで、この点に関しても「同じものを食べ続けるのはもう嫌だ」というか「つらすぎる」と感じるようになってきた。で、ちょうどいい弁当箱を手に入れたのを機会に「お弁当」をほぼ毎日作ろうと考えた。というか、自らのオカマ気質と十余年に及ぶ一人暮らしの自炊経験を最大限に発揮させて、それなりのレベルのお弁当作りにエネルギーを投じようと思い立った。
この試みのテーマは
「かあいくて、楽しいお弁当」
だ、
そのお弁当の写真が以下、
豚肉ニンニク炒め、ゆでた人参、卵焼き、アスパラのベーコン巻き
鶏肉にパスタソースをからめたもの、卵焼き、プチトマト、ゆでたアスパラ
豚キムチ、焼きソーセージ、ゆでたブロッコリ、黄ピーマン
豚肉とピーマンのいため(甘口)、豚キムチ、卵焼き、ブロッコリ、人参
トンカツ、人参、ブロッコリ
塩鮭、ごぼうと人参のきんぴら、卵焼き(失敗)、ブロッコリ
帰りのバスの中で何を作るか考え、スーパーで買い物をして帰宅し、風呂にはいる前の30分で作ったにしては上出来だと思う。まぁ、ここまでしたって誰かが喜んで食べてくれるわけでもなく、褒めてくれるわけでもなく、10分で食べ終わってしまう状況に変化はない。質が格段に向上したものの、一人で食べる食事はやっぱり単なるエサだ。でも、今のところは、何を作るか考えている間は楽しいし、出来上がった弁当を見ると投入した労力相応の達成感がある。そして、夕食の時間が楽しくなるとまではいかないけれど、「あぁ。。。またあれを食うのか」という食前の嫌な絶望感はなくなった。
とりあえず、弁当作りを本格的にはじめてから3週間の山は越え、1ヶ月が経過した。ま、いつまで続けられるかわからんけど、やれるだけはやってみるか・・・・
この記事は書こうかどうか、相当迷った。
偏屈な自分は、腐れメディアが流布させている「お弁当男子」の流れに乗ったと思われるのが嫌だ。弁当作る男なんていくらでもいるし、昔からいたと思うんだが・・・・・自分は10年以上前、大学生のころにもやっていた。
とりあえず、既存のものに、新しく言葉を作って当てはめて、あたかも「新しい流れだ」という感じで無理やりはやらせようというくだらないことはやめてしまえと思う。