城壁の街で : At The Walled City Blog

カナダ・ケベックシティ在住、ラヴァル大学院生の生活雑記
Université Laval, Québec City

花酔い

2007-02-25 | 雑記
最近、「秒速5センチメートル」というアニメ映画をYouTubeで見た。3月から公開になる映画の第一話だけYahoo動画で先行配信されていたものが、YouTubeにあげられていたのだ(海外生活者にはとても助かるのだけれど、違法です)。

監督の新海誠は、僕が日本を離れてから世に知られるようになったアニメ作家なので、今まで作品を見る機会には恵まれなかった。でも、彼の作品群はWeb上では評価が高いようなので、一度どんなものか見てみたいなぁと思っていた。 で、今回はその最新作の感想。








「ねぇ、秒速五センチなんだって。」
「え、なぁに」
「桜の花の落ちるスピード。 秒速五センチメートル。」


という、印象的なせりふで始まるこの作品。なんというか「場の空気」のコントロールはとても上手いと思った。

画面の作り方(カメラワークとは言わないよな)、せりふの繋がり、音楽、過去と現在の場面の切り替え、 etc

どこにも問題は無かった。とてもよく出来ていたと思う。途中、雪で遅れた電車のなかでの少年の焦りや不安も、画面からひしひし伝わってきた。うん、全体的につくり手が表現したいと思ったことは、とても上手く表現できていたと思う。単館系の映画館に通いつめていれば、年に一本は出会う「しっとりとしていつつも、なんだか爽やかな青春の物語」という感じ。 そうだ、実写映画では良くある感じだ。 これを、あえて実写映画だとして観て採点するなら77点というところだろうか(コレは僕の映画の採点としては高い点数です)。

あと、YouTubeの粗い画像では分かりにくかったのだけれど、光の表現や、背景の精密さは今までのアニメーションでは考えられないくらいハイレベルなんじゃぁないかと思う。あそこまでやろうとすると、信じられない位の手間と時間がかかるだろうなぁ、というのは一発で分かった。 小説でも、絵画でも、映画でも、極端な話、学術論文でもそうなんだけれど、「一発で"スゲエ"ってわかる仕事」って、素晴らしいと思う。投入されているエネルギーの質と量。そういうのって表現を生業とするにはとても大事だよなぁと思う。




うん、全体的にとてもよかったと思う。チャンスがあれば全編見てみたいし、監督のほかの作品も見てみたいと思う(ちゃんとした解像度で)。




が、一点気になることがあった。




あのテーマとストーリー、そしてあの画面の作り方を
わざわざアニメーションでやる必要があったのか?

ということだ。


わざわざ鬼ような書き込みをして精緻な背景を作らなくても、苦労して神懸った光の表現をしなくても、あれはフィルムで撮れる。つか、フィルムでやればもっと臨場感と、切なさが出たんじゃないかという気がした。


なんというか・・・・アニメーションにはアニメーションにしか出来ない表現があって、手塚御大や、宮崎駿とか、押井守とか、大友克洋なんかはその辺を上手くやっていると思う。悪魔的に繊細で、かつダイナミックな映像と、アニメーションだからこそ表現できる虚構の世界の融合。それこそがアニメのすごさであり面白さだと思っていたのだけれど、この考え方は既に古いのかな?つか、こういう考え方が物事の枠を規定してしまって、新しい世界の開拓を阻むのか? (だから、自分はいつまでたってもうだつの上がらない大学院生なのか。。。。。。)

いや、批判しているんじゃない、単に不思議に思っただけだ。
なんつうか、ルービックキューブ世界一(参考映像:YouTube)みたいな、あきらかに間違ったエネルギーの使い方をしている人を見たときみたいな、尊敬と好奇心と呆れが混じった不思議な感情が湧き上がってきただけだ。

でも、そういうわけの分からないエネルギーの使い方って嫌いではないんだけどな。

ニュース続報

2007-02-22 | 雑記
やめる、やめると言いながら書きつづけている、エセ情報番組の件、


学術誌にアクセスできる人は
Cyranoski. 2007. Japanese TV show admits faking science. Nature 445: 804-805.
を参照してください(このブログの読者の約半数は無理だと思うけれど)。

うーん、今朝学校に来る途中のバスの中で読んだけれど、たいしたことは書いてないし、新しい情報も無かった。

記事の全体の流れを簡単に説明すると、1.何が起こったのかの説明、2.不適切にインタビューや研究内容を使用された研究者のコメント、3.何故日本でこのようなことが起こっているかの概説(視聴率競争の話)、4.政府及び関係機関の今後の対応を順を追って書いているだけ。たぶん、一月に日本のテレビで放送しまくっていた以上の事は何も無いと思う。

ただ、全体を眺める視点が少し違うのが面白かった。

日本では「視聴者がだまされた (正直あんなものにだまされる方も悪いとも思うけれど) 」という方向から事件が報道されていたと思うけれど、この Nature の記事では 「研究者の成果やインタビューが不適切に使用されていた」 という面から書かれてあったのが興味深い点だった。特に記事の前半では 「北米の研究者のインタビューにウソの吹き替えをしていた」 ということが強調されていたなぁ。 これは、外国の研究者からするとシャレにならんことだから、この部分がクローズアップされるのは当然か。


あと、記事の中で「あ○ある詐欺」の被害にあったというアメリカの研究者 Kim (金か?)氏のインタビューが紹介されているのだけれど、「彼はメディアに不信感を持っていて、所属研究機関もファーストネームも明かさないという条件で Nature の取材に応じた。」とか「Nature の取材を受ける条件として、Kim氏は記事を事前に確認することに拘った」とかの記述があって、被害にあった研究者のメディアに対する不信の強さを印象付ける書き方をしてあるのが面白いといえば面白かった(Kim氏にとっては全くもって面白くないんだろうけれど)。

ま、そんなところです


あと、放送内容の例として挙げられているのが、味噌のダイエット効果、納豆のダイエット効果、レタスの催眠作用の三点だったのだけれど、これ・・・二つは発酵した大豆・・・・・・・

なんか、日本人は腐った豆ばっか食ってんじゃねえか?と思われても仕方が無いような感じに読めたんだけれど、他の文化圏の人はどう思ったんでしょうなぁ。

気にしねぇか。

ニュース速報

2007-02-22 | 雑記
件のあ○ある大辞典の問題が、世界最高の科学雑誌であるNature最新号で取り上げられていました。しかも2ページにわたって。

<参考画像>



もしこの記事が面白かったら、簡単な要約を後で載せます。

続: 冬、 濃く、 深く (改)

2007-02-21 | 雑記
折角なので、寒さの話の続きをここで、


二週間ほど前の週末、朝は遅い目に起きて、音楽を聴きながらのんびり過ごしていた。まぁ、いつもの休日の過ごし方である。





そうするうちに、ふと

「最近窓を開けていないな」

と気が付いた。



ここのところ妙に忙しく、そんなことに気を使う余裕がなかった。だいたい、このあいだのエントリーにもあるように外気温はマイナス10-20度。窓を開けるのにも勇気と気持ちの余裕がいる。でも、その日は「まぁ、たまの休みの日ぐらい、空気の入れ替えでもしてみるか。なんか、喉風邪気味だしな」と思ったので、深く考えずに窓に手をかけた・・・・・




ピクリとも動かない





窓が完全に凍り付いているのである。

まぁ、こんなのは寒い国に住んでいると良くある話だ。ミズーリでも、オタワでもチョコチョコ発生していた事態であって、今更驚くには値しない。だいたい、開かないなら、開かないで諦めてしまえばいい。窓が開いていたら凍死してしまうけれど、閉まっている分には死にはしないからだ(ストーブでも焚けば話は別だけれど)。

でも、今回は「もう数週間換気をしていない(気がする)」「なんか喉風邪気味でダルイ→換気をしないと悪化する(気がする)」という状況があったので、自分の「負けず嫌い回路」が作動してしまった。開かない窓をどうしても開けたくなってしまったのだ。




で、手始めに窓の開閉を阻害していると思われる氷を除去してみた。




うむ、開きませんな。




相変わらず、窓はピクリとも動かない。引き上げ式の窓なので、腰を落とし身体全体の力を使ってあけようともしたけれど「みりり、めり」とどこからともなく小さく嫌な音がするだけで、窓が開く気配はまったくない。 つか、窓が開く前に持ち手部分がめげそうだ(めげる=壊れる 古い神戸弁)


次に、「怪しい」と思われる部分をドライヤーの熱風攻めにしてみた。すると見える部分の氷は溶け出したので、15分くらい粘ってみると、やっと開いた



<参考資料1:開いた引き上げ式の窓>

とりあえず、窓は開いた。でも、ちょっと考えられないくらい冷たい空気が流れ込んでくる(外気温はマイナス15度くらいでした)。 しかも、冷凍庫を開けた瞬間みたいに白くけぶる冷気だ。で、あまりの寒さのため、5分ほどで耐えられなくなり(予定では部屋を掃除する間は開け放しておくつもりだった)、さっさと窓を閉めようとした・・・・・




やっば、今度はしまらへん




一応、閉まるには閉まる。でも、きっちりと鍵をかけられるところまで窓が降りない。さっきのドライヤー攻めで発生した水が別のところで凍ってしまったのが原因らしい。




「後のことを良く考えず、その場で短絡的な解決方法を模索した結果、最終的には最悪の事態を招く」自分にはそういった非常に悪い傾向がある。治そう治そうと思うが、前述の「負けず嫌い回路」という非常に厄介な性質があるため、短絡的で強引な解決を急ぐことを止められない。





とりあえず、窓が閉まらないと夜に大変なこと(凍死とか)になる可能性があるので、なんとしてでも窓はきっちりと閉めなくてはならない。なので、目に付く部分にある氷を全てこそげ取った。




閉まらない。




顔文字というのがいまいち好きではないのであまり使わないようにしているのだけれど、今回ばかりは、


(T_T)


こんな気分になった。



まぁ、泣いていても凍死回避は出来ないので、次の手として「え、そんなところまで?」というところまでドライバーを突っ込んで、氷を除去してみた。




やっぱり、閉まらない。




どうも、目に見える部分の氷が問題なのではなく、かなり奥の方にあるパッキンの隙間に発生している氷が諸悪の根源である様子である。しかも、手も、ドライバーも、箸も、竹串も届かない。






ドライヤー攻め再開









15分後・・・・・・・・・・・・




やっと閉まった!




<参考資料2:そのときの気分を端的にあらわす画像>







つかれた、ものすごく疲れた。
そして、ミズーリ時代に車のドアを開けるために半日費やしたことを思い出した。
あの時は、あろうことか車にお湯をぶっ掛けて、さらに事態を悪化させたんだった。



ったく、北国の生活は・・・・・いや、自分の性格か・・・・・・










たった五分間窓を開けるために要した総作業時間・・・・・・・・40分。


作業後、かじかんだ手を回復させるために要したお湯・・・・・・・・3リットル


ほんのわずかな新鮮な冷気・・・・・・・・プライスレス


謝罪

2007-02-19 | 雑記
メールを下さっている皆様へ、

ここ一月ほどの間にメールを下さった皆様、いろいろと気にかけてくださって本当に有難うございます。特に、誕生日周辺にいただいた方は有難うございました。

返信が滞っていることは理解しています。 本当に申し訳ありません。

ここのところ、また忙しくなっています。毎日、優先順位の高いものの順に片付けていいるのですが、最後のほうにはメールを書くエネルギーが残っていない状態が続いています。 時間が足りないというよりは、エネルギーが足りない。

順に返信をしようと思っているので、もうしばしお待ちを。

あわや放校処分

2007-02-17 | 雑記


あぶねぇ、 もう少しで「失意の帰国」とかいう題のエントリーが入るところだった。

というのも、12月に「落ちるべきではない」上に、「普通は落ちない」試験に見事落ちてしまい、約二ヶ月間学生の立場が「仮」のものとなっていました(英語では on probation という)。 試験といっても授業がらみの試験ではなく、博士課程のなかで課せられる重要な試験で・・・・ あぁ、説明が難しいな。 

北米の博士課程の一般的な流れというのは

入学

博士試験 (comprehensive exam, preliminary, qualifyingと呼ぶことも)

研究計画発表 (proposal defence)

研究活動(その後三年くらい)
   フィールド行ったり
   実験したり
   論文書いて投稿したり
   学会行ったり
   勉強したり


研究発表および最後の口頭試問 (doctoral seminar & thesis defence)

博士号取得

となっていて、この間さらに授業を取ったりもしなければならない。
ただ、上に書いたのはあくまで一般的な流れであって、大学によって、さらに同じ大学でも学部によって大分違う。

こと試験に関して言えば、博士試験が二回行う大学があったり(一年目と三年目、ミズーリ大学)、試験と研究計画発表を同時に行ったりする大学もある(オタワ大学)。試験を行うタイミングも、一年目だったり、コースワーク終了後だったり、研究にメドがついた3,4年目だったり、本当に色々。

さらにいうと、試験が担っている機能も大学によって大分違う。アメリカの超有名大学の場合は完全に「落とすための試験」で、ある一定以上の知識とその応用能力を持たないものをはじくために使われていて、合格率が50%ぐらいだったりする。まぁ、超有名大学の場合は大学が授与する博士号の質を守る必要があるから、仕方ないかとは思う。

オタワ大学の場合は「落とすため」というよりは、自分の研究をするための掘り下げた細かい知識を真剣に勉強させるために使われていた(だから、研究計画発表と同時にやる)。

で、ラヴァル大学生物学科の場合だけれど、この試験は「一対多数での議論の練習」が主な目的で、内容は「それまでに得た専門分野の知識+その他科学に関する全ての知識を総動員して、教授四人と二時間ほど何らかの議論をする」というもの。範囲がまったく決まっておらず、異様に頭がいい教授陣四人を向こうに回して、一人で受け答えをしなければならないので、かなり大変。

でも、「落とす試験」ではなく「通すための試験」。聞いた限りだと、過去十年で落第して退学になったのは3人。 うん、めったに落ちないんだね。


それで、落ちました。 それが昨年12月6日の話。


さて、落ちたらどうなるか、これはケース・バイ・ケースみたいだけれど今回の場合は「 on probation 」にして、再試験を行う。再試験に際しては、試験範囲を論文四本に絞り、それに基づき議論を行う。それでも満足にパフォーマンスを発揮できなければバイバイ。というのが、教授陣の決定。


なので、年始年末は命がけで論文読んでました。一字一句、著者のロジックを完璧に追って、バックグラウンドの知識も全て網羅するという、高校生の受験勉強並に細かい勉強を久々にやりましたよ。

で、二週間前の再試験では、チョコチョコ詰まることはあったものの、なんとかパスし、晴れて普通の学生に戻れました。


ただ、落ちた理由が落ちた理由なので、今後も厳しい状況は続くかなと。

その、落第しかけた理由に関しては、次の機会に・・・・・




再開

2007-02-08 | 雑記
更新頻度が絶望的に低い状態が続いていて、かなりの読者が離れていってしまった感がありますが、一山超えて落ち着いたのでボチボチと更新をしていこうと思っています。

よろしく