脳内出血になっても、フツーのおばちゃんに戻りたい

35歳で脳内出血で倒れた「わたし」のリハビリ記録&その後

「あいうえお」の表

2006-09-25 22:04:55 | リハビリ日記
翌日、集中治療室に再びやって来た妹が、おもむろに何かを取り出しました。
「あいうえお」表です。つまり、50音すべてが表になったものです。もちろん濁点(゛)や半濁点(゜)・数字も書かれているわけです。
どうやら、前の日に私に何やら話しかけたところ、答えてはいるが何をしゃべっているのかわからず、意思疎通ができなかったということらしい。そこで妹はこの50音表を思いついたらしいのです。言いたいことがあれば、字を指で指し示すということです。
ただ、次の日には、何とか言葉も少しは話せるようになり、一般病室へと移されたのでした。
せっかく作ってくれたのに・・・。ゴメンね。

で一般病室へ移ったものの、ナースステーション横の、重病患者ばかりの部屋。もちろん自分で動くことなどできるわけがなく、ずっとベッドの上。意識がもうろうとしているので、眠ったり目覚めたりの繰り返し。
だから、楽団のメンバーがお見舞いに来てくれたらしいのだけれども、よく覚えてないのです・・・。ほんとーにごめんなさい。

で、翌日ぐらい(自分ではっきり覚えていない)には、ナースステーションから離れた、確か6人部屋かな、そこに移されました。まだこの頃は絶食に点滴、トイレには行けないので管が付いてる状態です。
その部屋に移った日の夜から流動食が始まりました。うすーく味の付いた重湯(おもゆ)。これのなんとおいしかったこと!
以前なら、こんなに薄味の、しかも重湯の味をおいしいと感じることはまずなかったでしょうね。
左手でスプーンを持ち、口へ持っていく。右の口の端からこぼれる。
こぼれていることを、自分では感じない、わからない。
だから、ずっとタオルは手放せませんでしたね。

こうやって、私の入院生活&リハビリ生活が始まりました。

ここで問題になってきたのは・・・
ここは京都。自宅は兵庫。ダンナの勤め先ももちろん兵庫。
そんなにしょっちゅう来れないよ~、ということ。
診断書には「3ヶ月程度の入院・リハビリを必要とする」と書かれている。
さあ、どうする・・・

続く