脳内出血になっても、フツーのおばちゃんに戻りたい

35歳で脳内出血で倒れた「わたし」のリハビリ記録&その後

私にできること

2006-11-29 20:44:57 | 鳩ママ
サークル申し込みをしたあと、
各サークルごとにわかれて、次回いつ活動をするかということを決めました。
鳩っ子ママのメンバーは、私を含めて計10人。
話を聞くと、私以外の9人は、
小学生の子供がいる人ばかり。

鳩っ子ママの部長のUさんの話によると
7月に園で行う夏祭りで、何か発表をしてほしいとのこと。
次回は、何をやるかを決めるために集まりましょうということになりました。各自、案をもちよることになりました。

朝8時半に、ずいぶんと慣れてきた自転車で子供を幼稚園に送り、
2時になったらまた迎えに行く。
その間は家でひとり。

こんな生活が、鳩っ子ママに参加するようになってから、1週間に1度、
多いときなど週に3日はサークルに出掛けるようになりました。

さて、第1回鳩っ子ママ集合日。
部長の
「去年の鳩っ子で使った、かえるの人形がまだ残ってる」
の一言から、人形劇に決定
じゃあ、内容(ストーリー)は?
みんなで考えよう
ということで、配役を決め、台本を考えました。
みんなの意見を出し合った、台詞やナレーションを
部長のUさんが手書きをしていく。それを綺麗に清書して
コピーすると言う。
「私、パソコンで打ってこようか?」
「ええーっ! パソコンできるの?」

まさかそんな反応が返ってくるとは・・・

私にしてみれば、仕事でパソコンは使っていたし、
今となっては字が書けない私にしてみれば
パソコンが私の手のかわりみたいなもの。

ああ、そうか。
みんな専業主婦って言ってたなあ。
インターネットくらいはやるけど、それワードだ、それエクセルだ、
となると無理よ~、という答え。

右半身が不自由になって、
人に助けてもらうことはあっても
人のために何か手伝えることがある
なんて考えてもみなかった

なんか、よかったなあ。鳩っ子にして

その次に、パソコンで打った台本を持っていくと
「すご~い手書きより、よっぽど見やすいよね」の大嵐。

よかったぁ。喜んでもらえた。





サークルメンバー募集!

2006-11-29 20:16:26 | 鳩ママ
と言っても、
私が何かのサークルを主宰していて、
そのメンバーの募集をしているわけではありません。

幼稚園のお母さん方に向けてのサークルメンバー募集です。

バレーボール、料理、ビーズ、茶道、華道、
エコクラフト、鳩っ子ママ

ん?
鳩っ子ママって何?

人形劇やペープサートなどで
子供たちを喜ばせましょう!

へぇ~

色々あるんやねぇ。
あまり知り合いもいないし、何かサークルに参加して
ママ友達を作ろうかな。

あまりお金もかからずに(サークルによっては結構高額の費用がかかることも・・・)できるもの・・・
ビーズなんてどうかな。
手のリハビリにもなるし。

というわけで、申し込み用紙にビーズと記入。

さて、申し込み日当日。
結構たくさんのお母さんたちが申し込みに来ている。
同じクラスのお母さんが声をかけてくれました。
「何にしたの?」
「ビーズ。手のリハビリにもなるかなと思って。無理かなあ」
「うーん。ビーズ小さいしねえ。
 私はね、鳩っ子ママにしたの。
 ビーズが難しそうなら、一緒にどう?
 子供が楽しめることを考えて、いろんなことやるから
 楽しいよ。材料は園が買ってくれるしね」

なんだかおもしろそうだわね。

そういえば、私の人生(大げさねえ)って、
よくよく考えると、人を喜ばせることに終始してたように思うわけです。
最初の就職先が旅行会社。
添乗に行って、どんなにしんどくても、
最後、お別れの時に
「今日は楽しかったよ」
と言ってもらえることが嬉しくてかんばってた。

吹奏楽を通して、
自分たちの音楽を聴いてもらって、いい音楽に出会えてよかったと思ってもらえる。

披露宴や演奏会の司会で、それぞれのイベントを創るお手伝いができ、
自分も嬉しく思うし、まわりの人たちも嬉しいと思ってくれる。

じゃあ、今度は子供たちを喜ばせてあげようじゃない

というわけで、誘われるがまま、ビーズはやめ、
鳩っ子ママに入りました。

鳩っ子、というネーミングですが
私の住んでいる地区は 鳩里(きゅうり)地区というところです。
その ”鳩” という字をとったわけです。

この鳩っ子ママとそのメンバーとの出会いが
私の閉じこもりがちな気持ちを大きく動かすきっかけになりました。







事情説明

2006-11-28 17:50:52 | 幼稚園で
話は前後しますが、4月の幼稚園入園に向けて、2月末だったか、説明会がありました。入園に際しての準備等の説明です。
そのときに、あらかじめ地区の役員の選出がありました。
私の住んでいる地区は、加古川でも3番目ぐらいに人口が多い地区で、今子供が通っている小学校は加古川で1番のマンモス校です。
園児は約150名。
その150名の保護者が、住所ごとに分かれます。
○番地~△番地までの人、っていう具合です。
その中から2名ずつ(だったと思う)選出するわけです。
ただし、妊婦さん・2歳以下の子供がいる人は免除という条件でした。

選ばれたらどうしよう・・・

この地区に引っ越してきて3年。
でも、フルタイムで仕事をしていたので、知っている人は皆無。
誰にも相談できない。
当然、私の体のことを知ってる人なんて誰もいない。

でも、でもね。
もし役員にあたったとしよう。
やるのが嫌なんじゃなくて、あたっても
仕事ができないと思うのよね
字は書けない。
走れない。
重いものは持てない。
結局ほかの人に迷惑かけちゃう。

「あの~、ちょっといいですか?」

思い切って告白。

脳内出血で倒れ、3ヶ月入院していたこと。
右半身が不自由なこと。
仕事ができなくて、迷惑をかけるだろうこと。

泣いたらアカンと思いながらも、
悔しさと、こういうことを喋っている情けなさとで
涙がボロボロ。

「そういう事情なら免除でいいですよね、みなさん」
と、話を進めてくれていた人が言ってくれました。

私はこれからもこうやって、自分のことを話すたびに、
恥ずかしさと悔しさと情けなさ
を感じないといけないのだろうか・・・

幼稚園に来るときは降っていなかったのに、帰りは雨。
買った制服や体操服で、右手には荷物。(腕に引っ掛けるように)
左手には自分のかばん。
だから、持ってきていた傘もさせない状態。
余計に情けなくなってきました。

この頃、退院して一応普通の生活をしているものの、
やっぱり特殊な人なんだと
まだまだ自分で殻を作っていたように思います。

このとき1つの発見。
かばんは肩掛けにしよう。
そうしたら手が空くじゃん!

後日談ですが・・・
この日の印象が強烈だったらしく、
私のことを覚えていてくださったお母さんが声をかけてくれました。
「大丈夫。みんな手伝うから」
って。

何かがはじけた

言わなきゃ、理解してもらえないんだよね。

自転車生活

2006-11-26 23:12:45 | 退院後
なんだか、今日は本当に興奮して(変な意味じゃないですよ)
いつもならこの時間は眠いのに
目がさえちゃってます。

というわけで、本日第3弾。

前にお話していた自転車のこと。

いきなり子供を後ろに乗せて・・・なんていうのは無理なので、というより、自転車自体に乗れるかどうかも定かじゃないので、まずは一人で乗る練習から。

まず、チリンチリン(のいてーっていうベルのこと)を右に付いていたものを左に付け替え。

ペダルを左足で蹴って乗るなんていう器用なこと、もうできません。
左足で蹴ってる間に、不自由な右足で自転車を支えきれないですから。
まず、サドル(座るところですよ~)を一番低くします。
ハンドルを両手でしっかりと掴み、左足を支えにして右足をよっこらしょっとまたがせます。
自転車にまたがった状態。
そのあとは、低くしたサドルにそのままお尻を乗せ、まず右足のペダルを思いっきり踏みます。というのは、左足で車体を支えておくため、漕ぎ出しは右から、というわけです。右のペダルは高い位置に持ってきておきます。

おおーっ! なんとかイケルやん
家の前50メートルほどの距離をまず直進。
曲がろうとしたとき。コケた・・・。
右手がついていかん!
その後こけそうになりなりながらも、なんとか左右に曲がれるように

問題は子供を乗せられるかどうか。
まず、スタンドを立てた状態で、子供を先に乗せます。
ところが、今度この状態でスタンドをはずそうとすると、重くてできないことが判明。
したがって、私が両手でハンドルをしっかり掴み、自転車を支えてる間に、子供がよじ登るようにして()後ろに乗り、その状態で「動くなよ、動くなよ」と子供に言い聞かせながら、自転車を瞬間でまたぐ!
これぞ神ワザ(んなワケない!)

最初はこけないように後ろを持ってもらって練習。
そのうちに、少しずつ手を離してもらいました。
ちょうど、小さい子が、自転車のコマを取るときの練習みたいに。

これを何日かやった結果・・・
無事乗れるようになりました

ただ、これは後日談

うちの子は、幼稚園にしてすでに24キロくらいありました。背も120センチ。
重いんですよー。
幼稚園に迎えに行った帰り、横断歩道での信号待ち。
青になり、こぎだそうとした瞬間
子供を後ろに乗せたまま、親子ともども横断歩道上に転倒
今考えると、超恐ろしい!
子供がよく頭を打たなかったなあ、とか、曲がってくる車がいなくてよかったなとか。

あとで子供に聞くと
あのコケた瞬間、
こけた方向と反対側に体を反らしたというから
恐るべき! 子供の柔軟性&瞬発力。

もっと手足ともに筋力を付けなアカンということやね。


佐渡レッスン

2006-11-26 22:42:35 | 音楽あれこれ話
さてさて、今日はもう1回登場です。

今日は1万人の第九の指揮者・佐渡裕さんのじきじきのレッスンでした。
とにかく楽しかった!!

朝5時に起きて(いつもより早いじゃん!)、洗濯をして、加古川駅 7:36の電車に乗れるようにちゃくちゃくと準備。

楽しみにしていることのある日って、勝手に目が覚めちゃいませんか?

無事8:30に大阪駅到着。
レッスン会場は阪急梅田方面なので、てくてくと歩く歩く。
有名な、残り時間が表示される横断歩道を渡り、動く歩道を通り・・・。
約10分。

ええーっ!
もう並んでる
まだ8:45だよ~。
10時からのレッスンなのに~。
かく言う私も早かったほうかも。
9時には列は100メートル以上に。

9時半に入場開始。今日は900人のレッスンなので椅子はありません。
みんな猛ダッシュで場所取りです。
なんとか前から2列目をGET!

10時になると、私が行っていたクラスの花月先生が発声練習を。
キャー、花月先生~、なんて言いながら発声練習開始。

そこへ佐渡先生の登場。大拍手
「花月先生って、すごい人気あるんやねえ」
と佐渡先生がポツリ。
とにかくアノ低音がたまらないんです
背は高いし。

佐渡先生もすごく背が高いです。

1時間半のレッスンでしたが、本当にあっという間でした。
もっと時間が欲しい

指揮者ってね、ただ棒を振ってるだけじゃないんですよ。
今日は、今までのレッスン以上にホントにいい声が出ました。
とにかく気持ちよかった!
なぜって?
それはね、佐渡パワーですよ。
指揮者ってね、楽器を演奏する人や歌を歌う人が持ってるいい部分を引っ張り出す役目をしてるんだと、私はそう思うんです。
佐渡先生の言葉ひとつで歌の響きが変わる・・・
素人の私でも、その変化がハッキリとわかるんですから。
佐渡先生いわく
これは、歓びの歌
それぞれの歓びをもっと自由に
体や表情で表現して!

とにかく、本番まであと1週間。
もっとワクワクしてきました。

本当なら死んでしまっていたかもしれない私の命。

だから、私は生かしてもらった歓びをせいいっぱい歌おうと思ってます。

ここからは余談

大阪の動く歩道。
これくせものですね~。
大阪の人ってね、動いてる上に、まだそれに乗っかってから歩くんですよね。
昔は私もそうでしたけど・・・
ただ今日は違う・・・
慣性の法則っていうやつですか?(間違ってたらゴメンナサイ)
乗った瞬間、歩けないもんだから一瞬コケそうに。
しかも、止まってるのは私だけ。
なんでこの人歩かないの~、という視線。
しょうがないのかなあ。

ひとりごとでした。


手帳の色

2006-11-26 22:00:25 | 退院後
ブログを読んでいただいている方から
障害者手帳の色は地域で違うんでしょうか
というコメントをいただきました。

どうやら、地域というよりも、県によって違うようです。

去年の10月、ちょっとした用事があって、東京へ出掛けることがありました。
友人が東京に住んでいるため、どうせなら1泊して観光でも、というわけで、友人の家に泊めてもらい、翌日ひとりで(もちろん退院後のことですよ)
葛飾柴又・寅さん記念館に行ってきました。
行きたかったんですよ~。ずっと前から

で、その寅さん記念館で、障害者割引(というより無料になるのだが・・・)があるということで、窓口に障害者手帳を出したときのこと。
「かわいらしい色の手帳ですね」
????
ということは、人によって手帳の色が違うのか?
「ええ、都道府県によっていろんな色がありますよ」

さすが
全国各地から観光客が訪れるところだけあって、窓口の方の言葉に納得。

私の後ろに並んでいた人は、確か紺色でした。

ちなみに兵庫県はです。

手帳交付

2006-11-24 18:17:06 | 退院後
5月GW明け、加古川市より1通の封書。
「ご申請いただいた手帳が兵庫県より交付されました」

印鑑を持って取りに行きました。
その際に、有料道路の割引の証明印を手帳に押してもらいました。
そして、ETC車載器購入金補助の申請用紙もいただきました。これは後日、実際に車載器を買った保証書等を持って手続きに来ないといけません。
再度、受けられる援助等の説明を受けてから帰宅しました。

あ~、これで私も障害者かあ
いいとも悪いともいえない、なんとも複雑な気持ちでした。
結局、父親に逆らって取った身障者手帳です。
果たして、親に伝えるべきか、伝えざるべきか・・・

結局、だまっていることにしました。

みなさんは実際に障害者手帳って見たことありますか?
最初のページに ババーン って本人の写真が貼ってあって
その右のペジに障害の等級やら障害の部位なんかが記載されています。
その写真・・・
写真館でとってもらえばよかったものを、
急いで申請したかったこともあり、いわゆる3分間写真で撮りました。
あれって、何度か取り直しができるんですよね。
1度目 目が変
2度目 笑ってな~い(別に笑わなくても。証明写真なんだから)
3度目 唇の右端が下がってる~

結局これが撮り直し最後だったので、これになっちゃいました。
この写真が手帳に貼ってあります。

トラウマではないけれど、
それ以来、あまり写真に写りたくなくなっちゃいました。
意識しすぎだと家族は言いますが、
笑っても唇の右端がのあがり切らないのは事実。倒れた直後にくらべたら
数倍もよくなりましたが・・・

まあ、その写真を見て、もっとよくなってやろうと思うのもあるのですが・・・ネ。

写真の話はこっちへ(よっこらしょ)

手帳をもらったついでに聞いてみたこと。
車に付ける車椅子マーク
あれって、駐禁標章を交付されないともらえないの?

いえいえ、あれは自分でホームセンターとかで買って付けるんです。

へ~。

極端な話、別に障害者手帳を持っていなくても、
たとえば高齢で足が悪いとか、
4級未満の障害認定をされている人でも足が不自由だとか
そういう場合に付けてもOKです。別に違反にはなりませんよ。

なーんだ。そうなのか。ひと安心。

やっぱり、わからないことは聞いてみるものです。
自分のためにも。

さて、お気づきですか?
5月といえば、4月の次(当たり前です
子供の幼稚園の入学式が4月にありました。
さて、自転車はどうなったでしょうか?



餅は餅屋

2006-11-23 20:14:35 | 退院後
3月半ばになって、ようやく手帳申請に必要な診断書ができあがったと病院から連絡がありました。前日にリハビリに行ったところだったので、次回のリハビリの際に診断書を受け取るとなると1週間先になり、申請が遅れるので、連絡があったその日に取りに行きました。そして、またまたその足で加古川市役所・障害福祉課へ。
先日話を聞きに行った時の人でしたので、話はスムーズでした。
ただ最後に
「判断は県ですので、認定されるかどうかはわかりませんから・・・」
と、再度念を押されました。
ご心配なく、わかってますよ。

今、手元に診断書のコピーがあるのですが(何かの時の為に、たいていの書類はコピーを取っています)、それには
感覚障害:感覚鈍麻
運動障害:痙性麻痺
起因部位:脳

にチェックがされています。
そして、全身図の右半分に ”感覚障害” と ”運動障害” の斜線が付けられています。
そして、院長の意見書として
右上肢 軽度の障害 7級
右下肢 軽度の障害 7級
計6級の障害に該当すると診断する
と記載されていました。

軽度の障害かあ・・・
本人にしてみたら重度の障害やで・・・
今までできてたことが出来ひんのやから・・・

とりあえず、申請の結果がわかるのは1ヶ月くらい後になるとのこと。
市役所のほうから連絡があるとのこと。
待つしかありませんな。

さて、市役所の道を挟んで向かいにハローワークがあります。
せっかく来たんだし、今後働くこともあるだろうから、話だけでも聞いていこうと、ハローワークに立ち寄りました。
障害者向けの相談窓口がありましたので、手帳を申請中だという事情を説明し、障害者窓口で話を聞いてもらいました。

ここで新たな事実

私の年齢(退職時35歳)で、勤務期間が1年半だと、
通常であれば、失業保険の給付は90日
ただし、障害者手帳を持っていれば
失業保険の給付期間は就職困難者ということで300日だということ

これにはびっくり。
ソーシャルワーカーさんにしろハローワークにしろ
餅は餅屋。
聞いて見るものですね、専門の人に。

確かに、健康な体であれば、職の選択肢が狭まるということはあまりありません。ところが、私のように右半身が不自由になって
走れません
字が上手く書けません
重いものは持てません
という具合になれば、どんどん職の選択肢は減り、いわゆる就職困難者になります。
その分、就職するのに時間がかかるわけで、失業保険の給付期間が長くなるというのは納得でした。
「手帳が出てから失業保険の手続きに来られたほうが、あなたのためにもいいんじゃないですか。安心して職探しできますよ」
とハローワークの人。

病気入院で退職のため、失業保険の給付開始時期の延長届けを出していたので、次に手続きをすればすぐに給付されるようになっていました。

この時点で、もちろんですが、両親には手帳の申請をすることは知らせていませんでした。





MSW

2006-11-22 22:27:22 | 退院後
って何のことでしょう?
Medical Social Worker(メディカル・ソーシャル・ワーカー) の略です。
医療社会福祉士

大きな病院ではたいてい数名のソーシャルワーカーさんがいらっしゃいます。
私が入院していた病院でもいらっしゃいました。

ソーシャルワーカーさんの仕事は、簡単にいえば医療に関する相談にのってくださること
たとえば私の場合。

京都の病院から、石川病院へ転院してくる際の手続きなどを手伝って下さったり、入院中には、高額医療費(また説明しますね)についてのことを詳しく教えてくださったりと、患者サイドがわからないことや困ったことに対処してくださるわけです。
そこで、ふと思いついた

そうだ、客観的にものごとを見てくれるソーシャルワーカーさんに手帳のことを相談してみよう!
身内やお世話になった看護婦さん・リハビリの先生などは、どこかで主観が入り、迷いを生ずることに・・・

で、1週間に1度、足のリハビリに通っているので、その時に相談にのってもらうことにしました。
突然行ったにもかかわらず、快く話を聞いてくれました。

私が入院していた石川病院は姫路市にありますが、近隣の市町からも患者さんが来るので、加古川市の障害者手帳に関する資料も当然ながらお持ちでした。その資料を見ながら、手帳の申請がOKになった場合の話を納得いくまでしてくださいました。仮に、6級が認定されたとして・・・

まず、申請に必要な診断書作成の費用は3500円なり

診断書を作成するには、リハビリの先生に 
  ”手足の不自由状況”を記入してもらわないといけない書類がある。
  つまり、手足がどれだけの範囲まで動くが、これは無理といった具合の
  現在の状況をcm・㎜単位で記入してもらうわけです。

次に、どんな補助・措置が受けられるのか。

自動車税の免除
   年 約4万円がうくのです

高速代半額

ETC車載器購入・取付の際の一部金額の補助

公共交通機関の運賃の割引

所得税・住民税の減免

その他、観光施設等の割引

これだけ見ても、金銭的に助かることがたくさんあります。
私の収入がなくなった今、正直なところ、金銭的な援助が本当に必要でした。

これに加え、最終的に私自身がどうしたいかというところまで、本当に親身になってくださいました。

結論

申請しようよ

これがソーシャルワーカーさんのアドバイスでした。

そうだよね。体が不自由になっても、自分の生活を少しでもいい方向へ向けるために、公的な援助があるわけだから。

これは余談ですが、
駐禁の標章(駐車禁止場所に止めててもレッカーされないよというしるし)は6級の4級以上での交付になるので、私の場合はおそらく無理だろうと。
でも実際の話、この駐禁の標章のために(心臓の悪い人・足の不自由な人など)手帳の申請をする人も少なくないとか。
人それぞれ、いろんな状況があるのです。

こう私に思わせたのは、もうひとつ大きな事実があるのです。

障害の等級が、手が7級・足が7級の場合
あわせて6級の認定になる

ということ。ソーシャルワーカーさんいわく、
私の場合はおそらくこのパターンになるんじゃないかと。
でもでも、可能性は出てきたわけです。

参考までに・・・
身体障害者障害程度等級表





障害福祉課

2006-11-21 08:00:40 | リハビリ日記
正確に言うと、障害福祉課。
市役所の1階にあります。
車椅子の人などもいるので、1階というのはありがたいことです。
段差のないフロアーです。

「障害者手帳の申請のことで聞きたいことがあるんですけど・・・」

係の人が申請に関することが記載されている冊子を持ってきて、
それにしたがって詳しく説明してくれました。

申請には、病院の診断書が必要であること
  つまり、この人はどれぐらいの障害がありますよというのを証明する書類
  その書類は、病院によって違うけれど、有料であろうということ
  
申請したとしても、認定は県がするので、
 必ずOKになるとは限らない
  県が障害者と認めない限り、手帳は交付されないということです。

障害の級は7級からあるが、6級以上でないと
 様々な控除や補助などが受けられないこと

つまり、私ぐらい回復していれば、6級すら交付されないかもしれないということ。
申請するべきか、しないべきか。
申請しても認定されなければ、診断書の費用が無駄になるしなあ

診断書代を心配するくらい、正直言って、家計は苦しくなっていました。
だって、私が仕事をしていた分の給料が、まるまるはいってこなくなったんですから。

「申請するならまた来ます・・・」
そう言って一旦家に帰りました。

障害者手帳を取った場合の、メリット・デメリットは?
父は「そんなもんいらん!」と抵抗してるし・・・
T先生は取ったほうがいいと言ってるし・・・

自分にとってどちらが良い選択なのか・・・

さっき貰ってきた冊子をもう一度読み直してみよう。
確かあの中に、どんな補助があるかなどが詳しく書いてあったはず

それから決めよう。