ドレミさんの司会に行った直後の9月に話は戻りますが。。。
実家の母に
「じつはな、京都行って来てん」
「そうかあ。よかった。心配しとったんや。司会じゃなくても、せめてお礼には行かんとアカンって思ってたんよ。」
「無事、しゃべれたよ」
後日、何の用事だったか忘れたけれど、実家へ行ったときのこと。
「お母さんが行ってる病院の先生がな、アンタのことをすごく心配してくれててね、1年後にまた司会に行ったっていう話をしたら、本でも出されたらどうですかって。アンタ、文章書くの得意やし、やってみたら?」
そんなこと、考えもしませんでした。
入院中に、西条秀樹さんの本も読みましたが、あれは有名な人が書いた本だからこそ読んでもらえるんじゃないの、と思ってたのです。
実際、私の様に脳内出血で倒れ、見事に社会復帰されてる人もたくさんいるわけですからね。
ただ、心のどこかで
「自分の経験を誰かに伝えたい。それが私が頑張ってきた証だから」
と思っていたのも事実です。
高額医療費の請求も済み、医療費控除の申請も終わり、障害者手帳の申請も済ませた今、入院中の書類はほぼ不要となったわけですが、母の
「本でも書いてみれば」
という言葉がどこかで引っかかっていて、書類どころか、リハビリで字を書いたノート、言語のリハビリに使った原稿などまで、すべて置いてあるのです。
それから1年後、つまり2006年9月、再びドレミさんの司会に伺いました。
退院後2回目です。
2年続けて、こんな体にも関わらず司会に呼んでもらえたということで、また少し自信がつきました。
そして、その直後にこのブログを始めました。
母のひとことで捨てずにいたいろんな書類をもとに・・・。
これが、ブログを始めたホントの理由かな。
ひとりごとと記録に近いようなブログですが、これからもよろしくお願いします。
実家の母に
「じつはな、京都行って来てん」
「そうかあ。よかった。心配しとったんや。司会じゃなくても、せめてお礼には行かんとアカンって思ってたんよ。」
「無事、しゃべれたよ」
後日、何の用事だったか忘れたけれど、実家へ行ったときのこと。
「お母さんが行ってる病院の先生がな、アンタのことをすごく心配してくれててね、1年後にまた司会に行ったっていう話をしたら、本でも出されたらどうですかって。アンタ、文章書くの得意やし、やってみたら?」
そんなこと、考えもしませんでした。
入院中に、西条秀樹さんの本も読みましたが、あれは有名な人が書いた本だからこそ読んでもらえるんじゃないの、と思ってたのです。
実際、私の様に脳内出血で倒れ、見事に社会復帰されてる人もたくさんいるわけですからね。
ただ、心のどこかで
「自分の経験を誰かに伝えたい。それが私が頑張ってきた証だから」
と思っていたのも事実です。
高額医療費の請求も済み、医療費控除の申請も終わり、障害者手帳の申請も済ませた今、入院中の書類はほぼ不要となったわけですが、母の
「本でも書いてみれば」
という言葉がどこかで引っかかっていて、書類どころか、リハビリで字を書いたノート、言語のリハビリに使った原稿などまで、すべて置いてあるのです。
それから1年後、つまり2006年9月、再びドレミさんの司会に伺いました。
退院後2回目です。
2年続けて、こんな体にも関わらず司会に呼んでもらえたということで、また少し自信がつきました。
そして、その直後にこのブログを始めました。
母のひとことで捨てずにいたいろんな書類をもとに・・・。
これが、ブログを始めたホントの理由かな。
ひとりごとと記録に近いようなブログですが、これからもよろしくお願いします。