脳内出血になっても、フツーのおばちゃんに戻りたい

35歳で脳内出血で倒れた「わたし」のリハビリ記録&その後

倒れた日

2006-09-23 22:44:15 | リハビリ日記
私が倒れたのは、2004年9月19日。ちょうど今から2年前のことです。
その日私は、京都は山科区のとあるホールにいました。私の友人が主宰する楽団の演奏会があり、その司会をすることになっていました。
もともと私自身、中学から楽器をはじめ、そのままずーっと大学・社会人になっても続けていました。で、京都の大学に通っていたころに知り合った友人の楽団の司会を引き受けていた、というわけです。
で、その日は朝6時半ごろに兵庫の自宅を出発し、9時にはホールに到着、10時からリハーサルが始まりました。途中11時ころに休憩をはさみ、再びリハーサルが始まりました。私は舞台ソデの陰マイクのところに居ました。陰マイクとは、わかりやすくいえば・・・よく音楽界などで、司会者は姿を見せずに「本日は○○演奏会にお越しいただきありがとうございます」ってアナウンスするやつです。
で、その陰マイクのところで座っていると、なんだかじわじわっと右手が冷たくなってきたんです。まだ9月だったので、ホールは結構空調がきいていました。きっとそのせいで寒いんだな、と思ってました。
でも、なんだかおかしい。冷たいというより、感覚がないなあ。あれ、腕が上がらないぞ、となってきたわけです。それでもまだ、疲れているせいだくらいに考えていました。なにせ、朝が早かったわけですから・・・。
ところが、次に陰アナウンスをしようと思い、陰マイクのスイッチを入れようとすると・・・やっぱり腕が上がらない。 ????? という感じ。なぜ、なぜ?
仕方がないので、左手で右手の手首をつかみ、よっこらしょという感じで陰マイクのスイッチを入れました。「ただいまより15分間の休憩をいただきます。」とアナウンスをしました。その時はまだしゃべることができていました。
リハーサルがその後すぐに終了し、友人である団長が「メンバーに紹介をするから」と言って私をステージに呼びました。その時・・・足に力が入らない! なんとかゆっくりと歩きステージまで行ったものの、今度はうまくしゃべれない。自分でもどうしてなのかわからない。「よろしく」と言ったぐらいですぐに舞台ソデに戻り椅子に座りました。そしてメンバーは昼食へと。そしてステージには誰もいなくなった。
さて、私も食事に行こうと立ち上がったら・・・倒れた! 右側を下にして。立ち上がろうとするけれど、立ち上がれない。ここでもまだ、????? くらいのもの。楽屋で休めばよくなるよ、くらいの考え。
ところが何度立ち上がろうとしてもできない。
そこへ、舞台へ練習をしに戻ってきたメンバーがいたのです。そのとき、叫ぼうと思っても声が出ないことに気づいたのです。誰も私がここで倒れていることなんて知りません。仕方がないので、体の右側を引きずりながら反響版のところまで這って行きました。そして、動く左手でドンドンと反響版を叩き、声になっていたのかなっていなかったのかわからないけれど「助けて!!」と叫びました。
この瞬間、床に倒れこみ、意識が途切れ途切れになりました。
もうろうとした意識の中で、団長が携帯電話で主人に連絡してくれていたのをぼんやりと覚えています。