脳内出血になっても、フツーのおばちゃんに戻りたい

35歳で脳内出血で倒れた「わたし」のリハビリ記録&その後

マイ・リハビリ・グッズ

2006-12-28 12:49:25 | リハビリ日記
入院中、手足の感覚が戻らず
どうしようと悩んでいると、
理学療法士のA先生が
「何か突起物なんかがついてるものを握ったり踏んだりすることで、
 感覚がよくなることもあるよ」
と教えてくれました。

それらがコレ

すべて100均ナリ。
妹に買ってきてもらいました。
指の曲げ伸ばしは、ずいぶんとよくなりましたよ。

そういえば、私の手足の感覚のこと、書いてませんでしたよね。
今でも、右半身はずっとシビレています。
う~ん、どう言えばわかりやすいかなあ。
そうだ
ずーーーっと、やけどをしてる感じ。
だから、うちの子が
「お母さん、足痛いやろ」
と言って、足をさすってくれるのですが、逆に痛いんだなあ

右半身は熱い・冷たいを感じません。
どちらかといえば、痛いと感じるほうに近いかな。
でも、痛いのも鈍痛。
退院した直後は、包丁で手を切ってもわからないなんてこともしばしばでした。

こんな状態なので、子供の手を握っても、触感だけ。
熱があるかどうか見るときは左手です。

まあ、こんな具合です・・・ね



障害福祉課

2006-11-21 08:00:40 | リハビリ日記
正確に言うと、障害福祉課。
市役所の1階にあります。
車椅子の人などもいるので、1階というのはありがたいことです。
段差のないフロアーです。

「障害者手帳の申請のことで聞きたいことがあるんですけど・・・」

係の人が申請に関することが記載されている冊子を持ってきて、
それにしたがって詳しく説明してくれました。

申請には、病院の診断書が必要であること
  つまり、この人はどれぐらいの障害がありますよというのを証明する書類
  その書類は、病院によって違うけれど、有料であろうということ
  
申請したとしても、認定は県がするので、
 必ずOKになるとは限らない
  県が障害者と認めない限り、手帳は交付されないということです。

障害の級は7級からあるが、6級以上でないと
 様々な控除や補助などが受けられないこと

つまり、私ぐらい回復していれば、6級すら交付されないかもしれないということ。
申請するべきか、しないべきか。
申請しても認定されなければ、診断書の費用が無駄になるしなあ

診断書代を心配するくらい、正直言って、家計は苦しくなっていました。
だって、私が仕事をしていた分の給料が、まるまるはいってこなくなったんですから。

「申請するならまた来ます・・・」
そう言って一旦家に帰りました。

障害者手帳を取った場合の、メリット・デメリットは?
父は「そんなもんいらん!」と抵抗してるし・・・
T先生は取ったほうがいいと言ってるし・・・

自分にとってどちらが良い選択なのか・・・

さっき貰ってきた冊子をもう一度読み直してみよう。
確かあの中に、どんな補助があるかなどが詳しく書いてあったはず

それから決めよう。

試練の道を~

2006-11-16 20:26:08 | リハビリ日記
当時4歳だった我が息子。
私がフルタイムで働いていたため、加古川市立の保育園に預けていました。
働かなくなった今、子供を保育園に預ける理由もなくなったのですが、
3月で年度が終了するので、せっかくお友達もできたことだし、3月末までは預けることにしました。(保育料は結構高いのですが・・・)
自分自身にとっても、自宅での生活のペースを取り戻すのに、子供を見てもらっているほうがよかったのです。

まず、子供の送り迎えが車の運転の訓練
病院へリハビリに行かない日は、自宅で発声練習や鏡の前で顔面体操。(きっと何も知らない人が見たら不気味・・・)
手足の曲げ伸ばし

このあたりまでは病院でいわれたこと。

あとは実際の生活がリハビリの連続のようなもの

まず、階段の上り下りがクセモノ。
家庭訪問の際に、A先生・M先生の両方が驚いたくらい、結構急な階段。幸い、手すりが付いているので、手すりを持ってゆっくりゆっくり上り下り。
病院でも階段の昇降は練習したけれど、我が家は豪邸でもなんでもないので、病院の階段ほど広くないので、まずそのことにとまどい。
そして、調子が悪いからといって、エレベーターは無い!(当たり前です
そして、昇りよりも降りるほうがはるかに怖いのです。
A先生いわく
「あまりにも怖かったら、お尻をついて降りたらいいよ」

もうひとつの家での試練・・・
よくここまで片付けないなあ、という部屋。
1階にあったものを、とりあえず2階の部屋に持って行きましたという状態。足の踏み場もないというのはこのことかって感じ。
そう、片づけが苦手な主人・・・
子供の保険証までもどさくさにまぎれて放り上げているので、これには困った・・・。
この山盛りのモノを箱なりケースなりに、不自由な手で片付けていかないといけないわけですよ。そして、その箱を押入れにしまう・・・
気が遠くなりそう

さて、本来の病院でのリハビリ。
なぜ足のリハビリだけ3月まで延ばしてもらったかということは昨日お話したとおり。
3月までは保育園にやって、4月からは市立の幼稚園に行かせることにしました。市立の幼稚園はこれまたベラボーに安いのです。
正直言って、私の収入がまるまる無くなった今、我が家の家計に余裕はありませんでした。
というわけで4月からは幼稚園行き決定
で、幼稚園。基本的に送り迎えは自転車、もしくは徒歩。
フツーの人が歩くと約15分の距離。ということは私が歩けばおそらく30分はかかる・・・
朝の貴重な時間に往復1時間もかけられないワ・・・
となると自転車しかないわけです。
それを聞いた先生。
じゃあ、自転車漕ぎをしましょう。
ペダルの重さを3分間は重く、3分間は軽くしてそれを20分くらい繰り返すのです。ペダルが重いという設定は、子供を後ろに乗せていると仮定した場合。
あとはウォーキングマシーン。ジムなんかでよくやってるあれです。速度を変えてベルトの上を歩くやつ。
あとは、ホップステプジャンプ
さすがに、うさぎ跳びは私の回復力では無理なようですが、1・2・3でジャンプくらいはできるようになりました。ただ、3で跳んだあとの着地。これまたフツーの人なら、トンッ、と着地音は1つのはず。ところが私の場合は、どうやっても右足が一緒についてこないので、トンッ・ドッと音が2回。

また、子供と一緒に遊べるようにとスキップの練習。
これまた右足が上手く付いてこない・・・

ボールを右手で投げたり、右足で蹴飛ばして目標のところへ飛ばす練習もしましたねえ。
こうやって見ていくと、子供ためにっていう訓練が多かったですね。

あとは、右足だけでの屈伸。これが本当にキツイ!!
健康な左足でなら難なくできるのに、右足だとバランスは崩れる、できてもカックンカックンなるわけです。この滑らかさが出てこないと、いずれ膝に負担がかかってくるとのこと。うーん。

リハビリに行くと足だけで1時間くらいのメニューをみっちりやってました。
おかげで今は杖なし・装具なしで歩いています。

4月に自転車に乗れるようになるのか・・・乞うご期待!



初ドライブは初リハビリ

2006-11-15 19:57:07 | リハビリ日記
2005年のお正月は、本当にのんびり過ごしました。
いつもなら、各デパートのイベントに行ったり、お参りに行ったりしていましたが、特にこの年の正月は寒かったこともあり、家でゆっくりしました。

お正月の間に2日ほど、またまた車の練習をしました。
今度は実家にて。
実家は飾磨(しかま、と読みます)
外国船やフェリーなんかが入る大きな港があります。
というわけで、当然道が広い!(またや!)
今回はスピードを出す練習。さすがに60キロ制限の道を40キロで走ってたら迷惑ですからね・・・(笑)

主人の会社も子供の保育園も7日から始まりました。(確かそのはず・・・私の記憶が正しければ・・・)
その日の課題は・・・そうです
保育園へ送ること。しかも車で、しかも私ひとりで!
これがまた、車1台がすれ違えるかどうかというくらいの狭い道。
対向車が来ない事を祈りながら安全運転で・・・
なんとか到着。これから毎日これが続くんだなあと思うとちょっと不安になりました。

さて翌日の8日。
退院後はじめてのリハビリの日。
午前10時の予約です。
ひとまず子供を保育園に送り、その足で病院へ。
混んでいなければ車で20分程度の道のり。
子供も誰も乗っていない、退院後初めての遠乗り(私には)ドライブです。
手・足・言語すべてのリハビリのや予約を入れていました。受付を済ますと、足と手のリハビリが混み合っているので、先に言語のリハビリに向かいました。
T先生「どう?様子は?今日はどうやって来たん?」
「車ですよ~。主人は仕事やから、私が運転して来たんですよ~」
「あぶないやん
そりゃあ、普通の人ならびっくりするでしょうよ。
脳内出血で右半身不自由になった人間が、しかも退院してから1週間やそこらで自分で車を運転してきたなんてことを言うんですからね。
「人工島で練習しましたもん
「くれぐれも気ぃつけなあかんで」
とまあ、こんな感じでいつもの雑談。
「もう言葉のリハビリはいらん!」
「でも滑舌が・・・」
リハビリの効果が急激に現れるのは、発症後約3ヶ月
それ以降、よくならないというわけではないけれど
それ以降の回復はゆるやか
どうしてもリハビリを続けてほしいというのであれば続けるけれど

それよりも、以前から言っているとおり
誰かと会話することのほうが大事なんじゃないかな
それは病院でなくても出来ると思うよ
逆に、病院に寄りかかりすぎるようになってしまってよくないと思うな
これからは病院で生活するんじゃなくて
日常に戻って生活するんだから
そうだよね~。納得、納得、すごーく納得

というわけで、言葉のリハビリは1月いっぱいで終了。

手のリハビリは・・・
こちらも、字を書くことや細かい作業なので、結局家で実際にやってみることがリハビリにつながるということで、こちらは本日にて終了

結局、足のリハビリのみ3月末まで、1週間に1度リハビリに通うことになりました。
なぜなら・・・
まだうさぎ跳びができません!
というのは半分冗談(ということは半分マジ
4月から子供は幼稚園へ。
送り迎えは、自転車の後ろに子供を乗せて自転車で・・・という試練が待っているのでした



人工島は教習所

2006-11-13 20:51:15 | リハビリ日記
退院した翌日、つまり大晦日。
明石の二見にある人工島へ行きました。主人の運転する車で
人工島というのは俗に呼ばれている名称なのですが、そこはいわゆる工場地帯。食品やら機械やら、ありとあらゆる工場が人工島に入っています。
工場地帯=荷物を運ぶための大型トラックが入る=道が広い
というわけです。
しかも、年末年始ということもあり、ほとんどの工場がお休み。
したがって、車はほとんど通っていない!

ここで、私の車の運転の練習をさせようというのですよ

我が家の車は日産リバティ。ステーションワゴンです。
右半身が不自由になってみて、このタイプの車が非常に楽チンだということ。
車の外、つまりドアの横に立つと、シートが丁度、椅子に座るくらいの高さにくるということ。背伸びもかがむこともせず、そのままの姿勢で乗れるのです。
私の父の車はセレナですが、これはちょっと背が高すぎて、乗るのに「よっこらしょっ」という感じ。

で、いざ教習。
右半身の感覚がなく、しびれた状態なので、アクセルやブレーキを自分でどのくらい踏んでいるのかがよくわかりません。
急にスピードが出るのが怖いので、アクセルを思い切り踏めない。20㌔くらいしか出せないのです。
ブレーキは・・・
踏む度に急ブレ-キ
足の裏の感覚もほとんどなく、シビレている状態なので、どこまで踏み込んでいるのかがわからないのです。

車線変更や右折・左折の際にウインカーを出しますが、これも右手の操作なので少々不安。実際やってみると・・・
とりあえず、上げるか下げるかだけなのでこれは何とかいけそう。

問題はハンドルさばき。
右手のスナップが上手くきかないので、主に左でハンドルをまわし、右手は補助程度。だから急ハンドルはできません。
曲がる時はスピードを落としてゆっくるゆっくり。

車のほとんど通らない2車線道路で、30㌔くらいでトロトロ走るリバティ。
横にはおっちゃん(主人のこと)
後ろの座席には子供。
何やってんだという感じだったんでしょうね。同じところを何度もグルグルと。

やっと40㌔くらい出せるようになったところで
「このまま家まで運転して!」
主人もチャレンジャーだなあ。退院した翌日だよお。
私なら嫌だなあ・・・なんてね。

嫌だと言いながら、幹線道路へ。

うおー。50キロも出てるよー!! 怖い
50キロで怖いなんて言ったら笑われるよね、きっと。
でも、本当に怖かった、このときは。

なんとか家にたどりつき、車庫入れ・・・と、また急ブレーキ。
バンパーぶつけるところでした。

今後の課題は「急ブレーキを踏まない」ということのようです・・・

ニューイヤーズ・イヴ・イヴ

2006-11-12 10:19:17 | リハビリ日記
退院の日が決まりました。
12月30日。
ニューイヤーズ・イヴが大晦日なら、12月30日はニューイヤーズ・イヴ・イヴ
主人の会社の休みが12月30日からということで、それにあわせて退院すりことにしました。早く退院しても、子供を保育園に連れて行くにはまだ不安が残るし、もし家で何かあっても誰も助けてくれないし
幸い、保育園はすでに冬休み。当分送っていく必要なし。これはひとまず安心。

12月30日当日。
朝食をとり、帰宅用の服に着替えました。
入院した頃は半そで。
退院は毛糸モコモコのセーター。
ジーンズは・・・。
ウエストがぐすぐす。
そうなんです痩せてる

結果的に言うと、倒れる前より12~13キロくらい減。
写真を見ても明らかに違う・・・

母いわく
「あんた、倒れる前は、太ってたっていうよりむくんでたって感じやね。今考えると。」

いわれてみれば、だわ。確かに。
塩分をとりすぎると、今度は水分を取るようになって、だんだん体がむくんでくる。そうだったんだろうなあ。

で、荷物は何日か前に持ってきてもらっていた大き目のかばんにわけて詰め、主人が車へ運んでくれました。荷物なんてそんなにないよ~、と思っていたら・・・
さすが入院生活約100日。いろんなものが増えてます。
入院中に買ってきてもらった本・お見舞い・洗面道具や作りかけの「のれん」に杖。
100日ってすごいよね~。季節が2つくらい進んじゃったんですから。この年の秋は、ほとんど病院の中だったからねえ。

グスグスのジーンズを無理やりベルトでずり落ちないようにおさえてはき、セーターの上にもう1枚ジャンバーを着、ナースステーションへ。
お世話になった看護師さんや介護士さんにお礼を言い、これから薬をもらう病院への紹介状やら退院後の注意事項などの冊子などをもらい退院。
1回で次のリハビリの予約をしてから帰宅しました。

明日は大晦日。その次正月
もう、おせちなんて今更無理っ!!

当面の課題は一人で保育園への送り迎え、買い物など。
特に加古川は公共の交通機関(バスなど)があまりないので、日常生活に車の運転は必須。
さあ、運転運転。
練習練習

栄養指導

2006-11-10 17:27:07 | リハビリ日記
退院が近づきつつある中、ふと思ったこと。
私、家へ帰ってからも、病院の食事みたいな食生活ができるんやろか?
少々心配

だって、倒れるまでは、正直言ってあまり栄養のことは考えてませんでした。
私の倒れた原因は高血圧。
塩分と脂肪分を控えないといけません。

さあ、どうしよう。

病院での食事は・・・
朝はパンとりんごジュース。(朝から牛乳を飲むとよくお腹が痛くなるので変えてもらいました)+果物
で、お昼が魚がメインのメニューの場合、夜はお肉。
お昼がお肉のときは、夜が魚。

といった具合に、ひじょーにバランスのいいものでした。

そこで、病院の食事を管理している栄養士さんに、退院前の栄養指導を受けることにしました。

まず塩分について。
現代人の食事は塩分が多いのは仕方がないとのこと。だから、塩分を多く摂らないようにすることも大事だけれど、塩分を出すことに重点を置いたほうが、これからの食生活は楽しくなるよって。
だってね、ああ、これは塩分多いからパス、あっこれも、なんてことになったら何も食べられなくなっちゃうからね。

で、野菜を多く摂りましょう。特にカリウムの多いものを。
カリウムには利尿作用があり、塩分も一緒に排出してくれるのだそう。
例えば・・・
大根、すいか、キウイ、レーズン、かぼちゃ、トマトなどなど。
そういえば朝食の果物に、キウイがよく付いてました。しかも、まるごと1個。

それから、酢の物は必ず1日1回は摂りましょう。
海藻類も。ひじき とか わかめ です。

お味噌汁は具沢山のものにしましょう。そうすれば、具から味が出て、味噌が少なくてすみます。

あと、漬物は・・・できればあまり食べないほうがいいけれど、食べるのなら2~3口程度。
また、お浸しにかける醤油はお水で薄めて使うと塩分控えめになります。

醤油のかわりにレモンやコショウなどを使うと、焼き魚などは塩を使わなくても十分食べられます。

煮物や汁物を作るときのダシは粉末ダシを使わずに、できればカツオそのものやニボシなどを使いましょう。粉末ダシには塩分が含まれて居ます。

外食をすると、どうしても塩分を多く摂りがちになります。外食はどんな人が食べてもおいしいと感じるように濃い味付けになっています。だから、どうしても外食をしたときには野菜を多く摂るようにしましょう。外食をしちゃダメとは言ってません。

油・・・これに関しては、お肉なら脂身の少ない部位を使って調理するとか、油抜きをする、テフロンのフライパンを使うなどなど。初歩的なことですが、今まであまり気にかけていませんでした。

これから先、何十年という間、生きている限り食べるということはついてまわります。しかも調理するのは私。
極端な話をすれば、私の料理が家族の健康をも握っているわけですよ。

入院したときに問診で
「家族に脳卒中になった方はいませんか」
と聞かれるのはこういうことだったのか、とつくづく思いました。

栄養指導は、私にとっては本当にありがたいものでした。

第2回調理実習

2006-11-09 20:22:52 | リハビリ日記
そういえば、以前のブログで、第2回の調理実習を何にしようか、
なんてことがありました。
何だと思いますか?
麻婆豆腐と杏仁豆腐。
豆腐ばかり?
いえいえ、杏仁豆腐は中華料理でよく出てくるデザートです。

倒れるまではフルタイムで夕方5時半まで仕事をしていたので、
本来、料理にあまり時間をかけたくない私でした。
まあ、右半身が少し不自由になったこともあり、
それに輪をかけて簡単な料理をやろうとするであろうと考えた私でした。

ところが、麻婆豆腐に入れる豆腐を手のひらの上で切るという作業が結構難しい。左手の手のひら上に豆腐を乗せ、不自由な右手で切ろうとするもんだから、そりゃあ大変。右手のスナップが上手くきかないんですから。
かといって、右手に豆腐をのせると、感覚がないので、左手で切ったときにザクッといく可能性が・・・
まあ、とりあえず、若干(だいぶん・・)いびつな形に切った豆腐を、丸○屋の麻婆豆腐の素(これまた甘口)と一緒に入れ煮込み、あとは水溶き片栗。
完成~
いい匂いだわ~。

で次に。
かんてんぱぱの杏仁豆腐の素(素ばっかですか?)を牛乳で溶き、お鍋で少し煮ます。ハ○スの牛乳で作るプリンの素の要領。この「かんてんぱぱ」。長野県の伊那市だったかな、の会社で、これがすんごくおいしい。ほかのどのメーカーの杏仁豆腐の素よりおいしい(と私は思っている
それをいくつかの小さな器に分けました。
これだけじゃあ、ただの白いプリンもどき。
というわけで、隣のお店で買っておいたフルーツ缶が登場。
みかんやパイナップル、ピーチなどなど。
これを各器に盛り付けて、いざ冷蔵庫へ。

どこで聞きつけたのか、言語聴覚士のT先生。
内線電話で「俺の担当の患者さんが作ったやつやから置いておくように」と。
A先生もM先生も大爆笑でした。

これも大好評のうちに終了。おいしかったです。

「家で生活することが本当のリハビリ」
この意味が理解できるようになってきました。