脳内出血になっても、フツーのおばちゃんに戻りたい

35歳で脳内出血で倒れた「わたし」のリハビリ記録&その後

ジム通い

2007-06-28 22:55:27 | 退院後
もう「退院後」でもないんだけど。。。

6月に入ってから、つまり職を失ってから、
ほぼ毎日ジムに通っています。
ジムといっても、いわゆるフィットネスクラブのジムのように大げさなものではなくて、市の施設です。

スポーツ交流館というのがあり、
比較的低価格で利用できます。

一通りのマシンジムがあり、プールもあります。

障害者なのに大丈夫? という声が聞こえてきそうですが、考えてみてください。入院中のリハビリでジムもどきのトレーニング、やってたんですから。


朝9時半の開館に間に合うように家を出て、
まずウォーキングマシンで1時間歩きます。
傾斜を4%、速度は4.5kmくらい。
だいたい消費カロリーは130kcal。
ししゃも3尾の塩焼き1皿分だって。

ちなみに、このマシン、消費カロリーごとに絵が表示されます。
  25kcal・・・キャンディー1個
  50kcal・・・カフェオレ1杯
  75kcal・・・バナナ1本
 100kcal・・・マグロ寿司2カン
 125kcal・・・ししゃも3尾塩焼き1皿
 150kcal・・・ソフトクリーム1個

私が見たことがあるのはここまで。
でも、ソフトクリームはクリアできてません。



で、その後、自転車漕ぎを1時間。
約160kcalの消費。ごはん1杯分くらいです。


そして最後に、乗馬マシンで15分。


ほかに、筋力トレーニングのマシンもあるんだけれど、右半身が上手く動かない私には無理です。
入院中は、右手首と右足首に、1キロくらいの重りをまいて、上げ下げする筋力トレーニングをしていましたが、ここにはありません。
あるのは、いわゆるダンベル。右手でつかめないよ~。
掴んでて足の上に落としたら大変ですから。


まあ、こんな感じで、あとはクールダウンのストレッチをやって、お風呂に入ってさっぱりして帰ってきます。


6月は1ヶ月の定期を買いました。
月~金の、9時半~17時まで利用できるものです。
通常は4500円ですが、障害者は半額になります。
7月は子供が夏休みに入るので、定期はもったいないかな。
回数券になりそうです。

家にいても時間を持て余すかな~、と思ったので、ダイエットも兼ねて行くことにしました。

でも、体重減らな~い

続けることが大事


5回目の就職活動

2007-03-05 14:19:54 | 退院後
さてさて、子どもも小学校に入学し、私はといえば仕事はしていないので、完全なる専業主婦状態
以前、出産後も専業主婦のときがありましたが、子どもが1歳半で仕事に復帰。
今回も、退院してからそろそろ1年半。
1年半が私の限界のようです

で、ちょうど5月には失業保険の給付も終わる予定だったので、ホントに仕事を探さないと、生活が危うい状況でした。
決してそれまでの間、真面目に職探しをしてなかったわけじゃあないんです。
自分の状況にあう仕事が見つからなかった。
一度は考えた旅行会社も、自分の状況にあわなかった
大学卒業後から数えると、5回目の就職活動。

で、そんな折、ハローワークの障害者担当窓口の方から電話

「住田さんの希望の条件にあうところがあるんですけど。一度職安のほうへ来てもらえれば詳しくお話できるのですが」

そう言われて早速自転車でハローワークへ。

月~金勤務。
土日祝は休み。
9:00~15:00まで。
45歳まで。
交通費支給無し(でも、自宅近所の募集と比べると時給が高く、交通費が含まれていると思えばトントン)
残業なし

へ~。探せばあるんだ。

でも待てよ。
志方?
遠いよ~。加古川でもえらい北じゃん!
地図をみると、山陽道の加古川北ICのすぐ近く。あと1~2分走れば市が変わると言う場所。
しかも、雇用期間の欄に、平成19年3月末、と記載されてる。
ということは、採用してもらっても、1年足らずでクビ?

この雇用期間がすごーーく引っかかった。

で、ハローワークの人から、問いあわせてもらうことに。

実際に話を聞いてみると、
どうやら新しくできた会社のようで、まだ業務自体がどれくらい忙しくなるかとかがわからないので、一旦3月末を契約期間として、その都度契約更新というような意味合いでそのように書いたのだということらしい。
ということで、必ずしも3月末で、ハイ さようなら、ではなさそうなので、取りあえず面接に行ってみることに。

ゴールデンウィーク明けのことでした。

困ったのが履歴書。
書けない事はないけれど、それこそ半日以上かかりそう。
そこでまたまたインターネットにお世話に成りました。

いろんなテンプレートが無料でダウンロードできるサイトがあるんですね
そこから履歴書のテンプレートをダウンロードし、自分で記入。
すべてパソコンというのも味気ないので、自分の名前は自筆にしました

同業4社が出資をして、2月に設立。
現場の仕事が主で、事務所には4人程度。
要するに、事務所での伝票整理や電話対応、簡単な経理業務などが仕事内容でした。
ハローワークからは、障害がある旨を伝えてもらっていたので、話は比較的スムーズでした。

本当にいい世の中になりました。
字が上手く書けなくても、仕事はほとんどがパソコンでの業務ですので、特に問題ないとのこと。逆に、脳内出血の右麻痺と聞かれて、言葉のほうが大丈夫かと思ったとのこと。
そりゃそうですよね。事務所にいて、電話の対応ができないんじゃ、、、ね。

面接は約1時間でした。

約1週間後、連絡が。

「採用させていただきます」

やったーーーー!
体の不自由な私でも、雇ってくれるところがあったんだわ
だってさ、私の今の状況を見た上で、状況を説明したうえで採用なんですから。
こんなに嬉しいことはありません

障害を持ってる人間は、結局役立たずなのか、と思いかけていたときでしたので、何よりもうれしかった


そして2日後、初出勤。
片道約20分。混まない20分。
距離にして約13キロ。

うちの近所なんて、混んで3キロ20分なんてザラなので、それを考えると気分的には楽なのかも

とこんな具合で、現在にいあたっています。

とりあえず、今の所、何も通達がありませんので、引き続きこの会社で働けるようです

パートのつらいところはこれなんだよな~。

料理は楽し♪

2007-02-28 14:54:53 | 退院後
退院してから大きく変わったこと。

外食が減り、料理を自分で作ることが多くなった。

世の主婦の方が読んだらお怒りになるかも。(私も主婦だけど)
当たり前だ~って。

倒れる前までは、夕方5時半まで仕事をして帰り、それから夕食の準備をしていました。しかし、主人の残業がない日は、6時半には帰ってくるので、それまでにできあがらないといけません。
そこで、どうしても「お惣菜」を買ってしまうのです。
そう、すでに出来上がっているおかず。

でも、このお惣菜、外食した際のメニューと同じで、誰が食べてもおいしいと感じるように、しかも冷めてもおいしく感じるように、味付けが濃い=塩分多い
というわけです。

私が倒れたのにはここにも一因が・・・?

で、退院後は、材料を買って自分で作るようになりました。
当たり前と言えば当たり前なんですけどね~。

だから、最近は、水菜1束とか、白菜まるまる1個とか、長いも1本とか、とにかく野菜を中心に原材料を買うことがほとんど。
メニュー次第でアレンジ自由ですから。
もちろん、お肉も、タレなんかが付いていないそのままのものを購入。
こうすることで、費用も格段に安くなるワケです。

ただ、問題なのがメニュー。
18歳で一人暮らしを始め、ほとんど学食で食事を済ませ、料理なんてカレーくらいしか作らなかったワタシ。到底レパートリーなんて

と、そこで最近お世話になっているサイトが

クックパッド ブックマークに入れときます
 
使いたい材料を入力して検索すると、そりゃあアナタ、驚くほどたくさんのレシピが出てきます。
魚は焼くだけとか、かぼちゃは煮るだけ、とか思っていたワタシには、目からウロコです。

実際にこのサイトを閲覧している人たちが、実際に自分で作ったメニューのレシピを投稿しているわけです。だから、フツーの料理本なんかとは、ちょっと違う。
だから、味付けも、ちょっとこの分量だと濃いな、と思ったら少し調味料を減らしてみるんです。

このサイトのおかげで、料理が楽しくなってきました。

何かで読んだのですが、料理は脳の活性化(最近このセリフ書いたなあ)にもいいんだそうです。手順を考えて、味も想像しながら、しかも手先を動かす。

料理は楽し

頭痛=倒れる

2007-02-21 08:01:18 | 退院後
去年の1月初旬、つまり、子どもの幼稚園が休みに入ってからのこと、なんだか頭痛が。。。
ヤバいっ!!!
また切れる(ホントに思いました)

入院中に言われた言葉「左が出血したということは、右も同じように傷んでる可能性大やから。両麻痺の可能性もあるんやで」
頭をよぎる。

高血圧だよ~という信号の頭痛をほったらかしにして、病院へ行かなかったのが今の状態を招いたんですから。

一度倒れた者としては、頭痛=倒れる となってしまいがちなわけで。。。
でも、血圧を測っても 上が120 下が80 と、ごくごくフツー。
でも頭痛はする

ちょうど薬もなくなりかけていたので、病院へ。

「先生、頭痛がするんですぅ。結構毎日。また(血管が)詰まったりしてるんとちがうんでしょうか?」
「血圧は普通やんなあ。でも心配やわなあ。いっぺん倒れてるから。そしたらCT撮っとこか、念のため」

というわけでCT撮影へ。
撮影後、もう一度診察室に呼ばれました。

「お風呂入ったら頭痛はおさまる? 寒いときに頭痛しない?」

そう聞かれ、よくよく考えてみる。そういえば・・・。お風呂に入っているときはいい調子

「運動不足から来る肩こりが頭痛を起こしてるんやわ。運動不足! 梗塞も出血もまったく無し。」

そういえば、子どもの幼稚園が冬休みになってから頭痛が始まったんだワ。毎日自転車こいで、幼稚園と家との送り迎えをしてたのが、冬休みに入ってからぱったりなくなったんだから。

そうかあ。運動不足、、、ね。

まあ、心配しすぎたというのもあって、なんだか気抜け。

でも、退院して1年ぶりにCTとって、安心もできたから、よしとしないとね。

CT撮影をしたおかげで、万札に近い診察費が羽をつけて飛んでいきましたとさ

でもね、お金は働けばかせげる。
でも、それは健康な体があってこそ。
今お金がかかっても、将来の自分に投資したと思えばいい。

と、私も倒れる前に思えたらよかったんだけどなあ。。。

ということで、冬休み中は近所の公園を散歩したりしてました。

どうしても車での移動が多いので、万歩計でも付けようかしら?

本当のワケ

2007-01-31 12:45:47 | 退院後
ドレミさんの司会に行った直後の9月に話は戻りますが。。。

実家の母に
「じつはな、京都行って来てん」
「そうかあ。よかった。心配しとったんや。司会じゃなくても、せめてお礼には行かんとアカンって思ってたんよ。」
「無事、しゃべれたよ」

後日、何の用事だったか忘れたけれど、実家へ行ったときのこと。
「お母さんが行ってる病院の先生がな、アンタのことをすごく心配してくれててね、1年後にまた司会に行ったっていう話をしたら、本でも出されたらどうですかって。アンタ、文章書くの得意やし、やってみたら?」

そんなこと、考えもしませんでした。
入院中に、西条秀樹さんの本も読みましたが、あれは有名な人が書いた本だからこそ読んでもらえるんじゃないの、と思ってたのです。
実際、私の様に脳内出血で倒れ、見事に社会復帰されてる人もたくさんいるわけですからね。

ただ、心のどこかで
「自分の経験を誰かに伝えたい。それが私が頑張ってきた証だから」
と思っていたのも事実です。

高額医療費の請求も済み、医療費控除の申請も終わり、障害者手帳の申請も済ませた今、入院中の書類はほぼ不要となったわけですが、母の
「本でも書いてみれば」
という言葉がどこかで引っかかっていて、書類どころか、リハビリで字を書いたノート、言語のリハビリに使った原稿などまで、すべて置いてあるのです。

それから1年後、つまり2006年9月、再びドレミさんの司会に伺いました。
退院後2回目です。

2年続けて、こんな体にも関わらず司会に呼んでもらえたということで、また少し自信がつきました。

そして、その直後にこのブログを始めました。
母のひとことで捨てずにいたいろんな書類をもとに・・・。
これが、ブログを始めたホントの理由かな。

ひとりごとと記録に近いようなブログですが、これからもよろしくお願いします。

消せないもの

2007-01-15 18:40:20 | 退院後
先週の金曜日(12日)のこと。
仕事から帰ると、留守番電話のボタンが点滅してました。
誰だろう

「石川病院のTです。じょ~ずにしゃべってますね~。」

入院中お世話に成った、言語聴覚士のT先生からだわ。
じつはちょっとした用事があってFAXを送っていたのです。
その返事だろうなとは思いましたが・・・

じょーずにって、何のこと?

あっ これか

「ハイ、住田でございます。せっかくお電話いただきましたが、ただ今留守にしております。ピーッという発信音のあとに、お名前とご用件をお話ください。後ほど、こちらからご連絡差し上げます。」
っていうやつ。

じつはコレ、倒れる前の声

今となっては、ここまで噛まずに話せません(笑)

結局、もったいなくて消去できませんのですよ。。。ハイ。

過去の恥ずかしい行為や記憶など、消したいものはあるけれど、この留守録の応答メッセージだけは消せないんだなあ。

みなさんにもありませんか?

私みたいに、消したくないものとか、捨てたくないものとか。


「やりたいこと」と「できること」

2007-01-12 14:32:17 | 退院後
6月からハローワークに通い始めて3ヶ月。
4週に1回、失業の認定を受けにハローワークへ出向きます。
その度に、置いてあるコンピューターで、求人票の検索

すると、JR加古川駅前のとあるビルの中にテナントとして入っている旅行会社が、カウンター(要するに、お客さんの接客)の人員を募集していました。
年齢の条件はぴったり
朝9時から16時までのパート。
日祝が休み。
マイカー通勤可。

いいじゃん、いいじゃん
旅行会社で、日祝が休みのところなんてほとんどない!

ただ、ネックは勤務時間。
子供の幼稚園は14時まで。
かろうじて見てもらえても14時半まで。

無理か~。

とりあえず、だめもとで窓口の担当の方に聞いてもらいました。

15時くらいまでなら相談に乗りますよ。
旅行会社経験の方ですか? 大歓迎です。
多少の障害をお持ちでも、今はパソコンっていう便利なものがありますからね。
一度面接にお越しください。

むこうの担当者の方のお話。

もし、子供が幼稚園に通っていなかったら、即面接に行ってたでしょう。

「主人にも相談してからお返事します」

そう言ってハローワークを後にしました。

面接を受けたら、おそらく採用してもらえるだろう。(予感)
でも、でも、それによって、子供や家のことはどうなる?
結局、子供や主人にっしわよせが来て、家の中がめちゃくちゃに・・・

「すいません、今はやはり無理です。これが、来年の4月、子供が小学校に入る頃だったらよかったのですが・・・」

お断りしました。正直残念

でも、1つわかったこと。
私のように障害を持つ人間でも受け入れてくれるところはあるんだということ。

1歩前進

バ・・・れた?

2007-01-09 23:10:24 | 退院後
さて、地球博に行ったあと、子供の幼稚園も夏休みに入り、
久々に毎日子供とべったりの日々。
そうだ
地球博のお土産、まだ渡してないじゃん
ということで、車で実家へ。
車の運転はすっかり慣れ、
子供のアトピーの治療のため、毎週水曜日には、
片道1時間半の道のりを西宮まで運転していました。
だから、加古川から姫路までは、私にはすっかり近距離になっていました。

で、そのときに・・・

いつもは「車椅子マーク」はキチンとはずして実家へ出掛けていたのですが、(障害者手帳を取ったことがバレないように)そのときは全く忘れていました。
その日、両親も妹も何も言わなかったのですが、後日、母親が
「お父さんが、車椅子マーク付けとったって言うてたけど、どないしたん?」

バレてたか・・・

結局、白状しました。

ところが、あっさり
「さよか(ああ、そうなの という意味ですよ)」

へっ

世の中こんなもんです。

案ずるより産むが易し・・・

ニューヨークで・・・

2006-12-28 02:17:20 | 退院後
以前の記事で、手持ちかばんにすると、何かと不便なので
(右手に上手く力が入らないので、右手では長時間ものが持てない)
肩掛けカバンにしようと書いたことがありました。

その、初代肩掛けカバンがこれ

じつは、ニューヨークへ一人で旅行した際に(旅行というよりサバイバルだったかも)ニューヨークで購入したもの。
おそらく10ドルくらいだったような・・・
もうかれこれ15年前のことなので、記憶が・・・

ニューヨークの街、というより、海外はぶっそうなので、貴重品は肌身離さず自分で管理しなきゃ、という気持ちがあり、リュックを持ち歩いていた私は、とっさに怖くなったのです。
何が?
リュックだと、後ろからチャックを開けられて盗まれるんじゃないかって。
で、このカバンを購入。
ニューヨークに行ったのは、鼻水が凍るほど寒い2月。
まず、普通に服を着て、この肩掛けカバンを肩から斜めにかけ、その上からダッフルコートを着る。つまり、外から見れば、カバンは何も持っていないという風な格好。

その時に買ったカバンが今頃役に立とうとは

このカバン、よく使いましたよ~
結局、中の生地が破れちゃって、今は2代目を使っています

さて、この肩掛けカバン。
私なりのこだわりが。

右手が不自由なので、チャック式はバツ。
ふたが、パカッと開けられるもの。
で、手が不自由なので、いろんなものをカバンに詰め込むので、できればB5サイズのものが入ればなおよし。

もう最終回になってしまいましたが、「Dr・コトー~」のドラマを見ていらっしゃった方も多いと思います。
あのドラマの中で、彩佳(柴咲コウ)の母親の昌代(朝加真由美)は、脳内出血で倒れ、リハビリの結果、杖をつきながら歩けるようになっています。
その朝加さんも、同じような肩掛けカバンをさげ、お祭りに出掛けるというシーンがありました。

このドラマ、私はきっと他の人とは全く違った視点から見てたんだろうなあって思います。
第1話で、朝加さんが回復してるのを見て、ドラマなのに
「よかったねえ」とTVの前でつぶやいている自分がいました。

なんだか、カバンの話から、えらいほうまで話がとんじゃいましたね。

駐車場のこと

2006-12-28 01:52:21 | 退院後
このことは、いつかブログで記事にしようと思っていたのですが、
最近ちょっとした事件(というほど大げさではありませんが)があったので、今日書こうと思います。

スーパーや観光施設など、あらゆるところで身障者用の駐車スペースが用意されています。やはり、足の不自由な者にとっては非常にありがたいことです。
スーパーなどだと、入り口に一番近く、あまり歩かなくてもよかったり、また、駐車スペース自体が広くとってあるので、車椅子利用者などは助かります。

じつは先日、年賀状をパソコンで印刷しようと思ったらインクがない。
そこで、近所の大型電器店へインクを買いに出掛けました。
入り口の真横の身障者用の駐車スペースがあいていたので、そこに車を停め、お店の入り口へと向かいました。そのとき
「ここ身障者用のところやのに停めてるわ」
と、入り口付近で、おそらくご家族の車を待っていた女性が、私を見て言ったのです。おそらく私が、いわゆる健常者だと思ったのでしょうね。

「ごめんなさいね。私、障害者なんですよ」
と思わず口にしていました。
もしかしたら、その女性にしてみれば、嫌なこと言う人、と思ったかもしれません。でも、決して厭味だとかではなく、事実をわかってもらいたかっただけなのです。

各施設の障害者用のスペースを気を付けて見てみてください。
たいがい、いつもいっぱいです。
それが、本当に必要な人のために使われているならまだしも、普通に健康な人がお店などから出てきて車に乗り込むのを目にすることがよくあります。
それを見ながら、杖をついた方が遠くから歩いているなんていう光景はざらです。

でもね、今回のこと、逆に考えてみると、
その女性は、身障者用の駐車スペースには健常者は駐車してはいけないという気持ちを持っていたからこそ、あんな言葉が出たんだろうなって思います。

新婚旅行でオーストラリアに行ったときのこと。
レンタカーでドライブに出掛けました。
そのとき、小さな街で昼食にしようということになり、先に私が車から降り、店で待つことにしました。主人は車を停め店にやってきました。
食事が済んだ後、車にもどると・・・
駐車違反(もちろん英語ですよ)の紙が、フロントガラスに・・・
よく見るとそこは身障者用スペース。
当然といえば当然ですよね。
でも日本ではここまではしませんよね。
新婚旅行で120ドル(約1万円)の罰金を払いました


さて、身障者用の駐車スペースについてもう1つ。
よく赤や黄色のコーン(三角のポールみたいなやつ)が、身障者用スペースに置いてあるのを見たことありませんか?
施設側の配慮で、
健常者の方は駐車ご遠慮ください
という意味で置かれているのだと思いますが
足の不自由な者にとっては、これが逆に不便なのです。
考えてみてください。
駐車するのに、いったん車から降り、コーンをわきのほうへのけないといけないのですから。
誰かが一緒に乗っているときは、降りてのけてもらいますが、一人のときは面倒なので、結局遠くに停めてしまいます。
コーンをのける間に車を停めていると、別の車が、邪魔だ~、とクラクションを鳴らすこともしょっちゅう。

何かいい方法はないものですかね。

結局は各人のモラルの問題なのかなあ・・・