( 8½ )(7)VR奥儀皆伝 TP-VR Attract. 謎解き・テーマパークVR Web版

2020-08-18 | バーチャルリアリティ解説
第七回 「プレショー」の VRでの意義 と「ヘルメス科学」仄聞
                          【( 8½ )総目次 
 第六回では、『レベッカ』(1940年)を IVRCの作品風に変えてみました。

 狙いは、VRに 「ヘルメス科学」が含まれていて重要な役割を果たしていると言いたかったのです。ちなみに VRという装置は、「有機体論科学」「機械論科学」、そして  「ヘルメス学的な(化生論)科学」を全部含んだ装置です。ともあれ、

 第六回の「復習」をしておきましょう。

 〇 IVRC作品の表示装置に液晶テレビなどが含まれ 実写映像が映る場合には、照明を工夫して下さい。デモ映像や作品の印象が、がらりと変わります。SEGAの『プリント倶楽部』(1995年)も改良の都度、主に照明を工夫しました。

 〇 開発チームの目標統一に、絵コンテを作ります。

 〇 IVRC作品や テーマパークで の「プレショー / キューライン(待ち行列)」は、映画の「予告編」と同じです。観客に訴えたい テーマを、キューラインで告知して、観客の心の準備を没入感のために導きます。


 画像借用元: https://segaretro.org/VR-1#:~:text=VR-1

 横浜ジョイポリスの目玉アトラクション『VR-1(1994年)のプレショーは、とても上手に演出されていました。観客は、最初の部屋(プレショー)で スタッフから あるミッションを与えられます。それは味方のスパイが苦労して手に入れた「敵をせん滅させる大切な情報」を、追いかけてくる敵戦闘機から守って、離れた星の味方の陣地に届けるというものでした。
 この作品は、AS-1用の揺動装置(8人乗り)を4台並べて同期させた 32人乗りの VRシステムです。お客様が少ないときには、8人とか16人でも稼働しました。

 観客が装着した『VR-1』の HMDには目の前に大きな照準が付いていて、手元のスイッチを押すとミサイルが その照準めがけて発射されます。観客は、ひたすら周囲にむらがる敵戦闘機を撃ち落します。途中で「上から攻めてきたぞ!」という声に驚いて観客が上を向くと、上からくる敵が見えたので撃墜します。途中でなぜか、高層ビルのオフィスフロアに飛び込んで、そこに働いている人たちが 慌てて逃げ出します(笑)。
 味方の陣地に着くと、戦士たちが大勢並んで VR-1の無事の到着を歓迎してくれるのです。

 ※ 『VR-1』 の プレショーの素晴らしさは、アテンダント教育に関連してまた触れます。横浜ジョイポリスは 1994年に開館しましたが セガ・エンタープライゼスには「飲食」「物販」のノウハウが欠けていたので 2001年に閉館しました。(あと少し我慢して 2004年まで運営していたら、みなとみらい 「元町・中華街駅」のオープンで 新宿 伊勢丹百貨店が繁盛したように、今でも賑わっていたかも知れません。)

 プレショー(キューライン)「予告編」です。その作品のテーマ(目標) を観客に訴えるところです。VR装置は、観客が自分で操作しなければ 何も起こりません。それで、観客が その VR世界に自ら参加したくなるよう プレショーで動機づけさせて頂くのです。映画館で上映される劇映画では露骨に「予告編」が、次回上映への来場客集めを担当しています。

 ヒッチコック監督の『泥棒成金』(1955年)「予告編」では「気さくな富豪令嬢」のグレース・ケリーが綺麗だなあ と、観客が「ぼおっ」と予告を眺めていると、美しいフレンチ・リヴィエラ(コート・ダジュール)の景色が 映画だけでも バーチャルに観光できることに気が付きます。観客は、名高い観光地に自分たちも行ったつもりで映画館にまた来ようと思ったことでしょう。サンフランシスコ観光の『めまい』(1958年)を予告している作品でした。
   【予告】泥棒成金
 誰が真犯人だったか なんて、まるで印象に残りません。

 本当の「主人公」が誰だったかは、映画の最後のせりふで 分かりました。


 画像借用元:泥棒成金 その原題は「怪盗を虜にする」。

 キューラインでは、類似したシステムを 以前に組んだことのある方が見つかるかも知れません。

 昔話ですが、ソフトバンクが PC用ゲームソフトを LPレコードに録音して発売したことがありました。このときは、盤面の反射で プログラム部とデータ部がターンテーブルに乗せなくても分かりました。(そのLPは、植松逸雄さんから貰いました。)ゲームのクオリティまでは分かりませんでしたが、開発者ごとに、データの置き方に くせのあることは分かりました。類似したソフトの開発者だったら、クオリティまで光の反射で見抜けたのかもしれません。

 ともあれ、キューラインでの観客へのテーマの告知、動機づけが上手くできた場合は、もしかするとですが、そのVR作品が将来、見違えるように変化する 改善方法を観客が目ざとく発見して、開発者に教えて下さる、といったことも起きるでしょう。
 チームのメンバーだけで、200 – 300 通りの そのVR作品の異なった使い方、動かし方 を思いつくことなんて不可能です。キューラインに並ぶ 200人から300人の IVRCの観客が、夫々に 全く異なるアプローチでその作品を動かして下さるので、最も良い改善方法が見つかります。

 ここでは、「VR装置の観客」が「有機体」です。アリストテレスに言わせれば、テーマパークの入場料を払って そこに来られているので彼女を満足させたい とかの)「目的」を持っています。

 キューラインの演出を工夫することで、観客のデートという人生の素敵な体験を強化できます。
グレースとケイリー・グラントのデートを 鮮やかな照明で撮影することと同じです。 ちなみに、教会で結婚式というイベントが行なわれている理由は、結婚生活という VRアトラクションが 神様や 友人たちに見守られて末永く幸せに続くように という意味での、結婚生活のための「キューライン」なのではないでしょうか。

 ※ 結婚式の披露宴や 国際学会のバンケットは、テーマパーク形式のイベントで、出席者に その出来事を強く印象付ける 格式ある儀式の要件です。例えば、IVRC 2018の懇親会についても「学生には腹の張るスパゲッティが良いだろう」程度の軽い計画では決してなく、大谷智子先生と永谷直久先生が 約半年前から予約・内容の打ち合わせという手間の掛かる入念な準備をして下さっていました。予選大会を済ませた後の薄くなったお財布と相談しながら、評判の良い上等なレストランでの、食欲旺盛な学生たちに十分満足して貰えるスパゲッティのパーティプランを選んだ、という経緯がありました。
 今だから お話しできますが、その数年前までは予算が きつきつで 懇親会の直前には IVRCの予算が「ほとんど」残っておりません。レストランとの価格交渉では、企業デモの実施といった当方からの無理を聞いて頂いた上に、割引プランが受けられるかどうかが「予算が赤字になるかならないか」の分かれ目でした。もし追加ドリンクの値段交渉に失敗した場合は、私と 会計の野嶋琢也先生の二人が入り口に立ち、当日参加の実行委員たちから1万円程度のカンパを戴くという具体的な段取りを決めて(毎回)緊張しながら、最終妥結金額の電話連絡を待ちました。大谷先生からの連絡が、嬉しかったこと。数年間、余分のカンパ一切なく懇親会を実行できたのは、大谷先生、永谷先生のお陰でした。

 懇親会のない国際会議は、ありません。IVRCの学生たちは、バンケットは初めての経験です。IVRCは VR開発者たちを国際学会に立たせる「道場」でしたから、懇親会への出席が推奨されました。予選大会は VR学会大会との併催が多く、大会企画セッションでの「登壇」と「聴講者からの質問」も必須です。VR学会大会は 国際会議クラスの先生方がセッションの司会をされていますので、学生たちは国内学会だと安心していたかも知れませんが、実は、国際会議クラスでの作品発表でした。予選大会のキューラインでは、世界レベルの観客が大勢 体験して、改善案を教えて下さったはずです。

 ともあれ、有機体としての観客に「この場所に来た目的や 成長」について どのように感じて貰えるのか。IVRC作品の開発者も テーマパークの設計者も、プレショーの効果を アリストテレスの原点から 観客と一緒に考えてみては、どうでしょう。

 VR作品は 観客の自発的な能動、目的意識によって起動する、観客の成長を促す装置だからです。

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 次に、VR作品に含まれる「ヘルメス科学」という「魔法」を説明します。ちなみに、「魔法使い」の語源は ゾロアスター教の聖職者(マゴイ、ラテン語表記の magiでした。
 ヘルメス科学は、観客、表示装置、バーチャルな世界、そして、入力装置で構成されます。って、つまり、それは、
 VR装置の構成要素の全部を使って実現されている、という意味です。

 (1969年に公開された『王女メディア』という映画も ありましたが)古代メディア王国の祭司(ヘロドトスの伝えるマゴイ)たちが Magiの起源だった考えられています。福音書では「東方の三博士」のことをマギと呼びました。
 「東方の三博士」というのは、イエスの生誕を占星術(当時の天文学)で予知してヘロデ王のところに旅して やって来て、「ユダヤ人の王が生まれたはずだから会わせて欲しい」と イエスの所在を訪ねた 有名な三博士です。彼らは、ゾロアスター教徒の僧侶たちでした。そして、彼ら三博士の持参したプレゼントは、黄金、乳香、没薬でした。
      王権、神性、死後の永遠 の象徴です。
 彼らはイエスに 「王権」太陽信仰と青年期の金の探索、「神性」敬神と壮年期の健康維持の乳香、「死後の永遠」エジプトのミイラ製作技術を含めた科学技術(没薬)を伝えようとしていたのですから、それらの意味に気付いて、ヘロデ王が
   「すべての嬰児を殺せ!」
とパニックを起こしたのも、ある意味、無理はありませんでした。

 お断りしておきますが、これから書く内容は、40年間私が考えて「おおよそ」こんな感じ、という内容です。私自身の「ヘルメス科学」の免許皆伝は、あと40年掛かるかも知れません。
 最初に、私の考えと標準的な「ヘルメス科学者」の見解が混じるといけませんので、標準の見解をご紹介します。「ヘルメス主義」の定義については、『科学史技術史事典(弘文堂)縮刷版 の 962頁を読んでください。大きくは
   (1)大宇宙と人との共感や感応を知る神学と、
   (2)占星術・錬金術などに分けられて、
前者はアラビアの神秘主義と深い関係があるそうです。コロナ治療で今後、どれだけのベッド数が必要になるかが予測できるのは、ヘルメス科学の後者(数理モデル)のお陰です。
 『科学史技術史事典』の上記の説明( 坂本賢三氏柴田有氏による執筆です )よりも詳しい本は読んでも、正直、良くわからないと思います。私も 最近ようやく、昔に買ったヘルメス科学の本が、読んでいて 少しだけ理解できるように なりました。

 ※ 『科学史技術史事典』の上記の箇所をスキャンして、下に載せました。(下↓参照)

 ここからは、私の独自の見解です。「ヘルメス科学」を一言で説明すると(もちろん 一言では説明できないのですけれど)、
   「『プリント倶楽部』を製造する時、どのくらいの輝度の照明を取り付けて顔を照らせば、

   写真が Kawaii感じに仕上がって利用者が喜ぶかが予見できること。利用者は、

   顔の角度を いろいろ変えて、写真写りの良い自分の顔が探せる」という科学です、と言えば、
   もしかするとですが、ヴォルフガング・フォン・ゲーテ先生も 坂本先生も、にやりと笑って、
   うまいこと言ったな、という顔をして下さるのでは ないでしょうか。ええっと、その前に


( 図 A )『創造の世界』30号(1979年)の 60頁より転載

 科学史の分野で、現在の科学思想の源流を3つに明確に分類して見せたのは、H.カーニイという英国の先生の『科学革命の時代‐コペルニクスからニュートンへ』(原著1971年)でした。平凡社から訳本が、中山茂先生・高柳雄一先生の とても丁寧な翻訳で 1972年(1983年改版)に出ています。
 世界大学選書の一冊で、一般人向けの教養書として書かれました。
 同書のあとがきに、中山先生が(3つだけに分類していることで)細部には多少、無理も感じられると書いておられますが、しかし従来は、有機体論と機械論の二つに無理やり押し込めて科学思想を論じていました。そこに、ヘルメス科学(魔術)を併置したところが この本のミソでした。しかし、この本『科学革命の時代』でも、科学史上の「この本は こちらの棚」 「あの説は こちらの棚」と、3つしか作っていない棚に科学思想を押し込めて分類するやり方が踏襲されてしまった事で、中山先生のような感想も出たのではないか、と思います。坂本先生は、3つで良いじゃないですか。ただヘルメス学的科学という名称は、もっと東洋まで含めた汎用名にして、例えば、化生論とするのは、どうだろう。それから、それそれの境界領域に、別の科学思想体系として、例えば、錬金術や占星術が分類できるのではないですか、と仰ったのです。坂本先生には分類学についての著作もありますから、科学思想の3つの源流の分類についての専門家の意見として、それが良いんじゃないでしょうか。上の図は、坂本先生が雑誌『創造の世界』30号(1979年)の 60頁に載せておられる図です。(もちろん中山茂先生も、カーニイ氏の同著を「歴史の流れを大局的につかみ出し概観している」と高く評価しておられます。)

 ちなみに、坂本説の分類に勝手に乗っかって話をすると、VRシステムは、上記の 3つの丸が重なったところ に位置しています。

 ただちょっと 細かいことを話すと、『創造の世界』30号の 坂本先生の「シンポジウム」のコーナーで、東アジア科学史がご専門の山田慶児先生が、ひょっとすると「化生論」と「有機体論・機械論」は 次元が違うんじゃないですか? というすごく重要な指摘をされています。山田先生は、荘子に出てくる「混沌」の話を紹介しておられます。他の神様が親切心で目鼻をつけたら混沌は死んだ、その混沌です。


( 図 B )『創造の世界』30号(1979年)の76頁より転載

 同じ 坂本先生の「シンポジウム」のコーナーで、精神医学の志貴春彦先生は、「化生論は お釈迦様の手のひらで、その上を機械論有機体論が走り回っている」 のじゃないか、という(大変に重要な指摘でもある)面白い比喩を披露されました。小学館の総合誌『創造の世界』30号(1979年)掲載の「科学思想の源流を探る ‐ ヘルメス主義的伝統をめぐって」という坂本賢三氏の基調講演、そして 「シンポジウム」から引用しました。坂本先生は、ここで、有機体論(成長や目的性)機械論(永遠や因果性)に対する化生論冶金の色の変化、性質の変化や意味の変化などで示される遷移性や、大宇宙と小宇宙の照応性 = コレスポンデンス)を明確に比較して論じ、化生論の起源としてのゾロアスター教や東方の思想について論じました。
 これは、H・カーニイ先生も扱わなかったスケールの大きな科学思想の世界的変遷という議論なので、「ヘルメス学」という西欧の科学革命だけを論じたネーミングを「化生論」という東洋を含めた議論の器に転換した時点で、坂本賢三先生発案のオリジナルな科学思想史になります。一例を挙げれば、東方から 化生論が伝わらなければ、シェイクスピアのいくつかの作品は違った筋立てになったでしょうし、ゲーテの代表作も書かれなかったかも知れません。非常に重要な議論だったのです。ちなみに、坂本先生のシンポジウムでの発言者は、梅原猛、河合雅雄、坂本賢三、作田啓一、志貴春彦、山田慶児 の諸先生でした。それから、ウォーバーグ研究所名誉研究員のフランセス・イェイツ女史が、ジョン・ディー博士(1527 ‐ 1608か09年)というエリザベス1世に大変重用された「魔術導師」の著作の西欧科学史での重要性について、最初に注目しました。

 ユークリッドの『幾何学原論』は、紀元前3世紀頃に編纂されたとされていますが、西欧では長く失われていた貴重な本でした。十字軍がイスラーム世界に攻めこんだときに、西欧に全く残っていなかったギリシャ・ローマの優れた科学や美術が、中世の長い期間、イスラーム世界の言葉にきわめて正確に翻訳されて保存・継承・(そしてアラビア科学として)発展していたことが 西欧に知られるようになりました。そして、「12世紀」のルネッサンス以降に、イスラーム世界から大量の文献がラテン語に翻訳されて文芸復興として西欧世界に戻ってきたのです。ユークリッドの『幾何学原論』は、1120年頃にラテン語訳が出て広く知られるようになりました。ところで、同書の待望の英語訳が 1570年に出版され、その「
数学への序説」には ディー博士の 当時としては何世代もの後の未来にやっと実装される科学思想の宣言文が書かれていたことに F・イェイツ女史 が気づいて発表し、その指摘を読んで、同僚の研究者も 全員が驚いてしまいました。
 ユークリッドの『原論』は「世界の名著9 ギリシャの科学」に入っています。『原論』をインテル社のマイクロプロセッサの使用説明書に例えると、そのチップがどんな未来の産業の制御装置に組み込まれるかを説明したのがディー博士の「序文」でした。当然、4百年先の業務用ゲーム機やプリクラの主要科学に「原論」が使われたり、IVRCの学部学生がそれを活用して国際学会の技術展示に作品が採択される未来は 誰も予想してなかったわけで、白魔術と黒魔術の区別がつかない当時の イノベーション科学の素人たちが「高名なディー博士を SNSで糾弾している俺って偉そうに見える」という目的からディー博士の天使魔術という教会公認の まっとうな発想法を ひたすら批判して、炎上させていました。

 ちなみに、ディー博士の序文の意図を「正しく」理解するために Hugh Kearney (H.カーニイ)著『Science and Change 1500-1700』巻末の膨大な参照文献に目を通す必要がありましたので、旧世紀中には 途方に暮れましたが、池上俊一氏監修の『原典 ルネサンス自然学 下』にジョン・ディー「数学への序説」が坂口勝彦氏の見事な完訳で掲載されたことや、F・イエイツ女史の著作や白水社、平凡社、工作舎などからのヘルメス科学の文献の出版が相次いでいることから、上記の科学思想の3つの源流という着想は、今こそ議論されるべき話題になりました。なにより、VR技術の 数学的起源の検証という話です。なお、今後の VR奥儀皆伝に H.カーニイ氏の著書の詳しい紹介を掲載します。

 ここから先は、フェロー武田流の「超訳」です。他所で軽々に話すと理解されないので、注意して下さい。(というか、ディー博士も、博士の理論をきちんと理解していない人がディー博士を無暗に持ち上げることを「やめて欲しい」と言っています。あ、私のことですね。)

 「プリクラ」に入って自分の顔を鏡に映すと、その時の照明の角度や輝度を数値で表わすことができます。そうですね。でも、プリクラに入ってきた目的は、今、この中の照明が どのくらいの輝度で自分の顔を照らしているか、といったことを計測するために入って来た訳では、ありませんでした。夜中のテレビでアイドルを観ていたので、むくんでしまった自分の顔を、どうすれば kawaii顔に直して写真に残せるかを考えるために、プリクラ愛用者の彼女は、ここに入ってきたのです。

 このとき、「プリクラ」の鏡に映った彼女の顔の横に、おもむろに魔法使いのディー博士の顔が浮かび出て、こう言いました。


 昔の秋葉原には、輝度や照明の角度などを数値で表示できる計測機は売っていなかったんだよ。だから、僕はこう言ったんだ。綺麗な顔写真をお見合い用に撮りたければ、輝度や照明の角度を数値で明示できる計測機を作ってカメラ写真館に使って貰えば良いだろうって。
 絵画術、天文学、音楽、地理学、航海学、建築学、図像学、光学、全部おんなじだよ。特に航海術では、私のメソッドは遠洋航海に大変に重宝されたんだ。ところで、そんな計測器は、どうやったら作れるんだって?

 今、あんたが手に取っている本は、何だい。ユークリッドの『幾何学原論』だろぅ。僕の書いたのは、その序文だよ。

 ディー博士は、話を続けます。

 レオナルド・ダヴィンチという大天才が、15世紀に、数理モデルで人体のデッサンを図像化(シンボル化)して、聖アンナ(マリアのお母さん)と聖母子の顔を一列に並べて 構図が安定し、二人が美人に見えた、っていう実証モデルを絵に描いたよね。 図像学で顔を美人に見せるこつを覚えたら、あんたの むくんだ顔もプリクラで、お目目ぱっちりの小顔に修正できるよ。別に、やせた写真を撮りたければダイエットして痩せなさいなんて言っている訳では、ないんだ。紅茶キノコは、3日で飽きただろ。結婚して自分の子供にプリクラの写真を見せて、お母ちゃんは昔は こんなに美人だった。この写真が証拠だ、と自慢できれば、それで良いんじゃないのか
 プリクラの画面の奥の あなたの顔は、現実世界の むくんだ顔ではないはずだ。言うなれば「真理の光」に照らされた、あんたの魂が本来持っている光輝さに照応した高貴な顔なんだ。あんたは、本来、それだけ貴高かったのだよ。あんたの魂の気高さを、こうして あんたにCGで示して見せてあげられるのだから、その道を「こっちだ」と指し示して化生論的な科学技術の発展方向を基礎づけた僕、ジョン・ディーがカリスマ美容師なみの「魔術師」って呼ばれているのも無理ないだろ。

 すいません。とりあえずは、「プリント倶楽部」を見た事がない海外の科学者にとって意味の分かりづらい表現で書いてしまったことに関して、F・イェイツ女史と坂本先生と、ゲーテとディー博士 および関係者の方々に、お詫びします。少しだけですが、分かり易くするための誇張した表現があるかも知れません。というか、ディー博士は「ユークリッド幾何学原論の序文」には、当時のラテン語を知らない一般の職人さんたちには使われ始めたばかりだった まだ珍しい(簡単な)数式や幾何学を、もっと 数理モデルや実験に積極的に活用して社会実装しましょう、と説得力を持って推奨しているのですけれど、そのことを博士は「化生論」「機械論」の どちらの立場の人が読んでも納得できる極めて平易な表現で書いています。当時は プリクラを例にした説明は まだできませんから、数学と幾何学が応用できそうな分野を表形式(The Groundplat)にして列挙しました。それらの領域の数学的な解法を、おそらく機械論者は 機械論の使い方で考え、化生論者は 新プラトン主義の使い方で考えたのだろうと思います。数理モデルを作ること自体は新プラトン主義の数学でしたから、機械論者は このとき意識せずに「機械論だと勘違いして」新プラトン主義の解法を機械論的に実装しました。そして、ユークリッドの「原論」英語訳は 長い間、ずっとディー博士の序文を付けて再販され続けていたのです。ですから、「社会実装だからデカルトの『方法序説』の方法論に従えば良いはずだ」と(科学者が間違って)考えながら、一方で、統計学や 理論物理学、そして コンピュータのシミュレーション科学などに ディー博士の新プラトン主義の方法論が具体的に踏襲されたのではないでしょうか。このことには、F・イェイツ女史が最初に気が付いたそうなのですが、おそらく、晩年に大著のジョン・ディー論を発表しようと準備されつつも、女史(爵位 Dameを授与されました)は1981年に81歳でお亡くなりになったのだと私は考えています。そのために、ジョン・ディー博士が 制御理論や サイボーグの草薙素子の生みの親だったことに気付かれないままの科学史が書かれてしまったのではないでしょうか。
 ということで、(私の説明で)プリクラの鏡の向こうにディー博士の顔が登場することは、自然な成り行きだったのですけれど、上手にヘルメス科学の背景を説明しないまま唐突にディー博士による説明を始めてしまったことに お詫びをしておきます。

 今回も長くなりましたので、「パリスの審判」のVR化については、次回にします。


画像借用元:『パリスの審判』 フィリップ・パロット、1875年

 ところで、これは私のタイムマシン妄想なのですが、タイムマシンができたらディー博士に、「ムーンショット目標1 2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現します」https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/sub1.html の企画書とネット検索のできるPCを届けてあげたいところです。ディー博士だったら絶対に関心を持って、僕の得意分野だ、僕にも研究させろと言うことでしょう。日本政府と JST、NEDOなどが推進しています。2050年に望ましい未来を想定して、バックキャストで 社会実装するそうです。


 画像借用元: 昆布茶ではなく、KOMBUCHA。紅茶キノコの誤訳だそうです。

 すいません。最後に一つ書き漏らしていました。VRにおける「機械論」についてです。VR装置の「入力装置」と「表示装置」がそれにあたります。故障したときに、メカトロの設計担当者に連絡すれば 修理に来て貰えて交換のできる構成要素 が機械論です。17世紀頃の機械論者にとって、教会で鐘を自動で鳴らす「鐘撞男の自動人形」が修繕して直せたことから類推して、人間も機械で置き換えれば修理できるのではないか、と大勢の人が考えました。
   人工透析や臓器移植は、その応用例(機械論)です。
 壊れた鉄腕アトムは、科学省が元通りにしました。8マンも、故障したら谷博士が直しました。

 書き残したことを もう一つだけ。 Isaac Casaubon カソーボンという文献学者が ヘルメス学の基本文献である『ヘルメス文書』について、従来言われていたよりもずっと遅くの、西暦3世紀頃の文書だったと1614年に発表したこと。そして、ぱったりと研究者が絶えたはずだったのに
   「しかし、ヘルメス学の伝統は、化学、医学、工学などの分野で絶えることが無く、特に、工学における(美的さ を求める)数理モデルのヘルメス学的な伝統は、どこかに潜んでいたのです」
という内容を前回(6)に書きました。それは「薔薇十字団」でした。地下に潜ったヘルメス科学は、薔薇十字団という秘密結社のグループによって、(例えば、自主研究団体の「○○大学ロボット研究会」とか そんな感じで) 1614年以降にも ずっと研究されていたのです。

 機械論者(すべての装置は時間可逆で修理可能だと考える人々)からすると、薔薇十字団は、独特の宣言や入会儀式など「いかがわしい」とも言える魔法の匂いに包まれていたように見えたかも知れません。でも、当時でも、化学薬品という もしも爆発したら数キロ四方に被害が及ぶ得体のしれない物質を、国家資格の取扱責任者が誰一人いない時代に研究していたのです。秘密結社にでもして、入会資格を厳格に制限しなくては、ミッキーの「魔法使いの弟子」みたいなのが時々出てきて、調子よく、ぽんぱ ぽんぱ、ぱぱぱぽん、を しでかしてしまう危険をメンバーが感じていた、ということでは無かったでしょうか。

 映画『ファンタジア』より「弟子のトラブル」 : https://www.youtube.com/watch?v=629haoce4-o

 15 - 16世紀のドイツに実在した占星術師、錬金術師のヨハン・ゲオルク・ファウストは、錬金術の実験中に爆死して、五体は ばらばらになったそうです。この話から、様々な伝説が生まれました。シャルル・グノーの歌劇 『ファウスト』(1859年初演)や、ベルリオーズの歌劇 『ファウストの劫罰』(1846年初演)が、音楽では 私のお気に入りです。
   【Gounod『ファウスト』兵士の合唱】 対訳 Gloire immortelle De nos aïeux, 
   【ワルツ La valse de l'opéra 'Faust' Rudolf Kempe Wiener Phil. 】

 VR奥儀皆伝( 8½ )(6)「VRの「リアリティ」とは 何でしょう」はこちら。→ こちら
 ( 8½ )「暫定総目次
 『バーチャルリアリティ奥儀皆伝( 8½ )』 (8)に続きます。→ 
こちら

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  以下は『科学史技術史事典』弘文堂 1994年、pp.962-963




 ( 8½ )「暫定総目次