VR奥儀皆伝( 8½ ) 新シリーズ 『謎解き・テーマパークVR Web版』(1)

2020-06-28 | バーチャルリアリティ解説
 第一回 ウイリアム・ギブスンが創造した CYBERSPACE
                          【( 8½ )総目次 
 ウィリアム・ギブスンのSF長編小説『ニューロマンサー』(黒丸尚訳、ハヤカワ文庫SF 1986年、原著 1984年)には、電脳カウボーイたちの活躍が描かれています。デジタル化された企業の経営支援システムのデータベースに非合法に「ジャックイン」して、社外秘の営業情報などを盗み出そうとするカウボーイたちの活躍です。こうしたカウボーイの跳躍の舞台が(作者ギブスンの名付けた)cyberspace という空間で、黒丸尚氏は この言葉に「電脳空間」という見事な訳語を与え、そこにルビを振って「サイバースペース」と印刷しました。ギブスンの造語です。なお、本書『Neuromancer』は サイバーパンクSFブームの はしりとなった作品で、フィリップ・K・ディック賞、ネビュラ賞、ディトマー賞、SFクロニクル読者賞、ヒューゴー賞を連続受賞して 1984年のSF出版界を騒然とさせました。
 ギブスンは「自分は、コンピュータ科学の勉強をしたことは無い」と言いながらも ハッカー・スピークに耳を傾けて、cyberspaceを造語しました。ちなみに、cyberspaceの初出は短編『クローム襲撃』(1982年)ですが、主人公たちがジャックインするために使用した操作卓の名前です。ギブスンの小説で大活躍する やんちゃな主人公、カウボーイたちは(一般の企業でも使用している)操作卓「サイバースペース7」の前に座り、ロシア製や中国製の(非合法な)ソフトを使用して あたかも自分たちは「税務署の特別監査のためのプログラム」であるかのように偽装してシステムに潜り込み、企業の経営情報データを盗み出し、転売して荒稼ぎをするという生計を営んでいる設定でした。
 好編のSF映画『JM』(Johnny Mnemonic、ジョニー・ネモニック、1995年、主演は キアヌ・リーブス)には、ギブスンが脚本に参加していましたので(1995年当時のCGで)ギブスンの考えていた cyberspace 世界の具体的な映像を見ることができます。 (『記憶屋ジョニイ』 『クローム襲撃』 『ニューロマンサー』は 同じ世界の出来事です。)


画像借用元: What We Learned About Technology From Watching Johnny Mnemonic
https://www.wired.com/2013/03/technology-johnny-mnemonic/
予告編:JM : Johnny Mnemonic - Trailer [Japanese version] https://www.youtube.com/watch?v=OHjvmPdj5FE 必見です!

 映画『JM』のCGでは、ビルの形で表現された立方体のGUIが、例えば
   国籍企業の抱える(極秘の)経営情報が「ハッカー除け」の覆いで すっぽり覆われている姿
なのだそうで、外部からは見えないというイメージです。逆に、企業の内側にいる役員や情報システム部の職員には、ハッカー除けの覆い(つまり外側から見えるビルの形)は見えておらず、企業の財務情報などのファイルだけが見えている設定でした。小説『ニューロマンサー』では、東部沿海原子力機構のデータがアステカ風のピラミッド型に(ハッカーたちには)見えているですとか、アメリカ三菱銀行が緑色の立方体に見える とか書かれています。
 IBM-PCが発売されてパーソナル・コンピュータ市場が成立したのは 1981年でしたけれど、当時のソフトウェア・インタフェースは、まだキーボードからコマンドを直接入力する、という形態でした。例えば、外部記憶のフロッピーという(ソノシートのような)記憶媒体を PC9801のDISK-BASICで操作する時には、「mount」と打ち込んでから 記憶媒体を 使用して、再び「remove」して装置から取り出しました。Apple社のMacintoshが、画期的なGUIのインタフェースを宣伝して登場したのは1984年のことです。ですから、映画『JM』のCGのように、グラフィックでコンピュータの画面上にデータファイルの所在(アイコン)が表示されていて そこをターゲットにしてハッキングする、というSF作家の想像力は(1984年の出版時には)さすがだったと私は思います。とにかく、小説 『ニューロマンサー』においては「サイバースペース」について、次のような説明が書かれていました。
 そこは(1)世界中のコンピュータと通信回線を使って維持される 実際には存在していない世界である。しかし(2)何十億人という世界中の技師や 数学を勉強している生徒たちがその空間の存在について実感しており、その世界を共有していると感じている。(3)そこでは、ある企業のデータベースが、輝く輪郭線でふちどられた一つのビルの形に視覚的に再現されるなどして、精神の営みが星群のように きらびやかに輝いて、それらのデータへのコンピュータからのアクセスが 光の尾を輝かせながら巡っている、というイメージです。
 ただ注意して頂きたいのは、発案者のギブスンがSF作家の想像力で そう書いても、「サイバースペースが そう定義できる」という訳ではありません。実際、1999年の映画『マトリックス』の操作卓の向こうに広がる現実とそっくりな世界も、そして 2001年の映画『アヴァロン』で描かれた世界も、夫々、小説 『ニューロマンサー』とは全く異なったイメージのバーチャルな世界でした。ギブスンの考えた1984年発行の小説の中では、たまたま そのサイバースペースが、世界中のコンピュータと通信回線を使って構築された 現実に存在しないネット上のビジネス世界だ、と描写されていたので、映画『JM』のCGには オンラインで世界中の人間が同時にアクセスしている(ネットゲームの舞台のような)「バーチャルな都市のCGモデルが視覚的に表示されていたのです。しかし、ぶっちゃけ、そのバーチャルな世界に描かれる内容は、なんでも構いません。
 実は、そのことは 私の「VR技術の構成要素図」を見れば明瞭に分かります。


 (このダイアグラムは、1993年12月に紀伊国屋書店本店2階を歩いているとき私が着想し、12月16日に都内のある建築会社の宇宙文化研究会での社外講演で最初に解説して以降、私の講演会では ほぼ毎回、説明に使ってきました。先行研究としては、建築学のマイケル・ベネディクト教授が、書籍 『サイバースペース』 ベネディクト編、NTT出版、1994年の中で、マルチメディアのダイアグラム化に挑戦されたものが唯一見つかりましたけれど、同書のダイアグラムは 途中までの断念で完成に至っておりません。他の人のサイバースペースの説明を借りて、このダイアグラムの解説をしようと何度も試みたのですが成功せず、逆に このダイアグラムにあてはめることで、「ある作品はVRですが、別の作品は体感劇場です」といった具合に判別に使った方が講演も短くで済みましたので( つまり、この図のほうが メタレベルの構成要素図だったようなので )、例えば、30分の講演を社外から依頼されたときは、1時間貰えませんか、と提案して、最初の30分でこのダイアグラムの説明をしてから、後半の30分でAS-1 『スクランブル・トレーニング』や 『ザ・クリプト』などのビデオ映像を見て貰って解説する、という形の講演を長く続けていました。)

 簡単に付記しておきますが、cyberspace(或いは、バーチャル・ワールド)の中にコンテンツとしてどのような世界像を監督や製作者が描くか、に関しては、要するに「何でもあり」になります。下に1993年に幕張メッセ国際会議場で開かれた産業用バーチャルリアリティ展 IVR'93セミナーの私の講演(GT-2-B)で発表した「人工現実感の応用可能な分野」を掲載します。このセミナーの講演を東京大学の舘先生が見に来られて、そのすぐ後に「これから日本VR学会を立ち上げるので参加して下さい」というご連絡を頂きました。それで私のVR学会の会員番号は、38番なのです。

   BUSINESS ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ LEISURE
 宇宙開発   シミュレーション   シミュレーション     宇宙観光
          (デザイン)   (スキー・ゴルフ)
 原子炉 TV会議 ロボット制御   ゲーム・教育    VRカラオケ
 分子構造    手術・リハビリ   リラクゼーション   人体探検
 海底開発     ソフト開発    美術館・博物館 リゾート開発 海底観光
              通信   通信
   侵入不可・遠隔地 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 遠隔地・侵入不可

 ちなみに、サンフランシスコで開かれていたTexpo '89 のVPL社のブースと、アナハイムの Autodesk Expo '89 の Autodesk社ブース二箇所を電話回線で結んで、双方からコンピュータが描いたバーチャルな世界に同時に「没入」し、そこで介護のために共労する事が、ジャロン・ラニアーたちが The Virtual Reality Dayのために用意したデモの内容でした。 ハワード・ラインゴールド著『バーチャル・リアリティ - 幻想と現実の境界が消える日』 SOFTBANK刊、1992年(原著1991年)によれば、当日(6月7日)のデモは上手く行かなかったようですが、ともあれVirtual Realityという「言葉」は、この日に誕生したのです。そして、このとき Autodesk社ではコンピュータ上の(共労するための)バーチャルな世界のことを cyberspace と呼んでいました。ですから、cyberspaceとVRは、「VRという言葉」の誕生した最初の日から一緒に語られていたのですけれど、起業家のジャロン・ラニアーが「HMDとDataGloveを使ったシステム(だけ)がVirtual Realityの定義です」とある本に書いた事から「VR」のイメージは少々混乱しました。 ラニアーがそう定義したことには理由があって、彼は1986年のNASAエイムズ研究所での HMDDataGloveの「奇跡の出会い」と言葉にできない感動を表現しようとして1989年になってVRと言う言葉を発明したのでしたけれど( 1986年のNASAではHMDとDataGloveで視覚化されることになった Virtual Environmentを バーチャル・ワールドという名前で呼んでいたようですが )90年代の初頭にHMD(やデータスーツ)とデータグローブのセットを基本価格 2万5400ドルで販売していたのはラニアーの VPLリサーチ社「ただ一社」だったのですから、ということは「HMDとDataGloveで知覚できる世界のことだ」 とラニアーの規定した1989年のVRという新造語は、販促のためのキャッチコピーのような響きを(意図とは別に)まとってしまっていたのです。なお、私の「VR技術の構成要素図」では、「HMD」「大画面」「裸眼で観るテーマパークの360°の光景」も、没入感を与えるための映像の表示装置としては どれも「等価だ」と考えています。
 実は、マルチメディアとVRの言葉の関係が これまで上手く説明できていなかったのは、マルチメディアの研究者がマルチメディアの定義に勘違いをしていたからでした。岡田斗司夫氏の魅力あふれる好著 『東大オタキングゼミ』 1998年、p.130 も参照して下さい。マルチメディアについての私の定義は、VR奥儀皆伝(6)~(8)に記しました。
 セガで、米国VPLリサーチ社を訪ねてラニアー氏当人から説明を受けながらHMDやDataGloveを最初に体験したのは私たちでした。AS-1『マゴ―!』のコンテンツをダグラス・トランブル氏に製作委託するため1990年に米国に行った時の出来事でした。ただ、私自身はVRについては、ラニアー氏がVRという言葉を発明する2年前に「SCIENTIFIC AMERICAN」(1987 October号)という雑誌にJames D. Foleyという有名なコンピュータ科学者が、その後にVRという名前で有名になるHMDやDataGloveなどのInterfaceシステムの全てを「Artificial Reality、つまり、人工現実の一実施例です」と紹介しているのを知っていました。( Foleyの「Advanced ComputingのためのInterface」という記事です。同雑誌のサイトから現在でもネット購入できると思います。) ですから、VR奥儀皆伝(4)で解説したように、(大画面没入型の)Artificial Realityも、VPLリサーチ社だけが販売していたHMD+DataGloveのVRも、少し遅れて有名になった CAVE型インタフェース( 『ザ・クリプト』のような 四方の壁+床面がスクリーンのVRシステム )も全部、そこに描かれるバーチャル・ワールドについては cyberspaceと呼んで構わない、と、私は当初から考えていたのです。
 実際に 1993年に「VRの構成要素図」を思いついてみると、上記のすべてのVRインタフェースも マルチメディアも、さらに 奥儀皆伝(4)に紹介したようなAugmented Relity( AR、拡張現実 )、Mixed Relity( MR、複合現実 )、Substitutional Reality( SR、代替現実 )も 全てが、このダイアグラムで説明できました。「VRの構成要素図」は、同時に「スケッチパッド型メディアの統合モデル」でもあります。 (但し、映像表示装置の 「HMD」 「視野3分の2以上の大画面」 「裸眼で観るテーマパークの360°の光景」の3つが没入感を与える装置として等価だという前提です。これについては、これまでの奥儀皆伝に詳述しています。)
 少しだけ、このダイアグラムの解説を書いておきます。

 これは、映画の構成要素図です。観客はスクリーンを通して、その奥に見える「バーチャルな世界」を覗き込んでいます。バーチャルな世界に描かれる内容が「何でもあり」になる理由は、劇映画で監督や製作者が「どんな突拍子もない世界でも描くことができる」からです。


 画像借用元: https://gigazine.net/news/20100326_harry_potter_and_the_forbidden_journey/
 (参考) The Wizarding World of Harry Potter   http://www.universalorlando.com/harrypotternews/

 この写真は、「劇映画に描かれた突拍子もない世界」の一例です。こんな場面は、現実に起こり得る訳がありませんね。フロイトは、分かり易く 「ほうきの柄は男性の象徴です」と説明しており、英国には 「若い娘が ほうきをまたぐと妻になる前に母親になる」という言い伝えがあるそうです。その禁忌があって、飛ぶ ほうきは一般には魔女の乗り物だ(から、淑女は またがってはいけない)と 禁じられてきました。現実の世界で (コミケのコスプレ以外で)婦女子が ほうきにまたがって宙を飛ぶという場面は、深夜の墓園に行っても決して目にすることはありません。
 実際の中世の魔女裁判では、古代宗教などの医療知識を使ってキリスト教世界の医者では治せない難病を治療していた民間療法士が 並みの聖職者より清貧で敬虔な生活を送っていたことから、腕の悪い医者や素行の悪い聖職者にとっての邪魔な存在にされてしまい、「あいつらは魔女だ」とキリスト教徒から迫害されました。それが魔女裁判の実態です。(おそらく古代宗教にキリスト教が後から習合して、その清貧さが顕著になったのでしょう。) そうした魔女だと告発された人たちの古代の神事につながる秘薬の中に、神事の間、精神がトリップするので「身体が宙に浮いている」と恍惚感を感じさせる軟膏があったようです。この浮遊感が、先に述べた「ほうきの禁忌」と結びついてしまいました。庶民レベルには、魔女は夜会に行くため煙突から ほうきに乗って空に飛びだすという「魔女伝説」が まことしやかに ささやかれます。古代神事の軟膏の効力が誤伝されたのでしょう。実際に、スペインの画家ゴヤも 「そもそも、ほうきで空は飛べないよね」という異端審問への皮肉を込めて空飛ぶ魔女のデッサンを多く描きました。ということから、ほうきで空を飛ぶ魔女を実際に目にした人は、歴史上 いませんでした。腕の悪い医者からお金を貰って、うその証言をした人だけがいたのです。
 しかし、J・K・ローリングは、魔法学校の授業では生徒に、日常ではできないことが実現できる素敵な呪文を教えてくれる筈だと考えて 『ハリーポッターシリーズ』の小説を書き、大ヒットさせました。そしてこの小説が映画化されたのです。ダニエル・ラドクリフは、映画館の観客が「ほうきに乗って空を飛ぶ彼の姿」を期待していたので、そのように撮影されました。観客は(映画の大画面を眺めている間だけ)ハリーポッターが ほうきに乗って空を飛んでいるのだ、と錯覚しています。観客は、大画面のスクリーンを通して「バーチャルな世界」を覗き込んでいるのです。同様に、劇映画には現実には存在しないゾンビやゴジラが平気で登場して、観客は映画を観ている間だけ「おお、あぶない」と実生活でゾンビに遭遇した時と同じようなリアリティを感じていたのです。(劇場の「大画面」で映画を観ることが、作品のバーチャルな世界への深い没入感、臨場感、現実感を感じる契機になるとトランブル氏が証明しています。ディズニーのアニメ映画を大画面で観ているとき観客が感じているリアリティは、ディズニーランドで裸眼で Sleeping Beauty Castleを眺めているときのリアリティと等価です。)繰り返しますが、実生活で空を飛ぶ魔女や ゴジラに遭遇した人は おりません。
 そして、「映像で描かれた突拍子もない作品世界」の印象を 揺動装置で更に強めているのが 「体感劇場」です。ユニバーサル・スタジオの 『バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド』(1991年)は、ダグラス・トランブル氏の創り出したテーマパーク・ライドの傑作でした。この作品で 観客は、映画版パート2の未来世界と恐竜の出てくる過去の世界を行き来して 再び「現実」のテーマパークに戻って来ることができました。(ダンテが 『神曲』で、読者に地獄を経験させた事と同じ演出手法でした。)そして、トランブル氏の発見した観客にリアリティを感じさせる画面の大きさが「視野の3分の2以上」だった事で、東京ジョイポリスのワイルドシリーズも大画面に設計されました。なお、体感劇場も劇映画と同じ構成要素図で表わされて、観客からバーチャルな世界の内側への働きかけは、できません。どちらも 受け身のリアリティです。

 ちなみに、1990年代の家庭用のビデオゲーム機では、観客はサンタさんから貰ったゲーム機を14インチ位のテレビ画面につないでプレイしていました。90年代のマルチメディアと「体感劇場」(やVR)の最大の顕著な違いは、画面サイズが14インチか大画面なのかということでした。当時のマルチメディア機器は、(PCも含めて)14インチ位の画面サイズが普通だったのです。ですから、今後は8Kテレビの大画面が家庭の標準サイズになるだろうと言われていますから、大画面の没入感を利用した「VR」が将来は一般家庭で楽しめるようになるのです。
 話があちこちに飛びましたが、最後にギブスンの cyberspaceという言葉を、私のVRのダイアグラムをふまえて再定義しておきましょう。cyberspaceは、cyberneticsが可能なバーチャルな空間という意味でした。映画のバーチャルな世界では、登場人物のせりふ、動作、背景などは、映画監督や製作者によって予め決められていますので、観客には ただ、座って画面を眺めていることしかすることがありません。しかし、デジタル情報で描画されたビデオゲームのキャラクターたちは、キーボードやジョイスティックを操作することで、観客から操作することができました。ビデオゲームのモニター画面に見えているのは、映画と同じ登場人物、背景などですが、観客は プレイヤーとして その世界を操作 します。デジタルな描画が それを可能にしたので、後述する「スケッチパッド」の関係者には「情報がキーボードから入力され、バーチャルな世界に変化を与え、それが画面上の変化となって操作者に認知される」と理解されたのでした。 実は、「インタラクティブ」という言葉の一番的確な説明も、こうなります。 しかし、アナログで構築されたバーチャルな世界においても cyberneticsは、成立しています。(サイボークがアナログの人間とデジタルな機械の融合だったことを思い出してください。) 90年代に13インチ位のテレビ画面で生放送の通販番組を眺めていた米国のあるご婦人は、その番組のオペレータに電話を掛けました。「もしもし、今放送中の番組の真珠のネックレスの留め金のところを大写しにして見せて頂戴。」すると、司会者は直ちに反応します。「ただいま 視聴者の方から、大変良いお問い合わせを頂きました。留め金が見たいと仰っています。この留め金の細かな加工をご覧下さい。はい、カメラさん、寄って下さいね。」その対応に満足したご婦人は、通販の100個限定 大玉真珠ネックレスが気に入り、電話で注文しました。画面上の「残数表示」が その瞬間、1個少なくなりました。つまり観客は、操作者として、アナログで構築されたcyberspaceに画面の外から影響を与え、それが リアルタイムに画面の中の世界の変化になって表示された のです。マルチメディアやVRの場合であれば、cyberspaceはデジタルデータで表示されています。例えば、操作者が格闘ゲーム『バーチャファイター』のサラ・ブライアントに技を繰り出すと、サラは金髪をなびかせて(髪の毛の動きが膨大なデータでなめらかに描かれて)素早い動きで操作者の期待に応えます。このとき、キーボードから入力されて画面に表示されたのは、操作者の(理性ではなく)感情の流れでした。なお、cyberneticsの詳しい説明に関心があるという方は、VR奥儀皆伝(8)を参照して下さい。
 次回には、国際学生対抗VRコンテストの参加作品を例に、「VR」と「体感劇場」の違いを解説します。

 ギブスンが『ニューロマンサー』に書いたCyberspaceの説明:
 電脳空間(サイバースペース)。日々さまざまな国の、何十億という正規の技師や、数学概念を学ぶ子供たちが経験している共感覚幻想―人間のコンピュータ・システムの全バンクから引き出したデータの視覚的再現。考えられない複雑さ。光箭(こうせん)が精神の、データの星群や星団の、非空間をさまよう。遠ざかる街の灯に似て―   (黒丸尚訳)

 武田(lemon6868)倫招 の VR奥儀皆伝版「サイバースペース」の定義:
 サイバネティックスが成立している空間のこと。映画のスクリーンの奥に観えているコンテンツの世界のことです。観客の入力装置を通した操作で、コンテンツの世界に描かれているキャラクターや背景、シナリオなどが直ちに変化します。

 I・サザランドが「スケッチパッド」を開発したのは 1963年でしたが、この時から表計算ソフト (Microsoft Excelなど)のアプリをユーザ(観客)が「サイバースペース」で 開いて、そこで集計用紙の計算がリアルタイムにできるようになりました。観客は、その操作の過程を、PCの画面で眺めることができます。最初に発売された表計算ソフトは、1979年発売の AppleⅡ用 『Visicalc』でした。サイバースペースは、映画と同様に「背景(舞台設定) / 音楽 / 音声」「登場人物(キャラクター)」「物語(シナリオ) / 演出 / 編集」「カメラアングル / 照明」などで構成されています。表計算ソフトでも、ユーザ(観客)は「数字や文字たち」を登場人物として集計用紙の舞台上に出演させ、それをプレイヤー(観客)がリアルタイムに操作して、ちょうど、ビデオゲームのキャラクターを操作して技を繰り出すような感覚で集計用紙の情報を操作することができました。
 面白いことに、ゲームと同じで、アプリに習熟すると将棋の名人が数人の素人を相手に同時に対局するようなことも可能になります。それで、雇用者が「操作者がPCの前に座っていた時間」という従来の給与体系で時間給を支払おうとすると成果物の価値との違いが生じます。実際、私の場合も誰かに頼めるコピーなどの作業を組み合わせたほうが、画面だけを長時間眺め続けて業務を行なうよりPC作業の効率は向上しました。また、朝必ず遅刻して出社してくる(天才的なスキルの)技術者がソフト開発の速度が抜群に速い、といった事も よくある話です。この他のサイバネティックスについての話題に関心のある方は、VR奥儀皆伝(8)を参照して下さい。なお、ノーバート・ウィーナー著『サイバネティックス 第2版: 動物と機械における制御と通信』(岩波書店、1962年)の日本語版のまえがき(ⅱ頁)も参照して下さい。というか、このウィーナー著『サイバネティックス』はベストセラーにもなった とても興味深い書籍なので、この際、先生の研究室にあるのを借りて ウィーナー著『人間機械論 - 人間の人間的な利用』と一緒に全部を読んでしまいましょう。小説や映画の 全てのサイボーグ(Cybernetic Organism)は、サイバネティックスに触発されて誕生しました。「8マン」「サイボーグ009」「仮面ライダー」「銃夢のガリィ」「草薙素子」などがサイボーグです。
 余談ですが、スカーレット・ヨハンソンの演じた「着ぐるみ」のヌードCGは、製作者サイドの企画ミスではなかったでしょうか。せめて、CG造形の腰回りを、1933年の映画『若草物語』などで日本人が憧れたハリウッド女優のプロポーションに近づける僅かな努力は、できなかったでしょうか。フィギュアのプロポーションと全く異なる CGでした。

 (ちなみに、平井和正著『サイボーグ・ブルース』では、魂を持っているのに 「故障しかできない」(死ぬことができない)サイボーグの悲哀がブルースと表現されていました。平井氏は『8マン』の原作者でもあります。個人的に好きなアニメの『8マン』は、第26話「地球ゼロアワー」豊田有恒原作、高垣幸蔵作画、1964年4月30日OAでした。アマルコ共和国から誤って発射されたICBMが水爆弾頭を付けて東京に落ちてくるのを、8マンただ一人が傷つきながら迎撃する話です。1961年に東宝特撮映画『世界大戦争』が公開された後だったので、東京が核兵器で溶解する描写を思い出して、はらはらしながら観ていた都民も多かったはずです。私は神戸で観ていたけれど、はらはらしました。ちなみに 『サイボーグ・ブルース』の単行本は 1971年の刊行。早川書房から出ました。雑誌「SFマガジン」での連載でした。

『むかしセガ・エンタープライゼスという会社があった』(5)は、こちら。→ こちら

『バーチャルリアリティ奥儀皆伝( 8 )』 は、こちらです。→ 
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   ( 8½ )「暫定総目次
VR奥儀皆伝( 8½ ) 謎解き・テーマパークVR(2)「VRの定義」に続きます。→ こちら