私が中学生の時、TVアニメで「ミュンヘンへの道」が放映されました。
全日本の男子バレーボールチームが、ミュンヘン・オリンピックで金メダル獲得をめざす物語です。
1南 2猫田 3中村 4西本 5木村 6深尾 7野口 8森田 9横田 10大古 11佐藤 12嶋岡
松平監督のもと、厳しい練習に耐え「金メダル」という目標に向かって、一心不乱にボールを追っかける姿に感動しました!
「距離にして10cm、時間にして0.5秒の狂いが無い!」 猫田の上げるトスである。
バレーボールをかじった経験のある人には判ると思いますが、毎回そんなトスを上げるのは不可能です!
このドラマを観て、バレーボール部に入りました。 めざすは「世界のセッター猫田」です!
まあ、すぐに自分の能力の無さに気づくのですが・・・・
それでも一応は、ゼッケン「2」セッターの座をゲット!(人が足りなかったんです)
やるからには、一生懸命やりましたョ!! へとへとになるまでフライング・レシーブをやって
床でアゴを叩き切ったのも数え切れません。今でも傷跡が残ってます
髭を剃るたびに、あのころを思い出します。 青春の勲章ですね テへへ
今から15年?くらい前に、地元の小学校のバレーボール・スポーツ少年団がライオン・カップの全国大会に出場することになり
育成会から頼まれて、東京でのマイクロ・バス(レンタカー)の運転手として同行した事があります。
メイン会場は東京体育館でした。 ゲストに全日本女子チームの大林選手等が来てて、私は大感激でしたが・・・・
それにも増して、私が感激したのは・・・ 「猫田選手」に会った(見た)ことです。
いくつかの優勝候補チームがあり、そのなかの1チームの監督が・・・むかし私が憧れた「名セッター猫田」だったんです
そうです、あの猫田さんの弟さんだったんです! 瓜二つでした!! 本人に会えたような気がして嬉しかったですねー
1983年9月4日、日本が世界に誇る「名セッター猫田勝敏」選手は39歳の若さで永眠されました。
「全日本の猫田」は今でも私の心に燦然と輝いています
よかったら、こちらで猫田さんを偲んで下さい。
猫田勝敏ストーリー
ミュンヘンオリンピック
今、記憶にあるのは大古さんぐらいかな?違ったかな?
やっぱりアタッカーは目立つし、カッコイイからなー!
マリンママさんも、アタッカーですか?
腰にゴムチューブを巻いていたのは、横田でしたね?
横田が滋賀のNECの監督をしていた時、よくスナックで出会いました。普通の酒飲みのオッサンでした。
横田と飲んだんですか? 羨ましい!!
あの横田もコートを出たらただの人なんですね