龍馬は妻おりょうと二人で、海路鹿児島を訪れ
霧島に遊び、小松帯刀 屋敷に滞在した。
慶応二年(1866)春のことである。
日本人の「新婚旅行」という風俗のはしりといわれる。
「坂本龍馬新婚の旅碑」 銘文
龍馬33年の生涯で最も平和な3ヶ月
「王政回復の暁には、汽船を一隻造へて日本の沿岸を廻って見ようか?」と
龍馬は、お龍の肩に手を置いて言いました。
鹿児島に向う薩摩藩船「三邦丸(みくにまる)」の船上でのことです。
1866年(慶応2)1月21日 苦心の末 薩長同盟を成立させた龍馬は、
宿舎の寺田屋で、幕吏の襲撃をうけて負傷。
西郷隆盛の勧めに応じて、薩摩への湯治旅行となったのです。
西郷隆盛、小松帯刀、吉井友実、桂久武、それに龍馬の妻 お龍も
乗船して大阪を出帆。3月10日 鹿児島に入港しました。
仲睦まじい龍馬夫妻は、日当山から塩浸、栄之尾と温泉を巡り
谷川で釣りをしたり、ピストルで鳥を撃ったり、
ミヤマキリシマが一面に咲く高千穂に登り、天の逆鉾を
ひきぬいたり、まさしくハネムーン気分を満喫しました。
土佐の海援隊を作り、薩長を結びつけた明治維新最大の
功労者の一人、坂本龍馬は、この平和な薩摩下りから僅か
1年後、京都 近江屋で暗殺され、王政回復の暁を見ることなく
33歳の生涯を閉じたのです。
鹿児島市天保山町「坂本龍馬新婚の旅碑」 解説文より
海援隊