goo blog サービス終了のお知らせ 

ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

嫌われ者ジョージィ、深夜に電話のベルが鳴る(後)

2007年06月19日 23時21分24秒 | Weblog
[個人史]: 1979年~、 1984年~、 男と女、恋愛、性、恋人、夫婦

いちいち起き出して 深夜の電話 を取るのが 大変になった私は もう一個の電話機を枕元に置いて寝ていたのだ。

<深夜の訴え>
「死にたくなった..」 そう言って受話器の向こうから聞こえてくるのは 憔悴(しょうすい)した声での ”切々とした 夫への不満” だ。

もうどうして良いのか判らない! 夫は私の話を聞こうともしない。 私の云う事を理解して貰えない! 家事や育児を自分にだけ押しつけて文句ばかり言う。 人間として幼稚すぎる! 仕事、仕事と 家庭の中に目を向けない(かえりみない)。 私は妻なのにお手伝いさんみたいな扱いをされる。 夫はなぜ、あんな身勝手な行動を取るのか理解できない! 云々....。

<代理で言い訳>
第三者や 男性が聞けば、 「なんでこんな理由で死にたくなる!?」 と思うに違いない。 そもそも 何故 妻は悩むのか? も理解ができない 夫(男性) も少なくはないと思う。

円(まどか)氏には 怒られるかも知れないのだが、
Blogでは 「ダメ男」 とこき下ろす私でも このときばかりは一生懸命 夫たち に代わって 弁解 してきた。 不満や苦悩を感じたときの状況を話して貰うと 「そのような流れになるのは致し方ない」 と思える事も多々あるからだ。 その時の 夫の心情を(分析、)代弁して 代わりに詫びる のである。

<成功指向者>
そもそも私のところに 連絡や集まって くるのは 成功指向 の人々に限定されている。 (それ以外からは ひどく嫌われる )
それだから、 納得できる理由さえ提示できれば 彼女たちの憤りも静まる。 気分を変えて再び新しい一日を迎えて貰える。

夫が繰り返し愚かな過ちを犯さなければ それだけで 一件落着 なのである。 (だが、3度目は難しい.)

 一応、(記) - 深入り厳禁

関連記事
06/19 嫌われ者ジョージィ、深夜に電話のベルが鳴る(後) ・・・ 本記事
06/19 嫌われ者ジョージィ、深夜に電話のベルが鳴る(前)
06/19 嫌われ者ジョージィ、 『個人の名刺』 (1984年~)
01/24 『じゃじゃ馬ならし』 という言葉が有った

嫌われ者ジョージィ、深夜に電話のベルが鳴る(前)

2007年06月19日 19時13分06秒 | Weblog
[個人史]: 1979年~、 1984年~、 男と女、恋愛、性、恋人、夫婦
( 迷走の個人史 : 政治はしっかりやっとくれ~~ )

日本に 勝ち組・負け組 の格差意識の無かったころ、 私も 公私ともに ヒマは無いが自由に生きていられた。
いまとは違って 日本が発展するために必要な人材が ちまたに溢れていたからである。 (後述)

<こころのいたみ>
バイクで風を切りながら走っていると ときどき 例えるならば 空気の乱れ を感じた。 そんな時 『(ぁ、) 誰かがトラブルを起したな』 と理解して 心の準備をしていたものだ。

<深夜に響く電話のベル>
寝ぼけ眼(まなこ)で 枕の上に置いてある 受話器を取るとたいがい 「死にたくなった ...」 で話が始まる。 電話をかけて来るのは 以前 ばらまいた名刺 を見て私の事を思い出した人々だ。 (※注: 緊急以外の一般受付は終了しています )

私は 1980年代初頭には 「不満のディスポーザー(ゴミ箱)」 が ”私の人生の役どころ ” と覚悟を決めている。

ほとんどがフィールド・レス(無境界)で どのような 相手の話題にも対応できるらしい私 と会った人々は 「きっとアイツなら自分の話も理解して貰えるだろう」 と考えてくれるらしい。
悩み続けて その深夜、 眠る事も出来ない空しさのあまり、 名刺 に印刷された 私の自宅番号に電話してくるのである。

 (続)

関連記事
06/19 嫌われ者ジョージィ、深夜に電話のベルが鳴る(後)
06/19 嫌われ者ジョージィ、深夜に電話のベルが鳴る(前) ・・・ 本記事
06/19 嫌われ者ジョージィ、 『個人の名刺』 (1984年~)
01/24 『じゃじゃ馬ならし』 という言葉が有った

<国会中継>参院質疑 民主党 蓮舫議員質問 が熱い

2007年06月19日 16時44分52秒 | 格差社会と政治
[NHK国会中継]: 参院 文教科学委 質疑

午後から放送が始まった 国会中継。
男性議員たちの眠くなるような 質問 (というか、自分の意見をぐだぐだ話しているというか) が続いていた中、 民主党の 蓮舫(れんほう) 議員に代わって ようやく 気合いが入った。

その 蓮舫議員 の放つ気迫は聞いていてもなかなか 気分がスカッとする。 というか、 議員の追求は 怖いほどだ。

年金問題については 安倍首相と 自民党のアピールしている内容の不一致を追求し、
環境問題広告では 3年間で多額の広告費用が たった一社にのみ 流れたという 税金の無駄遣いを追求した。

これには 安倍首相も一気にトーン が下がった。 テレビで見ていた人々も きっと 溜飲を下げた事だろう。 見事なものである。

記録する。 面白かった。後でまた聞いてみよう。

参議院インターネット審議中継  今日の審議中継
参議院インターネット審議中継  トップページ

<カリスマ与党>一糸乱れぬ支配力で 民主党議員 を滅多叩き!

2007年06月19日 12時02分46秒 | 格差社会と政治
[現代日本史]: 暴れる政権与党(自民党・公明党) 一糸乱れぬ懲罰行為 日本の北朝鮮化

30日間登院停止へ 羽交い締め民主・内山議員 衆院懲罰委 (産経新聞) 6月18日16時7分配信
【記事抜粋】 衆院懲罰委員会は18日、5月30日の衆院厚生労働委員会で年金時効撤廃特例法案採決の際、桜田義孝委員長を羽交い締めにしたとして、民主党の内山晃衆院議員(53)=比例、南関東=を登院停止30日とする与党側の動議を可決した。19日の本会議で可決される見通し。 ◆ 懲罰委では、採決を拒んだ民主党の横光克彦委員長に対する不信任決議案を可決した後、内山氏に対する懲罰動議を可決した。登院停止30日は、国会法で4段階ある懲罰のうち、除名に次いで重い処分。衆院議員が登院停止になったのは、平成12年11月の松浪健四郎氏(当時保守党)以来。
[記事全文]


美しい!(Beautiful!)」「驚嘆すべき!(Wonderful)」

これこそ カリスマ! 時代の先端を行く 政権・与党(自民党・公明党)の姿だ。

小泉純一郎 無き後の 政府・与党の 弱体ぶりが心配もされたが やはりシナリオ「良心を取り戻そう」 が悪かったようだ。

先日の 安倍劇場の開演 で 演目を (小泉時代の名作)「倣(なら)おう北朝鮮に..」 に変えただけで こんなにも活き活き蘇(よみがえ)ってきた。

数に劣る 反対分子 は徹底的に掃討しよう! イケイケ! 勝ち組 自民党。 目指せ! 「天の声」 国家。

おあとがよろしいようで...

記録する。

関連記事
06/18 <公務員改革>目指せ!「天の声!」 国家 (4)
06/16 <真夏の奇跡>官僚・民間協賛 『安倍劇場』 の開演

<参院選2007>自民は 「改憲」 を捨て 年金で勝負

2007年06月19日 03時04分32秒 | 格差社会と政治
[現代日本史]: 老後保障 年金記録問題 社会保険庁改革 加重失態

「年金解決は使命」 首相、参院選の争点に (産経新聞) 6月17日8時0分配信
【記事抜粋】 安倍晋三首相は16日、参院選に向けた遊説のため、長崎、佐賀両県を訪れた。佐賀市内での記者会見で首相は「参院選で年金制度の仕組みは大きな争点になると思う」との認識を示し、「社会保険庁を廃止して、解体する。国民にとり信頼できるものに変えていく。このことを選挙を通じて訴えていく」と強調した。 ◆ また、年金記録紛失問題について「行政の長として大変、申し訳ないと思う。国民の不安を払拭(ふっしょく)するために、やるべきことはすべてやっている」と訴えた。
[記事全文]

安倍首相は、 長崎市内の集会で、
「(社会保険庁職員で)仕事はなるべくしたくない、親切な対応をしないという人には、(新設される)日本年金機構に入っていただくわけにはいかない」と指摘したというが、

こういった不出来な職員は 官僚や議員の 縁故で入った身内(親戚・縁者) や エリート官僚(キャリア) の事ではないのかな? ホントに排除するなら良いけど 大抵は 職場に潜り込んだまま 権力者に護られ続けているのが実態だろう。

<争点の年金問題>
現在噴出している 年金問題 は システムの設計と運用(入力管理・移行) にも問題があるのだから 日立(HITACHI) や NTTデータ も 俎上(そじょう)に上がって来てもいいはずだ。 だが、もし両社が 新設予定の 日本年金機構 に関わっては 全てが水の泡になる。(元の木阿弥)

難しいところだね...。

記録する。

関連記事
06/17 <参院選2007>自公連立政権、迷走の 『改革』 を問う
06/11 [年金問題]:(続) 仕組まれた 老後保障の不安 の中で..

嫌われ者ジョージィ、 『個人の名刺』 (1984年~)

2007年06月19日 00時33分28秒 | Weblog
[個人史]: 1979年~、 1984年~、 男と女、恋愛、性、恋人、夫婦

<プラスチックプレート(名札)>
1979年~80年代初頭にかけての頃、 偶然にプラスチックプレートに刻印するビジネスを見つけたのをきっかけに、 自分でデザインを考え、 いくつもの名札を作り、 いぶかしがる周囲の人目を無視して 自慢げにつけて歩いた。
そのほうが 人と会って話をするとき 名刺を渡すよりも 手間が省けた。 相手も私の名を呼びかけるときには 胸に付けた名札を見れば済む。

<個人の名刺>
1984年、 名札には とっくに飽きていたので 今度は 『個人の名刺』 を作る事にした。

職場が変わり 私の行動範囲も広がった事で 再び不特定多数の人々と 会う機会が増えたのである。 最初は会社の名刺を渡していたが、 話をする内容は 仕事の話ではない。 さらにまた、 名刺に刷られた 役職 で相手の態度や心情が変わる事も 私の望むところではないからだ。

会社の入居していたビルの1Fに 名刺屋さんがあったので 早速出向いて 名刺作りを依頼した。
当時は (おミズ関係者を含め) 仕事関係以外で 名刺を作る習慣は無いから 名刺屋さんの困惑する様子は 大変だった。

<名刺屋さんの不安>
会社名は入れなくて良いのか? 住所は会社のある住所ではないのか(横浜の住所や電話番号で良いのか)? (作ろうとしている)名刺に使う紙 は 夜の仕事のオネエサンたちが使うモノだが 本当にそれで良いのか? 云々。

とうとう名刺屋さんは できあがってカネを支払ってもまだ、 いったい何に使うのか? と、いぶかしがるばかりであった。

<ばらまいては自慢して..>
だが、 できあがった 個人の名刺 は満足のいくモノだった。 出会う人に渡しては 自分で作った 個人の名刺 を自慢していた。 いや、 自慢するために多くの人々にひけらかし 個人の名刺 を渡しまくった。

受け取った人々の 驚きと 羨ましそうな 表情を見て 私も大満足だった。

関連記事
11/01 父の教え6(名札をつけろ!)