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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

回想: NewYork おのぼりさん日記(2)

2007年06月24日 23時01分49秒 | Weblog
[個人史]: 米国 ニューヨーク(NY) マンハッタン 自由の女神

<地下鉄体験>
おまわりさんに 現在地 を教えて貰って、 さてこれから行く先はどうしよう? 中華街(China Town)に行ってみようか? いやいや乗り換えがある上に 少々遠そうだ。
そうだ 「自由の女神」 を見にいこう。

地下鉄駅を探し、 マンハッタン島最端行きの 電車に(何とか)乗った。

<車内で..>
乗ってしまえばこっちのもの。さも NYはお任せ! の顔で乗っていた。
そろそろ 終着駅 だろうと思った時、 それらしき事を伝える 車内アナウンスがあった。 するとどうだろう。 真っ先に降りたがる せっかち屋さん はどこの国にもいるものだ。 乗っていた米人乗客らがこぞって ぞろそろと(自由の女神像に近い)先頭車両に向かって歩き出した。
一人のご婦人が 気にかけた表情で 私の方を向き 何か言いかけたが、 私は 「NYは慣れっこ」 と、うなずいて応えた。

<ヒスパニックの若い家族>
民族大移動のごとく 乗客らが大挙して車内から去ったあとには 私と私の真ん前に座っていた ヒスパニック系の 若夫婦とベビーカーの子どもだけになった。 互いに 顔を見合わせ 「なんだろね?」 とがらりとした車内に目を向けて 貸し切り状態を 笑った。

<ホームは何処?!>
やがて 地下鉄電車はブレーキをかけながら止まった。 私は 眼前の若い家族に「Have a nice day」 と笑いかけ 真っ先にドアに向かった。 ・・・・

電車は止まったが いつまで経っても ドアが開かない。 ドアの窓越しに 外を覗いた。 ホームは無く トンネルの中だった。

<急げ!!>
私が慌てている様子(騒ぐ姿)を見て、 若い父親も電車の外を見た。
「 Hurry! Let's go (to front)! 」
私が先頭を走って 連結部のドアを開けながら ベビーカーを引っ張り通す。 ベビーカーを押す父親との連携プレーだ。 連結部を渡すとき 子どもを見ても 必死の表情でしっかりと捕まっている。 最後尾を走るのは荷物を抱えた若い母親である。

一両過ぎてもドアは閉じてヒトもいない。 二両目、三両目と走りまくってようやく ドアが開いた車両に行き着いた。

<ホーム上で>
電車を降り、ホームに立ってようやく安心感を得た。
見知らぬ同士の アジア人とヒスパニック系の若い家族 、 互いに 「Thank you so much. Have a good day. Have a nice trip.」 と 笑顔で言い合ったその言葉にウソは無かった。

 (続)

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<輸血拒否>でも、15歳未満の患者には輸血強要

2007年06月24日 21時19分05秒 | 格差社会と政治
[思想・信条]: 宗教 エホバの証人 輸血

親拒んでも15歳未満輸血、信仰より救命優先…学会指針案 (読売新聞) 6月24日3時11分配信
【記事抜粋】 信仰上の理由で輸血を拒否する「エホバの証人」信者への輸血について、日本輸血・細胞治療学会など関連5学会の合同委員会(座長=大戸斉・福島県立医大教授)は、15歳未満の患者に対しては、信者である親が拒否しても救命を優先して輸血を行うとする指針の素案をまとめた。 ◆ 「信教の自由」と「生命の尊重」のどちらを優先するかで悩む医療現場の要請に応えて検討を始め、「自己決定能力が未熟な15歳未満への輸血拒否は、親権の乱用に当たる」と判断した。 ◆ 合同委員会はこのほか、日本外科学会、日本小児科学会、日本麻酔科学会、日本産科婦人科学会の国内主要学会で組織。年内に共通指針としてまとめる。
[記事全文]

<例1:仏つくって魂入れず>
仏教徒である親しい友人の家に出向いて 立派な仏壇の中を見せて貰ったとき、 その中身の意味が判らないので 誰にでも判るクリスマス・デコレーション(装飾)よろしく派手に飾り立てて喜んでもらおう(サプライズ) と、 中身を勝手に入れ替えたり、スプレー等で塗り替えたりしたとき、 私はいつまで友人のままでいられるだろうか?

親しかった私の友人は メチャクチャにされた仏壇に向かって手を合わせるだろうか?

<例2:強姦されて妊娠しても 『産みなさい!』>
命とは尊いもの。 結婚直前で最高に幸せ気分の時、 婚約者とデート中に襲われ、 見知らぬ男との子を身ごもってしまったとき、 「生命の尊重」を理由に 『二人はそのまま結婚し、授かった子どもも自分たちの子として産み育てなさい』 と、医師は教え諭すのだろうか?

去ってしまった(元)婚約者と引き替えに、生まれた新しい命を 母としての歓び だけで育て上げられるものだろうか? 大好きな婚約者の眼前で 強姦した男に 妻として嫁ぎ 人生を共に歩めるものだろうか?

<思想・信条の自由と『尊厳死』>
たとえ 輸血で命が助かったとしても、 その後共に暮す 家族(親権者)の心を殺すのでは 何の為の医療か? 肉体は救っても ヒトのこころを殺すのが 医療従事者の権利・義務なのだろうか?
あまりにも 安易な 仲良しグループの結論 だと思うが...。

ちなみに 私は どんなに説得を続けても 本人の意志が固ければ(特に宗教的信条であれば) 尊厳死 として認める。 責任を持って しっかり見送る 事で、 当人の尊厳 を守る。 それが いのち と向き合う事、つき合う事だ。

記録する。