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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

東急・東横線改札口(3)あいさつ

2007年06月22日 18時53分35秒 | Weblog
[個人史]: 1990年代前中期 東急・東横線 横浜・バス

横浜駅から渋谷に向かう普通電車の中で、 フト!以前の事 を思い出しながら 東急・東横線・妙蓮寺駅 で降りた。

<改札口で..>
出口の順番を待つたくさんの乗客たちの背後から 改札口の様子を見ると、 切符や定期を瞬間的に見極めながら大勢の利用客を相手にする 駅員さんの姿を 自分の父と重ね合わせたとき、 大変な仕事だ と思えた。

定期を見せ 改札口を抜けるとき 『 ご苦労さまです 』 と ボソッ と云って通った。

<東急が応えて..>
2~3度声をかけて改札を抜けた頃、 今度は駅員さんのほうから 朝には「お早うございます」、 夕には「お疲れ様です」 と声をかけてくれるようになった。

気がつけば 東急を利用する人々らも 「お早うございます」 「ご苦労様です」 と駅員さんと声をかけ合っている。

当時、私の利用していた 妙蓮寺駅 と 横浜駅のJR線との連絡(改札)口しか知らないが、 しばらくの間 朝と夕 には 駅員さんと 乗客らの あいさつが 聞こえていたものである。

<突然の終了の理由>
東急・東横線を利用していた 乗客らが心地よい通勤を楽しんでいたが、 ある朝を境にパッタリと 改札口での あいさつ は止んだ。 その朝、朝日新聞朝刊の投書欄を見て驚いた。 「最近、改札口でのあいさつが不快だ」 と投稿されていたのである。

我々には心地良い 改札口でのあいさつが、 不快に感じるヒトもいる。 心に大きな選択を抱えたまま 改札へ向かうと 駅員さんたちにも 周知 されているようだ。 大きな迷いを抱えながら 駅員さんとは互いに目であいさつして 改札を抜けた。

横浜駅では 一人の女性が いつもの様に あかるい声で 駅員さんにあいさつしたが、 駅員さんが応えないので 不思議な表情を見せ、何度か振り返りながら JRのホームへと去っていった。

<いまだに>
当時は、一人の投稿者の 意見を尊重し、 多数のよろこびを捨てた選択となったが、 私は過ちだったと思う。 私たちは多数の人々が集まる社会に住んでいて 通じ合わない同士の人々と暮している訳ではない。

しばらくはそんな抵抗もしてみたが、 改札からは駅員さんが消え 自動改札機に代わって行った。

 (記)

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東急・東横線改札口(2)思い出した事

2007年06月22日 17時36分07秒 | Weblog
[個人史]: 1990年代前中期 東急・東横線 横浜・バス

社内では相も変わらず 年下の上司( 仕事で云えば、弟子の弟子 ) から 嫌がらせを受けながらも 通勤の JR東海道線 では、 車内の暴力沙汰を見逃さずそのたびに 被害者に代わって犯人を捕らえ、川崎警察署に突きだしては 深夜のパトカー帰宅 をするなど 乗り物体験には不自由していなかった。

<フト思い出した事>
平穏な通勤の日々が続いた頃、 かつての バスの出来事 と、 私がもっと若かった昔、 仲間数十人でバス旅行した時の事を思い出した。

帰着地点が近づいて旅行の終了間際に 参加者一人一人が 感想を述べ合ったのだが、 その時 一人の女性が、

「とても楽しかった。皆さんにもお礼を言うが、 実は自分の父もバスの運転手をしている。 今回長い時間と距離を 一人で運転している様子をずっと見ていて 自分の父も きっとそうなのだろう と思った。 父の仕事の大変さが判った気がしたので 私はバスの運転手さんに心からのお礼を述べたい」

と、話した事を思い出したのだ。

<父の姿と..>
考えて見れば 私の父も 現場の国鉄職員だった。 通勤で利用する鉄道で働く 駅員さんたちの様子も 私の父と同じだったかも知れないのだ。

 (続)

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東急・東横線改札口(1)序章

2007年06月22日 16時39分59秒 | Weblog
[個人史]: 1990年代前中期 東急・東横線 横浜・バス

当時(1990年代前中期)は、 80年代中期からの渋谷方面への通勤と、 その直後の 横浜駅・JR東海道線・横須賀線を利用するようになった時期とが微妙に重なるのだが、 東急線とJR線乗り換えの横浜駅の記憶が明確なので 90年代ではなかったかと思う。

<きっかけのきっかけ>
(1980年代中後期) 始めのきっかけは 単純だった。
たまには気分を変え、バスに乗って横浜中華街へ向かった時の事、 高齢のご婦人がバスから降りる際 バスの運転手さんに「敬老パス」を提示しながら 「ありがとうございました」 と云って降りていった。

腰を曲げて歩くので、その足下は大丈夫かと 私はご婦人を注視していたのだが、 バスの運転手さんは 礼を述べるご婦人に 迷惑顔 を投げ帰したのだ。

<やっつけてやる!>
高齢者が降りる際 慌てなくとも良いようにと 後続の乗客を塞き止めるために おばあさんの背後を取っていた私だが、いとも 簡単に カッとなる

迷惑顔を投げつけた運転手に向かって 精一杯笑って(おおきな声で) 「ありがとうございました」 とおばあさん同様にお礼を言いながら降りた。 タダ(敬老パス)で乗るから お礼を言ったわけではない!と 思ったからだ。

<いやがらせなしに..>
思わずたじろいでしまった バスの運転手さんの様子を見て すっかり満足した私であるが、 お礼というものは 云う前は気恥ずかしいが、一旦云うと 実にスガスガしいものだ。

バスはあまり利用しなかったが、 たまに利用したときには (いやがらせ無しに) お礼を述べて降りるようになった。

 (続)

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嫌われ者ジョージィ、 『 小心者 !?』 (前)

2007年06月22日 15時03分35秒 | Weblog
[個人史]: 特質 気質 性質 体質 連動 Link ! 小心さの理由(わけ) 嫌われて当然! 勘弁してよ! ・・

[本当]: 私は(もう)人付き合いも面倒だから ひっそり 目立たぬように 生きようとしている。 だが、 それができていれば こんな個人史記事を 残す必要も無い。

<DEVIDER(分ける者)>
そもそも 目立たなく生きよう などと云うのは 『敵対者』 がいとも簡単に現れるからだ。 (同時に 『賛同者/支援者』 も現れるのだが..)
別に 「敵対者」 が現れるのは 誰にでもあるが、 その敵対者の行動が日増しにエスカレート(Escalation:増大) していくモノだから気が休まらない。
私もついつい イライラしてしまう。

<私をイライラさせないで>
頭が悪い者ほど 頭に血が上り易い。 ご多分に漏れず、 私ジョージィも簡単に怒り出す。 だが 憤っても トクが無い。 ”お徳” で無ければ 儲かりまへん。 じっとこらえる 小心者ジョージィ の姿がそこにある。

<気遣えば 小心者 >
実はもともと、 未熟者の典型 とばかりに、 20年ほど前(1980年代中後期頃)までは ”カエルの面にしょんべん” と、平気な顔で 敵対してくる者達に 対応していたのである。

20年前~30年前は 私も若く元気が良いから 大きな組織や企業が相手(攻撃)をしてくれたわけで、 近年の 小者揃いの日本の現状が どこが上昇景気だ!? と云いたくなる。

<横浜に...>
そもそも 私が横浜にやって来たのも 全国の市民団体・個人ら が政治に対し怒りを表し行動を起した事が原因で、 国も見捨てておけずに (きっかけを作った) 私を横浜へ移した次第だ。 そのようにして私も今日に至ったわけである。
だが、そのおかげで 地方で活動するよりも ずっと広範囲に活動し、非常に多くの人々との出会いを含め、広く見聞できた。

当時応援してくれた 戦争を知らない世代 の 『 親世代 』 の皆さんには 私の高校時代から始まって いまだにどこに行っても、どなたからも 親しく親切 にして頂いている。

 (続)

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<君が代不起立訴訟>元教員の請求棄却

2007年06月22日 00時56分17秒 | 格差社会と政治
[現代日本史]: 人権、 強制、 人質となる子どもたち、 国家による強権介入(右傾化教育)、 現場の混乱

君が代訴訟 再雇用取り消しの元教員の請求棄却 東京地裁 (毎日新聞) 6月21日9時58分配信
【記事抜粋】 卒業式の君が代斉唱で起立しなかったことを理由に定年後の再雇用を取り消されたのは違憲違法として、東京都立高校の元教員10人が、都を相手に地位確認と損害賠償を求めた訴訟で、東京地裁は20日、請求を棄却した。佐村浩之裁判長は、君が代斉唱に関する校長の職務命令について「思想・良心の自由を侵害しない」と合憲判断した。原告側は控訴する。 ◆ 原告団と弁護団は20日、弁護士会館(東京都千代田区)で記者会見し、弁護団の水口洋介事務局長は、「判決は少数者の権利を守る司法の役割を放てきし、都教委の行政の裁量権を尊重した。想定していた中でも最低だ」などと述べた。 ◆ 原告の近藤光男さん(63)も、「平和と民主主義を守ろうとする人たちの全人格を否定した不当判決」と非難した。近藤さんは38年間の教員人生の中でたった一度、04年3月の卒業式で起立しなかった。都教委の通達を強制と感じたという。
[記事全文]

<真に豊かで好景気なら 思想・人権は尊重される>
中身のない ”改革”を唱い続ける日本の中で、
三権分立のはずの 司法だが、 立法府(議会)とともに 政府を頂点にした まるで、 (分立どころか) 三位一体 型の 恐怖政治 が進行していくようだ。 今年の都知事選でも 心を入れ替えたはずの 石原都知事。 やはり 現場公務員や労働者の 人権は 無視するままなのか?

政権与党(自民党・公明党)の 改革の成果が 社会世相 に現れる。 ほんとうは今のウチに 打ち砕くべき 闇の様相 であるが、 希望も失い 再生不能段階に陥(おちい)ると 自滅 を選択するのも ヒトの行動心理。

もし 誤っていたなら 正すのは今のウチなのだが ...。

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