ものみの塔 2008年6月15日号の13ページ 第2研究記事 10節に、ちょっと気になる言い回しがありました。
画像を読んでいただければ分かると思いますが、「忠実で思慮深い奴隷級」が提供する出版物、奴隷級が取り決めている集会や大会が「神の用意してくださったもの」であるかのような言い回しとなっています。
聖書は神が備えたものですが、それを解釈し本を出版したり集会や大会を組織しているのは統治体を筆頭とした協会です。
自分たちを「統治体」という称号で呼び、「優越感を抱き、目立つことやへつらいの称号を愛し」(ものみの塔 2007年11月1日号 4ページ)、「忠実で思慮深い」と自称するのはなんと謙遜さに欠けたことなのでしょう。
(ローマ 12:12)
画像を読んでいただければ分かると思いますが、「忠実で思慮深い奴隷級」が提供する出版物、奴隷級が取り決めている集会や大会が「神の用意してくださったもの」であるかのような言い回しとなっています。
聖書は神が備えたものですが、それを解釈し本を出版したり集会や大会を組織しているのは統治体を筆頭とした協会です。
自分たちを「統治体」という称号で呼び、「優越感を抱き、目立つことやへつらいの称号を愛し」(ものみの塔 2007年11月1日号 4ページ)、「忠実で思慮深い」と自称するのはなんと謙遜さに欠けたことなのでしょう。
(ローマ 12:12)
神から用いられている
唯一の経路だと思っているからじゃねぇ~の?
神を恐れるようにと他人を教えるが、
自らは恐ろしいほど神を恐れない連中。
独善的でパリサイ人的。聖書を読めば、
連中は最も重い裁きを受けるように見えるが。