PC のファイルを整理していたら、以前作った第4(現在第3)の割り当ての原稿が出てきました。
「出エジプト記 23章19節後半の禁止命令から,何を学べますか」という主題で、ものみの塔 2006年4月1日号 31ページをほぼそのまま話の形に組み立てて話しました。
今改めてその資料を見てみると、「ある学者によれば」、「○○であったかもしれない,と言われています」なんてあやふやな内容で、よくもまぁ演台から話したなぁと思いました。
資料がおもしろくないのか、話し方が悪かったのか、聴衆はそれほど興味のなさそうな反応でした。
「この聖句を現代に当てはめるなら、イクラと鮭や、卵や鶏肉の親子丼は神の目から見て不快な食べ物だと言えるかもしれません」なんて言った方がおもしろかったですかね。
ちなみに、協会の指示によると「エホバの証人の出版物を調査してこの割り当てのための資料を集める必要がある」ので、いくら分かりやすい資料であろうと、感銘を受ける資料であろうと、一般の解説書を参考にしてはいけないんですよね。
ベテルの図書室には一般の「聖書の注解書」が山ほどあり、ものみの塔の出版物には度々引用されているのにね。
(「良心の危機」29~31ページを参照)
第4の話について調べていたら、僕が当時中学生で、当時20代か30代の独身兄弟が
「マスターベーションはそんなに悪いことなのでしょうか」
「マスターベーションというわなを避ける」
なんて割り当てを果たしていたのを思い出しました。
姉妹から「扱いにくい内容の割り当て、ありがとうございました」なんて言われていたのを覚えています。
幸い一回も当たったコトないですが、ね。
“可愛い子”と、“綺麗な子”は、ネットで拾ってL版に印刷してコレクションしてます。まぁ、見つかったら問答無用で裁かれますが(笑)
エロ本も、いかに避けるかではなくて、いかに隠すか、を考えていました。エロ本購入場所は
近所の古本屋。安くなったものを大量に購入して、気に入った写真をスクラップ帳のようなものに貼って楽しんでいました。
クリスチャンとしてはいけないことなのかもしれませんが、切り貼りしているときはそんなことはどーでもいい、という気持ちでした。はぁ~。
いかにマスターを避けるのがむずかしいか、自分はどのくらい失敗しているか、がんばってもがんばっても失敗するむなしさにどのように対処するかを、自分の経験から話しました。若い姉妹たちがあっけにとられて聴いていたのが印象的でした。「うん、うん、わかる、その気持ち」という顔の聴衆はひとりもいませんでした。今となってはいい思い出です。
いい子ぶって生きていれば特権ももらえたんでしょうが、そういう生き方はたまらなくむなしいです。