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93歳・老大娘の日記

晩年を生きる

知多半島ふしぎ物語 その二

2019-04-17 14:51:26 | 新聞

その二 埋蔵金 

商才にたけた前野家二代目は海運業で巨万の富を得た。

尾張藩にたくさんの調達金(10万両)今の10億円を召し上げられたうえ、

難癖?をつけ家までつぶされそうになり、先手を打って廃業を宣言。

そのとき、膨大な金銀を某所へ隠した。

このことは記録にも残されている由。

前野家は明治になって没落した。

5代目が隠した財宝はまだ見つかっていない。

徳川や豊臣の埋蔵金、終戦のころフィリピンの海に沈めた「山下財宝」

まだまだ枚挙に暇がない。

これらから花さか爺さんのように大判小判が

ザックザックという話は聞いたことがない。

今人気の「クラウドファンディング」で資金を募るのはどうでしょう?

夢見る人、よくばりの人、お金のほしい人から集められるかも?

現代版「勧進」。夢のようなお話ですが・・・・

 

コメント (9)
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知多半島ふしぎ物語:その一

2019-04-17 14:23:12 | お出かけ

その一;小栗重吉「船長日記」 

重吉の故郷 佐久島。近いのに私は行ったことない。

以前にも重吉のことは載せましたが、今回は「船長日記」のお話でした。

雇われとは言え、「ふなおさ」を任されるくらいですから

重吉は頭もよく気転も利き、知識欲も旺盛だったようです。

日記は重吉漂流中イギリスの商船に救助され、ロシア船を経て

カムチャッカに護送されてからの「ロシア見聞記」である。

 雪の多さに驚き、湾に張った氷の厚さにも驚く。

 知多半島は比較的愛知県でも温暖な地ですからさもありなんです。

 制度の違いにもおどろいています。

 彼がたくさんの言葉を覚えたのは「カクナ(何ですか)」と言う

 単語を覚えて、それを連発したからのようです。

当時(江戸時代)日本は鎖国令が敷かれ、

「他国の出来事や様子を話してはならぬ」ときつく言われていた。

藩によって対応は違いましたが、大黒屋幸大夫は幽閉されました。

幕府からは禁止されていましたが、彼は憚ることなく異国の話をし、

衣服や器物を見せ、ロシア語の辞書を作って販売し

石碑を建てる費用に充てました。

尾張藩は緩やかな対応だったのでしょうか?

石碑は今も名古屋市内の成福寺に残っていて住職は

供養を続けています。  ↓成福寺

← 佐久島

コメント (12)
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