92歳・老大娘の日記

晩年を生きる

奮闘の跡

2024-05-01 10:03:55 | 想い出

再開中国語、2回目参加しました。

先生の「スピーチ」を聞いているだけですが、テーマを知っていますから

多少はわかります。たまに単語を聞きとるだけで満足しています。

同学(クラスメート)は何十年も続けているだけでに、時に質問したりしています

もうこの年齢で再開はないと、辞書はじめ多くを処分しました。

今はこの初めて買った辞書1冊と ↓ 電子辞書だけになりました。

ぼろぼろになり「分解」寸前でガムテープで補修、辛うじて分解を免れています。

もうこの辞書をひくことはありませんが、昔をしのんで本棚に並べてあります。 


年長の友

2024-04-14 10:47:18 | 想い出

シナマンサク満開  ↓

唯一年長の友(ほぼ4歳)にハガキもらいました。

彼女が以前購入した、熊谷守一画伯の「ケシ」大切とってあったようです。恐縮です。

地元をよく知る人曰く「世が世ならば・・・」という人らしい。

本人に話すと一笑にふしてしまった。今も機関誌に寄稿したり、山の本の出版もある。

多くのところへ一緒に旅行しました。彼女の提案先は今思えば貴重なところばかり。

 白神山地 多分世界遺産に登録される前 美しいブナの森を歩きました

 酸ヶ湯温泉 豪雪地帯で知られている。十和田湖、弘前城の桜等々

中国奥地海抜4,000Mへ行ったときには、高地に慣れた方がいいからと

木曽駒千畳敷カールを歩きました。慎重な性格も持ち合わせたすごい友です。

そして今はお互い老いました

ハガキの最後はいつものように締めくくってあります。

 「私、特別によいこともありませんが、まず生きています」と。

私のよき友、よき師、よき先輩です。


憧憬の原点

2024-03-13 20:54:52 | 想い出

四川省、玉龍雪山の山並み

主峰は未踏峰 5596M 法律で登頂は禁じられているらしい。

中国四川省旅した時、麓の村まで行った ↓ 少数民族の衣装借りて。

途中4500Mまでロープウエイで行けるらしいが、ツアーだったので乗れなくて残念!

御嶽教信者の祖父(父方)の霊神碑除幕式に「講」の皆さんや父と参加、 

右端の「包帯」巻いている碑が祖父のです。  ↓

写真は父が撮ったらしい。最前列真ん中辺りに帽子被っている私(4合目付近) ↑

8歳だったらしい。1939年

「六根清浄」とは言わなかったと思います。

高い山へは登ったことはありませんが、涸沢、焼岳(途中まで)

千畳式カール(木曽駒)その他低地はたくさん歩きました。

お山憧憬はもしかしてこの御嶽山が原点にあるのかと思います。

時代は下って道路もできてすぐ近くまで車で行けました。母や弟たちと。

雨の1日、写真整理していて1枚を除いてまた二枚でてきました。

しばし、昔の思い出に浸りました。


間歇歩行

2024-03-02 11:11:18 | 想い出

門横のハナモモが咲きました。 

亡夫の故郷信州は夫の両親が生存中は毎年訪れていました。スキーに温泉にと。

地獄谷温泉後楽館の前の噴泉

この噴泉は「間歇泉」と教えられ、その時「間歇」なる言葉を知りました

時間をおいて起こったり止んだりすることです。今は間欠と書くらしい。

止まったかと思うとまた噴き上げるのです。

猿が温泉へ入ることで知られています。亡夫の親戚で確か先々代女将が従姉妹。

泊めてもらったことも。窓には猿除けの金網が張ってありました。今はどうか?

昔訪れたとき猿に何回も手に持った買い物袋をひったくられそうになりました。

後年、荷物を預けるロッカーができていました。

安心して手ぶらで野猿公苑を歩けます

今は90歳を何年か過ぎて杖ついて歩いています。「間歇歩行」です。

連続は無理ですが、しばらく休めばまた歩けます。

間歇的ですが5,000歩でも歩いています。間歇という言葉の思い出です。


東海豪雨から20年

2023-10-09 17:18:34 | 想い出

2018年、祖父江を訪れたとき  ↓ 散り始めていました

東海豪雨は激甚災害に指定され、亡くなった人も何人か出ました。

私の利用している地下鉄の路線も一駅だけですが水没しました

バスは深夜まで動いていましたので、帰宅の足には困らなかったようです

20年を記念してかどうか知りませんが、自治会から安否確認の札が

届きました

家からバス停まで緩やかな下り坂なので、外出時は足取り軽やか

逆に帰りは上り坂、疲れてもいるし、買い物の荷物もある。

最近は途中で立ち止まり、一服しながらよろよろ歩いています。

しかし、東海豪雨の時バス停付近は水に浸かりましたが

我が家辺りは無傷、帰り道に疲れるなど言えません。

この東海豪雨は「伊勢湾台風」以来の遭遇でした。

この札が役立つ日のないように願っています。