92歳・老大娘の日記

晩年を生きる

「中日新聞記者たちの追憶」

2016-09-24 16:54:25 | 友人から

つい先日までこの鶴舞公園はポケモンgoの聖地として警官まで出る騒ぎでしたが

今はいつもの土曜日に戻りました。若者のグループが多いでした。

大勢のボランティアが園内のお掃除をされていました。

貴重な本はここで借りました ↓

ネットでこんな本を探し出しました。編集者は父の親友で私も記憶にある人です。

若しかして父も寄稿していないかと期待しましたが、

編集者石井さんの社会部長時代の部下たちが石井さんの呼びかけで寄稿したようです。

父は社会部長もしていましたが、

この石井氏より少し先輩で、短期間で文化部長に変ったようです。

文中に2~3か所父の名前が出てきて嬉しいでした。

この編集者の石井さんは「軟派」、父は「硬派」などとも書かれていました。

今は共に亡き人です

     

現場の新聞記者ならではの生々しい取材や、逸話も多く大変面白く一気に読みました。

伝書鳩で現場から記事を送った。一羽でなく複数飛ばしたようで、訓練されていても

帰ってこない鳩もいたようです。同時に鉄道便も使ったようですが

鳩のほうが速かったのでしょう。

戦後間もなく陛下が地方へお出でになった時のこと、ある工場で

 「これはなあに?」 と陛下

 「はい、とーふと申します」 と従業員

 「あ、そう、原料はなあに?」 と陛下

 「大豆でございます」 と従業員

 「あ、そう」 と陛下。

取材した記者は初めて陛下の肉声を聞き、とても感激したそうです。

従業員の冷静さにも感心したとも書いています。

皇居でもお豆腐は召し上がっておられたでしょうが、

原型のお豆腐は初めてご覧になったのだろうと、記者は推測していました。

戦後「人間天皇」なられましたが、それまでは雲の上のお方でしたから

記者の感激は頷けます。

他に当時の大きな事件などが、記者の目で書いてあり貴重な記録とおもいます。

私の知った方も何人か寄稿されていて感激致しました。