92歳・老大娘の日記

晩年を生きる

「知多半島のふしぎ物語」講座第5回

2017-08-31 19:40:05 | 歴史

第五回講座のテーマは「お札降り」と「ええじゃないか」

「ええじゃないか」は時代劇ドラマなどでよく見かけます。

なんだか「踊る宗教」みたいです。

  幕末、反幕府勢力が民衆運動(社会混乱)を起こすために「伊勢神宮」のお札をばらまきました。

 当時伊勢神宮参りは「庶民信仰」だった。一生に一度は「お伊勢参り」をと思っていたのです。

 参拝できない人は、参拝する人に「代参」を依頼した。勿論なにがしかの金子は払ったでしょう。

 「伊勢神宮は日本人の祖先を祀っている」と言う認識を当時の人は持っていた。

 この認識をうまく利用したのが反幕府勢力だと言うのです。

 伊勢神宮に行けなくても「勝手に伊勢神宮のお札」がどこからか降ってくるのです。

 民衆は争って求めました。伊勢神宮と天皇を結び付け、政治は「天皇が行う」ことを

 民衆に広めたのです。 

 ♪ええじゃないか。ええじゃないか。ええ~じゃないか♪幕府がなくてもええじゃないか♪

 民衆は仕事を放棄し、狂ったように踊ったと伝えられています。

 生活の不満を歌いながら発散したのでしょうか。 (ウエブより)

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これらの社会事象は慶応3年に起きました。 先生曰く:

「お札降り」は全国広範囲で起きていること、通信等伝達手段のなかった当時

どのように同時多発が可能だったのか? ← これ宿題です。「のろし」と言った受講生もいました。

この事象があったのは確かで、半田の旧家「小栗家」に記録が残っています。

小栗家の敷地にお札が降って、これは吉兆と付近の住民に大盤振る舞いしたとか。

貧しい庶民の家にお札が降っても 大盤振る舞いなどできないですが・・・

反幕府勢力説も一つの説ではありますが、確かではないらしく

推理して、「新説」を次回までに考えてきてくださいと、これも宿題です。

9月上旬、この件に関して、専門家をお呼びして、地元の小栗家も参加されて

フオーラムが開かれます。 遠いので私は参加しませんが、とても興味はあります。

幕末から維新は遠い昔ではありませんのに、まだまだ残された謎は多いようです。


究極の暇つぶし

2017-08-29 07:43:47 | 日々の暮らしから

その名の通り日暮れになるとおやすみの準備。

翌朝7時半、まだおやすみ中。

「ハンドスピナー」

アメリカで昨年から大流行のリラックストイ、 回すと発光します。↑

私のは発光しない。ただ回るだけ→

発光しませんが、価格は半額。これでリラックスできれば、お安いですが・・・

報道でみて、どんなものか興味が湧き買ってしまいました。

リウマチ持ちなので手先の運動にはなるかも?


日本ど真ん中まつり 

2017-08-27 21:36:40 | お出かけ

雲も秋めいたこの日(8・26) わが町にもいくつかの演舞チームが来ました。

遠来の受賞経験もある信州大学のチーム、信州松本から 

地下鉄に乗って続々集合、黄色いTシャツのボランティアが拍手でお出迎え

本部のテントにはお巡りさんも。

若者の躍動感溢れる肉体に感動し、少し年配者の踊りにも感心したりと楽しめました。

今夜、優勝チームはじめ受賞チームが決まるようです。

↓裏方さんチーム 大きなクーラーボックス引いて冷たい飲み物渡す係り、鳴子などの落し物を拾う係り、

ペットボトル回収係り等々、ご苦労様でした。

 

 

 


ハンズメッセ

2017-08-26 10:28:38 | お出かけ

猛暑の中、名駅前の東急ハンズへ出かけました。

買い物予定は数点でしたが、すごい人波に圧倒され、靴だけしか買えませんでした

靴が一番の目的でしたから良しとしました。

靴コーナーはテープで囲い近づけず、係員の誘導で応対店員さんの数だけ入れていました。↓

名古屋には直営店はない。

おちおち選んでもいられず、色も思い通りではないでしたが

この戦場みたいな現場をみると、買えただけで有難くさえ思えました。

足に問題のある人にも向いていると、人づてにききこのブランドを知りました。

いつも買う靴の半額以下で(もともと安いですが、今日はさらに10%off)

買うのに並び、レジがまたまた長蛇の列、お店側も臨戦態勢で手際のよい

対応で、さすが東急ハンズと思いました。

さてもう一度行く元気と体力がありますかどうか???


施餓鬼

2017-08-22 16:21:19 | お出かけ

実家の墓地は桶狭間古戦場真ん中の長福寺にあります。↓ お寺HPより

蒸し暑い中、施餓鬼のお参りに2人の妹、弟夫婦私の5人で出かけました。

お寺は桶狭間古戦場跡の緩やかな丘陵地のあります。

実家のお墓(6基) ↓

かねてより、「墓終い」の話が出ていました。

弟たちも高齢になり今までのようにお世話できなくなるの見越して

ご先祖様に永代供養塔 ↓ へ入っていただこうということになりましたが

それがまた大変な「大事業、大工事」です。更地にしてお寺へかえしたり、

「閉眼供養」やら、お役所への届も要るらしい。

供養塔に納めるにしてもかなりの費用が掛かります。

手続き、手配などは殆どはお寺がやってくれるようですが・・・・

私が生まれてこの方、幼いころ母や妹と舗装されていない道をお寺へいったこと、

有松の親戚の座敷で冷たい梅酒や麦茶を振る舞って貰った事など思いだされます。

今では舗装道路になり、1964年名古屋市緑区に編入されました。

いつかはこういうこともあるとは思っていましたが、一抹の淋しさは禁じ得ません。