昨年はお付き合い頂きまして、大変ありがとうございました。
本年もよろしくお願い致します。
今年は日本が世界が「災」のない年になりますように。
光陰矢のごとし、一寸の光陰軽んずべからず、歳月人を待たず等々、
時間の大切さを戒めた言葉を人は誰でも知っています。
にも関わらず、私は大切にしているとも思えぬ日々で反省しています。
この1年もお付き合いくださりありがとうございました。
ブログ、しばらく休みます。
再開致しましたらまたよろしくお願い致します。
来る年もどうぞよろしくお願い致します。
みなさま、よき新年をお迎えになられますよう祈っております。
※ 勝手ながらコメント欄閉じてあります。
昔ある陶芸家の方に頂いた。伸び放題の雑草に埋もれていたが
久しぶりに陽の目を見ることになった。 嘴が欠けていました。
「知るを楽しむ」 楽しんでいますが知る端から忘れています。
最近知り得たもの
其の一 読書中の「ニコライ遭難」のなかに出ていて知りました。
ロシアの皇太子襲撃は有名な国難とも言うべき事件ですが、
皇太子一行の中に西郷隆盛が同行していたと言うもの。
勿論真実ではなく、あり得ませんが、
当時巷間まことしやかに伝えられた由。
これは小説ではありますが、吉村氏は歴史小説では真実を曲げたり、
ないことを書いたりはされませんでした。
義経がどこそこに生きていたと言う話やこの西郷さんにしても
生きていてほしいという人たちの願望から来たものでしょう。
其の二 数字「184」と「186」 私には判じ物のような数字でした。
電話番号の前に「184」つけて掛けると非通知と表示
「186」をつけて掛けると相手に電話番号が表示されると言うもの。
つけないで掛けた場合は、契約時の設定が優先される。
以上の二つとも、知らなくても日常に何の不都合もありませんが、
知らなかったことを知って得したような気分になりました。
夫は若いころ、多分大学生のころ洗礼を受けました。日曜学校で
子どもたちを教えたり、その後一時期伝道委員などもしていました。
私は信者にはならなかったが、伝道のお手伝いをしたり、
聖書研究会を自宅で何回か開きました。
私はクリスマスプレゼントは貰った記憶がありません、
子どものころも長じてからも。。
晴天でゴルフの約束があれば教会よりそちらが優先。
夫が教会に行かなければ、私も行かない。
当時は今のように街のイルミネーションも華やかでなく、
ホテルのクリスマスパーティーもなかったような?
ただ、子どもが幼いころはサンタさんの贈り物を
世間並みにイヴの夜枕元に置きました。
信者のクリスマスは意外にも静かなものかも知れない。
宗教に大らかな日本人ですが、それもまたよしと思います。
きれいなイルミネーションは見に行きたいと思いながら、
夜ですから転ぶと大変なので諦めました。 メリークリスマス!
いくつかの漂流記を読んだ、今までは漂流記として読んだわけでなく、
吉村昭作品を読んだのである。 きっかけとなったのは愛知県知多出身の
船頭、小栗重吉を知ったことから始まった。
どの遭難も想像を絶する困難から、生きて故郷に
帰ることができたのは奇跡である。しかし必ずしも幸せではなかった。
その中でも「アメリカ彦蔵」は格別の面白さだった。
彦蔵は13歳で遭難、アメリカの艦船に助けられた。
鎖国政策中の徳川幕府、帰国してもどのような扱いを受けるかわからず、
アメリカへ行くことを選択、これが彦蔵の運命の岐路になった。
優しく裕福な篤志家のサンダース夫妻との出会いがあり、
大切に育てられた。
高等教育も受けさせてもらい、高等会計学なども学んだ。
リンカーンはじめ3人の大統領にも接見、民主主義も知ることになる。
また毎日刊行される新聞を知り、帰国後日本で初めて新聞をだした。
彦蔵がアメリカ滞在中、日本は幕末の動乱真っただ中、
アメリカでは南北戦争も終決しておらず、清国は列強に侵略され
間もなく清朝の崩壊を見た。ヨーロッパのことなど
同時期の各国の歴史を見る面白さがあった。
帰国後の彦蔵は英語は堪能、西洋のマナーに通じ、貿易などの
専門知識も豊富、日米双方から重宝がられた。
夢にまで見た故郷は貧しく馴染めない、
アメリカを恋うる自分、日本語より英語が堪能、
文章も漢字の知識不足のため、英文のほうが堪能、
自分は「一体何者?」と悩み続けた。
明治30年、61歳で彦蔵の波乱の生涯は終わりました。
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このところ私は家事山積しているのに、ブログも更新せず
面白さに「遭難記」の海に溺れていました。