92歳・老大娘の日記

晩年を生きる

原民喜と言う人

2019-01-10 17:03:46 | 日々の暮らしから

 

「読書始め」とは仰々しいですが、山折さんは年末に読み終えましたので、

年明けは原民喜を読み始め、その壮絶な生涯に驚き、感動しました。

名前だけは知っていましたが、小説も詩も読んだことはありませんでした。

俳句も遺しています。因みに俳号は「杞憂」。

彼曰く;もし妻が死ぬようなことがあれば

私は生きていられない、1年間だけ生きて妻のことなど

作品を書き残しそして死ぬ・・・と。

夫人は唯一彼の庇護者であり理解者でした。

何と夫人は若くして戦時中に病で亡くなり、

悲しくも彼の恐れた通りになりました。

彼は1年後、17通の遺書を残して鉄道自殺しました。

その遺書は文学仲間から親族、出版社など可能な限りの「完璧さ」でした。

ともすれば文学青年は「自堕落」などの汚名を着せられがちですが・・・

当時の若い文学青年はとても貧しく、彼も例外ではありませんでした。

3着しか洋服を持っていなくて、一番良い背広は藤島(後輩)にと書き遺し

自分は擦り切れた染め直しの国民服を着て轢死しました。

遠藤周作氏はパリ滞在中、原の自死を知らされ

「何ときれいな死だ」と日記に書き記していますが、

私には「きれいな死」の意味が分かりません。

救いは生前、周りの多くの文学者仲間が

世間智に欠ける原の面倒を見ました。

葬儀委員長は佐藤春夫、伊藤整初め滝井孝作等誰もが知る文学者たちが

葬儀に参列しました。

この梯久美子さんの文章の中にでてくる、掌編、詩、エッセーなど

全編に原民喜の「死への憧憬」が感じられました。

辛い作品でしたが、せっかく関心を持ち買った本なので、

読み終えてほっとしました。