甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

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すべては例外なく行われる!

2021年04月09日 20時50分23秒 | 私たちの社会・世界

 まさか、ミャンマーの軍部は国民を殺さないだろうと思っていましたが、実はそうではありませんでした。軍の兵士も、まさか民間人を撃たなくてはならないなんて、ある程度は意識していただろうけど、そうまでして守らねばならない体制というものがあるようです。

 どれだけの人々を殺したら、軍は民間人虐殺を止めるのか、全国民を殺して、自分たちの体制を守るという方法もありますけど、それはもう本末転倒で、そこまでは行かないでしょう。

 しかし、カンボジアのポルポト政府の例もあるから、百万人くらい虐殺しても、残り4900万人の人がいるんだから、それくらいの犠牲者を出せば、自分たちの権力は守られるのだと突き進むかもしれない。

 カンボジアで起きたことなんだから、ミャンマーでそういうことが起きても不思議ではありません。権力者は、自分たちの利益が優先されるのであって、人々の苦しみなんて、知ったこっちゃないのです。


 そういう時、周辺国は黙認はしてはならないし、あらゆる手段を使って、虐殺を止めるように工夫しないといけません。すると、強権的な中国が、内陸からたくさんの軍事物資をサポートして、体制維持のために貢献してあげるでしょう。中国政府にとって、言うことを聞かない市民活動なんて、もっとも許しがたいものでした。それは、1989年の天安門事件以来ずっと三十年以上続けてきたことです。

 天安門の壁は、中国政府にとって、軍隊は人々のものでなくなってしまった事件だったのだと思います。何十年も続けてきた人々のための軍隊、その名も人民解放軍だったものが、天安門から人民圧殺軍に変わったんでしたね。

 それから三十年以上経過して、いよいよ軍は国民を支配するための力を誇示する手段に変わってしまいました。

 そもそも、人民解放軍という名前も詭弁だったのでしょうか。いや、その時は憎き日本軍という侵略者がいて、何十万の人々の命を奪ったことでしょう。そこから人々を解放するという目的があったのかもしれません。敵役が強大で、無差別的なひどさであればあるほど、「人民解放軍」という詭弁は鮮明になったでしょうか(今の中国軍は、世界一になるんだというオリンピック選手みたいな気分で、世界に進もうとしているんでしょうか?)

 軍隊、武力というのは、存在そのものが人々から離れていて、もとは人々から募集されたものではあるけれど、その存在意義は、徹底して権力擁護だったんですから、中国の解放軍も、もとから怪しかったのかもしれないな。


 軍隊というのは、人々を守るためではなかったのです。これは、日本でもそうだったし、ミャンマーでもそうだし、中国でもそうです。日常においては、国民を抑えつけるために存在し、非常時においても、その働きはやはり人々を威圧するためだけに機能しています。

 北朝鮮なんて、もう何十年も軍隊を持っていますが、よその国と戦ったことはほとんどなく、何十年も国民を抑えつけるために存在しています。権力者のトップが最高司令官を兼ねるのは、まさに国民に向けられた武力であることの証拠でしょう。


 でも、欧米や現在の日本などは、ちゃんと国を守るために存在している、かもしれないですよ。

 確かに、そういうことになっているけれど、もし国の中が無政府状態・大混乱・人々が暴力的に反政府行動をとったら、軍が出動して、鎮圧は図られるはずです。欧米や日本でも、もしもの時があったら、人々を抑えつけるために軍隊は動きます。秩序を築かねばならないから。

 そして、それは短期間のことではなく、シリアでは、アサド政権を守るため、ロシアも必死になってサポートして、延々と国民鎮圧・国内での空爆は続くのです。いったい政府軍は誰と戦っているのか、内なる敵か、それともただの抵抗者なのか、それとも誤爆続きなのか、戦う相手もいなくなったら、内戦は終わるだろうと見ていましたが、いつまで経っても、内戦は終わりません。きっといろんな外部の思惑があって、それらがそれぞれ支持する集団をサポートしているから、決定的な勝利も敗北もないのかもしれません。

 政府軍も、反政府軍も、どちらも結局は敗者です。人々はどちらも信じられなくて、国外逃亡するか、泣き寝入りするか、しぶとく生きて、両者から取れるところを取るとかしているのかもしれません。勝者はなく、みんなが敗者になるなんて、愚かだし、そんなもの早くやめればいいのに、いつまでも続いています。


 シリアやミャンマーや中国や北朝鮮、それらの国々を特別な変な国だと切り捨ててしまうのは簡単ですが、実はこれらの国みたいなことは、世界のどこでも起こりうることなんだと思います。

 60年代から70年代にかけて、日本という国は反政府運動が盛んな時があったようです。日本のいろんなところで、政府に対する抗議行動がありました。そこに軍隊が出動することはなく、警察と機動隊だけで抑えきったのかもしれません。

 でも、三島由紀夫さんとか、一部の人たちは、こうした反政府行動を抑えるためには、自衛隊が出動し、天皇を中心する軍隊・政府が存在せねばならないと思う人たちもいたようです。

 たまたま、日本は、軍隊というのは、人々を抑えるために出動するというところまでは来ていなかった。それをするべきだと思っている人がいたとしてもです。

 ちゃんと、国民を守るためだけの軍事力という強いルールは生きていました。でも、それも例外ではなく、時代の流れによって、人々を従わせるには、多少の犠牲者を出しても構わない、そのように判断する人が、現代においても存在するわけですから、日本においても、そのように考える政府関係者だって、出てこないとは限らないのです。

 国会議員でありながら、「領土問題を解決するには戦争しかない」と言い切る若い議員さんがいたわけだから、どこでどんな人がエライ人になるのか、それはわからないのです。私たちは、そういうもの・考えを持っている人を選挙で落とせないことがあるわけですから、国民は永遠に政府の言いなりにならなくてはならない、権力者はほしいままに権力を振るわねばならない。言うことを聞かない外国があれば、力で言うことを聞かせるまでだ、などと平気で考える人が出てくる可能性もあります。


 私たちは、どんな世界に向かっているのか。

 二十年位前までは、世界は一つになるし、みんなが各地を行き来し、いろんな国に住めて、自分の好きなところで生きていく。戻りたくなったら、また戻る、みたいにしてグルーバルな人の行き来が当たり前になって、世界はみんなが同じ価値観、同じ空間に生き、同じように幸せになれると信じていました。

 でも、2020年のコロナの時代の前から、世界は、小さく分立して、小さな自分たちだけの利益を優先させることが当たり前になりました。自分のところファーストで、ということになりました。

 グローバルこそ大事と、軍隊を世界展開させていたアメリカ合衆国がしぼんで、中国が世界に軍事展開しようとしている。アメリカの代わりは中国だと、これから何十年も言い続けるでしょう。

 もちろん、中国には内部に矛盾があって、すべてを同質化しようとしているけれど、ウイグルも、チベットも、朝鮮族も、満州族も、香港も、台湾も、すべてを中国(共産党支配)化しつつ世界展開するつもりだろうけど、それは破綻すると思います。一部の人たちだけが優先され、わがままをしているし、共産党の人たちの支配が偏っていると思われますから。

 だから、あと三十年ほどで、中国の世界展開も破綻する。そして、米国も中国も欧州も軍事的には大人しくなるんでしょうか。

 どんな世界が生まれるんだろう。

 私が予想しても、何にもならないし、とにかく、世界で起こってることは、日本でも起こるし、起きてたのかもしれない。それが書きたかっただけです。


 世界では存在するのに、日本では起きないことといえば、責任者の問責です。世界の国では、どんなエライお方でも、犯罪やミスがあれば、その責任を追及されます。日本では、権力者に関しては、「武士の情け」で、在任中またはその前から、本当にズルイ・セコイ・汚いことをしても、権力を昇りつめた人は、免責されます。そのままずっとノホホンといられる。

 よその国では考えられないことです。2011年から後でも、どれくらい責任を追及されるべきことがあったとしても、許されたことのある人、権力者ではたくさんいると思われます。

 だから、「ニッポン無責任時代」という映画もありましたけど、これだけはなかなかやめられない日本のゆるい風土なんでしょうね。みんな許されてしまう。何だか嫌だけど、そうなっているみたい。困りましたね。でも、そういうところに私は生きているんですね。

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