甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

オオタニくんとイツペイくん

2024年03月27日 21時40分20秒 | 私たちの社会・世界

 パソコンがまたまた動きません。買い替え時なのかもしれない。[あれ、よみがえったかな? わからないね?]

 奈良は平日なのに、ヨーロッパ系の人たちがたくさん歩いていました。JRの奈良駅から東に向かう三条通りはみんな競うように突き進んでいました。その反対に駅に帰る人たちも次から次といる。家族連れ、韓国の若い男子集団、東南アジア系、台湾系・中国系、みんな外国の人ばかりでした。

 奈良駅のパン屋さん併設の喫茶コーナーは満席で、すべてが外国の人たちで占められ、日本ではなかった。みんなそれぞれランチを取っていた。当たり前だけど、適当な食事処と判断したんでしょう。

 観光客がたくさんだな、と喜ぶよりも、ここまで外国の人たちにすべてが占領されているのだと思い知らされました。もう、日本人は奈良を訪れる権利を半分なくしているのかも……などと思った次第です。秋のほんの二週間程度、お年寄りたちが大挙して押し寄せる正倉院展というシーズンがあって、あの時だけは日本のお年寄りたちの奈良になるけれど、あれだって外国の人たちには、「何を並んでいるんだろう。もっと楽しいことをすればいいのに!」くらいにしか見えないだろうな。



 三条通りの途中のお店も賑わっていたようだけど、日本人がどれくらいいたものか。おそらく、人気の店も、不人気の店も、高級なお店も、安上がりのお店も、外国の人たちはその時の気分で使い分けて、それぞれに入り込んでいくことでしょう。

 かつての奈良は、日本人でもめったに行かない、大仏と阿修羅像とお水取りと秋に訪れるだけの町でした。少しだけさびれた観光地ではなかったかな。80年代の終わりくらいまでかな? 90年代に入り、奈良の魅力を見つけた人たちがいて、奈良は面白いと思ってくれたのが中国系の人だったはずです。

 イタズラでシカにせんべいを見せびらかしたりする不道徳な、正直に向き合わない中国の人たちが最初はいましたけど、今はみんな素直にシカたちとのふれあいを心から楽しもうとやって来るようになりました。マナー違反は少なくなったみたいでした。それくらい中国の人たちにもシカとの触れ合いは特別になったんでしょう。何だかネコでもない、イヌでもない、トラでもないし、サルでもない。クマでもなくて、タヌキでもなくてシカ。何だか不思議だったみたい。



 奈良公園でエサやりに興ずる人たちから、大仏殿、春日大社、奈良公園の森とシカたち、古いお店など、お餅のパフォーマンスのお店など、外国の人たちのメガネにかなうものがどんどん生まれていきました。

 興福寺の仏像群は、みんな等身大で、親しみも持てて、他のお寺などの仏像とは少しだけ雰囲気も違う、研ぎ澄まされたものがあるという風に見てもらっているかもしれない。大仏様は、外国の人たちには大きいけど魅力はないんじゃないだろうか。



 奈良だけではなくて、日本のすべてが外国の人たちの基準で見直されている。認められたらビジネスチャンスになるし、認めてもらえなかったら、大きなマイナスになる。かくして、私たちは自分の道を行く、唯我独尊は許されなくなって、いつも他者の視線・評価第一の人々に自然となってしまっているようです。

 だから、好きに自分の店を選べばいいのに、ミシュラン云々の外からの評価を自分の行動の基準・基礎にも取り入れようとしている。

 繁盛する店は大きくなり、システマチックになり、世界標準をめざす。こじんまりとした、地元を大切にするお手軽なお店は、そういうところにも価値を見いだそうとする外国の人たちが入り込み、少しずつローカルな感じを失いつつある。

 すべてが世界で大成功することが第一になってしまいました。野球の世界は、草野球から始めて頂点のMLBで、そこで異次元の収入が入る人もほんの一部ですけれども、生まれるようになりました。それは成功者であり、どこまでも夢を追い続けます。けれども、もちろん、そういうところに行けない大多数は、とりあえずスターの活躍に胸躍らせ、自分はコツコツ働くことになります。

 でも、身近に大成功している人がいたとしたら、あやかりたい気持ちも当然生まれ、一攫千金をねらいたくなる、自分も成功者を夢見る。そこには大きな地獄が穴をあけていて、自覚しつつも、知らぬ間に地獄に陥る人たちがいる。

 不公平なんだよ! どうしてあいつがあんなにお金がたくさん儲かるんだよ。それじゃあ、俺も! そんなバカなことを考えたりするでしょう。

 そして、転落劇が生まれた。



 すべては外国基準で、ものすごく儲かる、ものすごくチャンスが見つけられた人たちがいた。世界はそれほどに大きなものを与えてくれる場でもある。日本でコツコツ野球選手をしていたとしても、せいぜい年間?億円がトッププレーヤーなのだけれど、世界は次元が違う。当然、若い人は世界に挑戦する。そして、脱落する人と成功する人は選別される。

 ああ、世界はそれほどに機会を与えてくれるし、恐ろしいところでもある。それは世界に飛び込んだ人たちだけではなくて、私たちみんなが至る所で世界を相手に生きていかなきゃいけなくなった、ということなんでしょう。

 もっと自分の足元を見つめたいし、無理しないで楽しいことをしていきたい。どれだけそれが許されるのか、みんな焦っていると思うけれど、自分の生きたい道をみんなが落ち着いて見つけていかなきゃいけないと思う。

 ホタテを中国に売りたいとか、原発を世界に売り込みたい、共同開発のドローン的な戦闘機をルールを決めて売るのだとか、自分の利益ばかり考えているけれど、それは果たして私たちの生活に役に立つことなのか、考えていかなきゃいけないと思う。儲かることだけ考えて行動するのはダメだ。
(明日もう一度読み直して書き直そうと思います)

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