パソコンの向こう側には、ものすごく賢くて何もかも知ってくれている恐ろしい全知全能の機械・存在がいるようです。
私みたいなつまらない人間のことだって、それはもう何もかもお見通しです。まさか貯金とか、財産とか、そんなことまでご存じなんだろうか。そういうことを相談したわけじゃないけど、「コイツは、オジイで、ハゲかけてて、小遣いが少ししかなくて、少ないお金のメモを書いていて、近所のスーパーで買い食いばかりしている」なんていうのは、バレてるのかな。
ただ、動画に関しては、ちっとも誘いに乗らなくて、こんな感動するものを用意してますよ。いつでもどうぞ! と誘いかけても、うまく乗らないヤツのようだ。というのもバレてるかもしれない。
私は、電車が向こうからこっちへ来る動画みたいなのは、ついつい見入ってしまいます。別に乗りたいわけじゃありません。ただ、ああ、向こうからやって来る。そして、反対側に向かって行った……とか、珍しい形の車両がやって来るぞ、傾斜もあるぞ。でも、元気に走っていくなあとか、てそういうのは見てしまいます。ずっと見たいと思っても、残念ながら電車はすぐに通り過ぎていきます。
電車の動画はほんの一瞬だから見ます。特に何も感じないのだけれど、動く画面がどう変わっていくのかを見ている。そして、あまり変わらないけど、すぐに動画は終わるのです。
自分も時々電車の動画を撮ろうとホームで止まったまま、撮ったりもします。でも、一度か二度見てしまうと、何だかつまらなくて消してしまう。自分の動画は、見ていたそのままがそこにあるだけで、これまたつまらなくなります。
飽きっぽいし、諦めてしまうし、思うようなものは撮れません。そして、自分のイメージするものがどんなものなのか、それもわからないのです。
こうして、私は動画離れをしました。何もかも、「どうせ、つまらないでしょ」と思い込んでいる。
どこかに私を感動させてくれる動画なるものがあるのかもしれないけど、私は画面そのものに親しみが持てないともう見られないみたいです。
パリーグの選手たちは、もともと知らない人たちだから、興味がありません。セントラルリーグも、阪神以外の人たちはあまり知らなくて、ここは三重県だから、中日のテレビ中継もあったりするんですが、中日の選手たちも知らなくて、結局、野球というものは見ません。アメリカの野球も、そんなに親しみが起こりません。
どうしたらいいんでしょう? 知ってる人が、何かで感激している、そういうシーンを見せられた。そうすると、割と簡単にもらい泣きできるんだけど、それ以外は感情移入の扉を閉ざしている感じです。
何にも心動かされないように用心しているみたい。何だかバカみたいなのです。簡単に感動し、簡単に喜べばいいのに、ひねくれものの気分も持っているので、大抵のことには「ふーんだ」とか何とか言っている。
パソコンを開いたら、こんな風に話しかけられました。
地球の美しいビデオをご覧ください。今すぐビデオを見て、自然の驚異を楽しみましょう。
魅力的な風景をさらに深く掘り下げましょう。今すぐビデオを見て、自然の凄さを満喫する。
あなた、何の権利があって、私にそんなことを言うの? もう私は自分のパソコンなのに、信じられなくなっています。
「だから、オラは動画なんか見ないんだよ!」「オラはひねくれオジイなんだよ。このやろー!」などと心の中でひねこびて、実際はボンヤリと、パソコンもどうしてそんなことを語りかけてくるんだろう。何かうらがあるんじゃないか? などと疑っている。
そう、まともに相手をしなければいいんだよ。自然の脅威なんか、そんなの興味ないんだよ。どれだけすごくても、私はそんなとこにはいけないし、そんなの現実だとは思えない。自分のいる世界の中で、きれいだなというものが見つかれば、もうそれで満足なんだよ、と思ってしまうのです。