6月23日は77年目の沖縄の慰霊の日でした。
お昼のニュースの後そのままラジオを聞いていると「沖縄全戦没者追悼式」の模様が放送され、知事の平和宣言の後に「平和の詩」の朗読がありました。
今年は小学校2年生の徳元穂菜さん(7さい)で「こわいをしってへいわがわかった」でした。詩の朗読の最初はいかにも7歳の女の子の口調だったのですが、次第に緊張が解けたのか、口調がはっきりしてきてわかりやすくなり、私たちを感動させるほどになりました。
7歳にしてこれだけ発表できるのは素晴らしいと思いました。
丸木位里・俊夫妻の「沖縄戦の図」を見て怖くなってお母さんにぴったりとくっつくとほっとしたとき、平和は怖いの反対かなといいます。姉とけんかしても仲直りするときや 友だちとおしゃべりするとき あったかくなるのが平和かなといいます。
そしてこのような平和を「なくしたくないから、近くにおいておきたいからポケットに入れてもっておく」といっています。
カルチャーラジオの「ラジオアーカイブ」の昭和人物史でも5月・6月は沖縄戦関係の人物を取り上げていました。
元沖縄県知事の屋良朝苗氏やひめゆり隊の生き残りの女性や教師などです。その中で「白旗少女」のエピソードが印象に残りました。ひめゆり隊の生き残りの少女が戦地をさまよって ある洞窟を見つけて入っていくとそこには目が見えない媼(おうな=老婆)と体が動けなくなった翁(おきな=老人)がいたそうです。少女がそこで一緒に暮らしたいというと、翁(おきな)は「ぬち どぅ たから」(命こそ宝)だから、白旗を掲げていくと米兵は撃たないから白旗を作ってあげる」
と言って布を裂いて白旗を作って持たせたそうです。この少女は言うとおりにして命を救われました。少女のあとから日本兵がついていったそうです。
この少女の写真を米軍の兵が撮っていて、今でも私たちは見ることができます。
ネットでも検索してみてみました。
沖縄には私はまだ行ったことはありませんが、この摩文仁の丘を訪れるのはつらいです。