むらすずめのおやど

毎日の暮らしの中で気づいたこと,感じたこと,読んだ本や見た映画の感想など何でもおしゃべりします。

500円玉貯金

2018-10-21 17:33:46 | Weblog

500円玉がやっと100枚たまりました。

2013年7月に500円玉100枚をお札に替えています。それからまた100枚たまるまで5年以上かかってしまいました。

その間には土砂災害があったり、徳島に行っていたりといろいろありました。

500円玉を集めていると財布に小銭がない時に便利です。

両替するときに役に立つこともありますし、宅急便の支払いの足しにしたこともありました。

使ったらあとで返しておかないといけません。

あす、お札に替えてこようと思います。

今年はカープが日本シリーズ進出を決めたのでほっとしている今日この頃です。

昨年はリーグ優勝したのに日本シリーズに出場できなかったのですから、残念でした。

今年は、今年こそといって意気込みが違いました。広島の人々が一丸になって応援したようです。

広島の町はカープの話題でもちきりでしたし、カープの赤いユニフォームを着た人が大勢いました。

熱戦応援セールといって2割引きにしたりポイントを5倍や10倍にしたお店もありました。

お店の中でもユニホームを着て仕事をしている人が多かったです。

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5年連用日記

2018-10-16 15:30:22 | Weblog

5年連用日記を2014年から2018年まで使っています。

1ページ1日横書きのローラ・アシュレイの5年連用日記です。

1月1日のページに2014年(水)2015年(木)2016年(金)2017年(日)2018年(月)とあり、それぞれ6行のスペースがあります。

1年ごとに書いていくので前の年の記録がわかるようになっています。

5年間のうちで1月1日のように毎年書いているページもありますが、12月26日から31日までは全部空欄です。

忙しくて書く暇がなかったのです。

2017年は徳島にいたのであまり書いていませんし。でもそれなりに、空白の箇所があると忙しかったのだろうと思うことはできます。

そして、まだ早いのですが、来年からの新しい日記を買いました。

同じ5年連用日記にしました。定価が200円上がっていました。

今までの日記は日記の装丁にミルナーという名前がついていて赤い花の表紙でしたが、今年はウィステリアで、藤の花が描かれています。

ページを繰っていて楽しいのはその日に生まれた有名な人の名前がページ下に書かれていることです。

たとえば1月1日はクーベルタン、1月2日はアシモフ、1月8日はプレスリー、6月1日にはマリリンモンローです。

3月21日がバッハ、5月22日はコナン・ドイル、8月1日は室生犀星です。私の誕生日はガガーリンでした。

この日記をこれから5年間 2023年まで使っていくのかと思うと気が遠くなりますが、がんばって記入します。

書くのをわすれて、空白のページができてもかまわないと思っています。

空白のままでもいいし、好きな言葉でもなんでも書いて埋めればいいのですから。

あとから読み返してみてこの出来事は何年前のこととわかるのがうれしいです。

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ラジオ三昧

2018-10-06 12:00:32 | Weblog

6月に大阪で大きな地震があり、7月には西日本土砂災害、8月は猛暑、9月は北海道で地震、そして台風21号の被害というように今年は

とても災害の多い年です。土砂災害からも地震からもまだ復旧していないところも多いようです。

そして今は台風25号が向かってきています。

9月に地震があったとき北海道では全道で停電が発生しました。電気が一斉にストップすると大混乱が起こります。

そんなとき携帯ラジオがあると助かったそうです。まず情報が必要です。携帯ラジオなら電池があれば聞くことができます。

日頃からテレビを見ない我が家ではラジオ中心ですが、いつも携帯ラジオを3~4個用意してあちこちに置いています。

暇なときは、ラジオの語学番組や朗読、教養番組をよく聞いています。

以前はFMで音楽番組を聞いていたのですが最近は興味がなくなったのか、全く聞かなくなりました。

今回も朗読で夏目漱石の「草枕」30回分を聞きました。朗読は押切英希という俳優さんで上手でした。

原作はなかなか難しくてとても読む気にならないのに、こうやって耳で聞くことができるのですからうれしいです。

聞き逃したら「聞き逃しサービス」で聞けばいいのですから助かります。

夜8時半からの第二放送の「カルチャーラジオ」も月曜から金曜まで愛聴しました。

月曜日は言語学者服部四郎氏の肉声を聞き、火曜日は「ギリシャ人とオリンピック」の講義を聞き、水曜日は「左手のピアニスト」

についての講義、木曜日は小泉八雲のひ孫の小泉ボン氏の「小泉八雲についての話」を聞き、金曜日は「ホモサピエンスについて」

いろいろな知識を得ました。しかし、ほとんどは3カ月間13回で終わってしまったので残念です。

今週から新しい講義が始まりましたが、今のところあまり面白くありません。

月曜日だけ、毎回取り上げる人物が違うので続いています。今月は作家の松本清張氏を取り上げています。

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白寿の義母

2018-09-21 17:46:05 | Weblog

先日の敬老の日に義母は白寿を祝っていただき、ホーム長さんから感謝状をいただきました。

本当の誕生日は1カ月半後なのですが。数え年ではもう100歳なのだと思うとびっくりします。

4年前の9月末にホームに入所しました。

それまでは一人暮らしをしていたのですが、おふろから出てスリッパをはこうとして転んだのがいけなかったのです。

右足の大腿骨を骨折して歩けなくなってしまいました。手術したあと、しばらくリハビリをしてホームに入れてもらいました。

リハビリをがんばったおかげで車を押せば歩けるようになり、トイレにも自分で行けます。

最初は、ホームの他の人々は耳が聞こえにくいので話ができないと不満を言っていましたが、

最近は自分も耳が聞こえなくなったのがわかるのか不満は言わないようになりました。

こちらが問いかけても 聞こえないのか答えてくれず自分ばかり一方的にしゃべってしまいます。

以前は若いころの話をよくしてくれていたのですが。

まわりに、私達のような話し相手がいて、昔の出来事などいろいろ話してあげれば、少しずつ思い出すのでしょう。

すぐは思い出せないらしいです。でも、思い出してもすぐ忘れてしまうらしいので悲しいことです。

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自転車の鍵 

2018-09-18 21:21:10 | Weblog

自転車の鍵がなくなりました。

買い物して帰る時バッグに入れておいたはずの自転車の鍵がありません。

バッグの中のポケットなどを全部見ましたが、どこにもありません。

自転車の前かごの中にもないし、仕方がないので買った荷物をもって歩いて帰りました。

家にはスペアキーが一本だけあるのです。

それをもって歩いてお店に行き、インフォメーションに落とし物として鍵が出ているかどうか聞きましたが、ありませんでした。

今度なくしたらいけないので、合いかぎを作ってもらいました。

そして家に帰って買った荷物の袋を点検しました。二つ袋があって、食料品の袋にはありませんでした。

ところが、バッグを買った袋の中から自転車の鍵が出てきました。どうして入っていたのかわかりません。謎でした。

いつの間に入ったのでしょう。この袋の中はその時まで見なかったのです。

あきれましたがうれしかったです。結局は出てきたのですから。

そういえば、今まで鍵をなくしてもいつも出てきていました。どこかに紛れ込んでいたのです。

ある時は鍵が見つからなかったので、錠を壊してしまいました。そして別の鍵にしました。しかし、なくしたと思った鍵は買い物袋の底の方にありました。

別の時は必死で探したらやはり、袋から出て来たので、出てきた鍵をもって自転車を取りに行きました。

そして今回です。覚えているだけでも3回目でした。出てきてくれて本当によかったと思っています。

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イタリア映画「自転車泥棒」

2018-09-14 17:21:46 | Weblog

ビットリオ・デ・シーカ監督の「自転車泥棒」をずっと前に買っていました。

やっと見てみました。1948年製作のモノクロ映画です。

第二次世界大戦直前で混乱したローマをありのままに冷たいリアリズムで描いた作品で、出演者は完全な素人です。

有名な俳優は出ていません。それでも6歳の息子ブルーノを演じた少年がかわいくてしっかりしていてけなげでかわいそうでなりませんで

した。この子はこれから先どうなったでしょう。しっかりしていたから悪には染まらずに立派な青年になったかしらと思いました。

「失業者アントニオは市役所のポスター張りの仕事を2年も待っていてやっともらいましたが、そのためには自転車が必要になりました。

質に入れていた自転車を妻がベッドのシーツ数枚を担保に入れてくれたのでやっと取り戻せたという暮らしです。

若い男たちが大勢いるのに失業者が多いのです。

アントニオは息子ブルーノを自転車の前に乗せて街のあちこちにポスターを張りに行ったこともあります。

アメリカ映画のポスターなどです。男たちはハシゴを抱えて自転車に乗っていました。その時はブルーノは前に乗っていませんでした。

ある時、その大事な自転車が仕事中に盗まれてしまうのです。ブルーノはいませんでした。

壁に持たせかけていたときに、ある若者がさっと自転車に乗って逃げてしまいます。鍵をかけるようになっていないのです。

アントニオは気づいて追いかけたけれど、走っては自転車を追いかけられません。誰も捕まえるのに協力してくれないので、犯人は逃げて

しまいました。それから父子は盗まれた自転車をさがしてあちこちさまよいます。仕事ができないからです。

中古車店に行ったり工場に行ったり、もちろん警察にも行きますが盗難届を出しただけで見つけてはくれません。

ある時 犯人らしき男を見つけてその男の家まで行きますが、自転車は見つからないので犯人だという証拠はなく、警察を呼んでも らち

があきません。途方に暮れてふと見るとサッカー場の入り口にたくさん自転車がとめてありました。サッカーの試合が行われているので

す。アントニオはしばらく考え、ためらいましたが、息子にバス停に行きなさいと言っておいて、自分は離れたところにとめてあった自転

車にさっと乗って走り出したのですが、すぐに中から「泥棒!」という声が聞こえ、何人かの男たちが出てきたかと思うとあっという間に

自転車のアントニオに追いついて捕まえてしまいました。それを少し離れたところで息子ブルーノが見ていました。

警察へ連れて行こうと男たちは言っていましたが、ブルーノは父のところに行って「パパ、パパ!」と涙ながらに言って父親の服を引っ張

りました。父親のしたことにびっくりしたでしょう。盗むのは悪いことだと思ったでしょうが、仕方がなかったという同情と父親に対する

愛情がブルーノの目に現れていました。哀しそうな、非難するような、憐れむような、共感するような複雑な目でした。

それを見た自転車を盗まれた男性は「警察はよばなくていい」といって許してくれました。父子はとぼとぼと帰っていきますがアントニオは泣いていたようでした。」

これから二人はどうなるのでしょう。悲しく救いのない映画でした。他に仕事を見つけるか新しく自転車を手に入れるしかないのです。

もしかしたら、何かほかに仕事が見つかってブルーノも手伝ったかもしれません。そう願わずにはいられません。

自転車を盗まれるときは犯人を追いかけても追いつけなかったのに、自分が盗むときはすぐ追いつかれてつかまってしまう・・・

これが人生なのでしょうか。悪いことはできないものです。

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DVD三昧

2018-09-09 11:51:17 | Weblog

少し暇になったのでDVD三昧をしました。

今回はフランスのルーブル美術館やイタリアのローマやバチカン、フィレンチェ、ベニスを舞台にした映画を選んでみました。

①「ダ・ヴィンチコード」

②「天使と悪魔」

③「インフェルノ」

④「ツーリスト」

①~③はダン・ブラウン原作のロバート・ラングドンシリーズですが、象徴学の研究家のラングドン教授は暗号を解くために①では、ルーブル美術館とイギリスの寺院を訪れます。ルーブル美術館の中の素晴らしい絵を見た気になるし、「モナリザ」の絵をじっくり見せてくれるので感動しました。

②では、ローマ市内を4人の誘拐されたヴァチカンの枢機卿をさがして駆け巡ります。土、空気、火、水に関係ある場所で枢機卿たちは1時間ごとに処刑されるのですが処刑場所を見つけるのが大変です。③では、ボッチチェリが描いたというダンテの神曲の絵の中の暗号やダンテのデスマスクをさがして、フィレンチェの市内を走っています。④は、アンジェリーナ・ジョリーとジョニー・デップの話でベニスの運河や豪華なホテルが舞台です。運河をモーターボートに乗って走ったり、ジョニー・デップが運河に落ちて泳ぐ場面もありました。手錠をかけられたままですからさぞ大変だったろうと思います。

 

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パソコンのバッテリーが生き返りました。

2018-09-09 11:29:43 | Weblog

先日 パソコンのバッテリーが充電ができなくなり、パソコンの画面のタスクバーに出る電池マークでは0%のままでした。

ところが昨日、パソコンのスイッチを入れると、「電源に接続してください」という画面が出ました。

いつもなら先にコードを入れてスイッチを入れるのですが、この日はスイッチが先だったのです。

今まで、電源に接続しても充電はできなかったのですが、しばらくすると電池マークの中身が白くなったきました。

ポイントしてみると5%、もう少しすると10%というふうに充電が可能になってきました。

そしてついに「完全に充電されました(100%)」と出ました。諦めていたのでうれしかったです。

なぜだかわかりませんが、充電機能が生き返ったのです。気温が25℃を切って涼しくなったからかもしれません。

しばらく休ませたからかもしれません。とにかく、バッテリーが充電されたので、今までの電池マークの点滅がなくなりました。

(点滅は電池が使えないときに出るのでしょう。充電できていないときはいつも点滅していました)

これでコードを外していてもしばらくは使えます。電池を替えずにそのまま入れっぱなしにしておいて幸いでした。

新しい電池と取り換えていたらこんなことは起こらなかったでしょう。

このパソコン、そろそろ替え時かと思っていましたが、まだ使えることがわかりました。

これからも大事にします。

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北海道の地震!

2018-09-08 16:56:44 | Weblog

9月6日午前3時8分に北海道の厚真町で震度7の地震が発生しました。厚真町では土砂崩れが起こって家屋の倒壊が相次ぎました。

札幌市周辺でも震度が5強だったそうです。そして、北海道内全てで停電したから大変です。

電気がなくては交通もマヒするし、生活するのが困難です。

それにしても、今年は大阪府北部で地震があったし、西日本の豪雨災害からは、まだ2カ月しか経っていません。

さらに台風21号が四国や大阪にひどい被害をもたらしたばかりなのに、大地震が北海道で起こったのです。

厚真町の土砂崩れの写真を見てびっくりしました。山にあるはずの緑色の木々が下へ滑り落ちて下の住宅を押しつぶしています。

木々があったところは茶色い土がむき出しになっています。おそろしい力だと思いました。

札幌の近くにお友達がいるので安否が心配でしたが、みんな無事でお家も大丈夫だったそうです。

でも余震はあるし、電気が使えないので困ったそうです。少しずつ復旧していて、今は停電は解消されているそうなので安心しました。

早く元通りの生活になることをお祈りします。

私達の場合を振り返ってみると、ずっと前に台風19号が来て被害があったとき停電生活が3日くらい続いたことがありました。

台風の塩害で電気の送電線が腐食したせいです。

夜はどうやって過ごしたか忘れましたが、ローソクをともしたり、懐中電灯を使ったと思います。

お昼の間に片付けなどしておき、夜は何もしなかったかもしれません。携帯のラジオがあったので助かりました。

こんな時でも新聞は配達されていて、朝や昼の明るいうちに読んだと思います。

冷蔵庫や冷凍庫の中の食べ物は開け閉めしなければ大丈夫でした。ちゃんと食べられました。

ガスと水道は使えたので、調理には困りませんでした。

電気がついたときはうれしかったです。

 

 

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「二十四の瞳」の映画

2018-08-24 14:48:47 | Weblog

ラジオの「二十四の瞳」の朗読が今日で終わりました。

全部で35回でした。毎回、聞いて感激しました。毎週土曜日にその週の5回分をまとめて放送するのは後で知りました。

昭和3年に大石先生が岬の分校に赴任して来た時教えた子供たちが、先生が40歳になって再び同じ分校で教えることになったので歓迎会を開いてくれます。12人いた子どもたちは男5人女7人でしたが、男の子の竹一、正、仁太ら3人は戦死し、女の子の内、富士子は行方不明に、コトエは結核で病死という風に減っていましたが、7人も集まってくれたのです。しかし、男の子の一人磯吉は盲目になっていたのです。

助産婦さんになった小ツルや小学校の先生になった早苗が来てくれました。

YouTubeで見つけた映画では松下奈緒さんが主演の大石先生でした。

高峰秀子主演の映画が本当は見たかったのですが、You Tubeには一部しかありませんでした。

松下さん主演の映画では、原作と少し違っていて、さすがに現代らしくしているところがありました。

松下さんは背が高く、校長先生より堂々としているので、原作で子どもたちに「大石、小石」というあだ名で呼ばれる箇所はありませんでした。

教室で歌う歌が違いました。原作や高峰さん主演の映画では「荒城の月」や「仰げば尊し」を歌っていましたが、松下さん主演の映画では

『浜辺の歌」をよく歌います。

印象に残ったのはアルマイトのユリの絵が描かれた弁当箱です。

生徒のマツエの母は、赤ちゃんを産んだあとすぐ、亡くなるのですが、大石先生はマツエに、マツエがほしがっていたアルマイトのユリの絵のついたお弁当箱を買ってあげたのです。でも、マツエはそのお弁当箱をもって学校に行くことは一度もなかったのです。赤ちゃんの世話があったので。その赤ちゃんもすぐ亡くなったのですが、マツエは大阪に行かされてしまったのです。

ところが生徒たちと修学旅行で金毘羅様に行ったとき、食堂で働いていたマツエを見かけたのでした。

その後18年たって大石先生が岬の分校に教えに来た時、マツエの娘が担任の生徒の中にいることがわかりました。

マツエは歓迎会に来たとき、先生からもらったお弁当箱を見せます。中にはお米が入っていました。とても大事にしていて防空壕にも持ち込んだそうでした。(当時は食料は持ち寄りで私も小学生の頃は修学旅行の時はお米を1合もって行った思い出があります。)

先生が足に怪我をして、2か月も休んだとき、12人の子供たちは先生を慕って全員8キロの道を歩いて先生の家まで行きました。

その時、先生は子供たちと一緒に記念の写真を写してもらいました。

そのときの写真をみんなに配りましたが、戦争に行くときにもっていった男の子もいました。なくした子もいたでしょう。

しかし、18年後の歓迎会では出席した全員が、大事そうにその時の写真を持ってくるのです。

でも、盲目になった磯吉だけは見ることができません。

それでも何度も見ていたからどこに誰がいるか覚えているといって写真の顔を、「これは先生、これは仁太」といって指しますが、少しずれていたのです。

最後は歌の上手なマスノが「浜辺の歌」を歌いました。

 

 

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