篠原美也子の1994年のシングル『ジレンマ』を聴いてみる。
くっつかず、離れずのナンバーとして、生きる1曲。
篠原美也子『風の見た日』(1995年)を、アルバム『河よりも長くゆるやかに』(1995年)から、聴いてみる。
春の終わり、夏の始まり時の、もやつきとヘヴィ感を、形にすると、こうなるのか?と想う。
篠原美也子の1993年のアルバム『満たされた月』から、『ワザリング・ハイツ』を、聴いてみる。
無名のライブハウスのドアを、あけたら、聴こえて来そうな臭いを感じつつ、ピックアップ。
篠原美也子の『同じ様に朝が』(1993年)を、アルバム『海になりたい青』(1993年)から、聴いてみる。
どんな今日が終わっても、今日と明日への期待は、止まることはない。昨日と同じ様に――若さって、そんな所があって、瑞々しくて良い。
篠原美也子『風の背中』(1997年)を、両A面シングル“Always”・『風の背中』(1997年)より、聴いてみる。
2019年、折り返しか、そう言えば、なんて、想うが、充足した風も日々も、来ないなあ、と想う。
篠原美也子“Fly”(2010年)を、アルバム『バード・アローン』(2010年)より、聴いてみる。
初日に、想い、想うことは、次への跳躍。心が健全ならば、基本である。
篠原美也子の2011年のナンバー、『心歌』を、アルバム『花の名前』より聴いてみる。
すべての種が、望んだように、芽生え、成長する訳ではない。
篠原美也子『葉桜』(2004年)を、アルバム『種と果実』(2004年)から、聴いてみる。
成熟はしてみたものの、見向きされない哀しみ、あるいは、花は咲いても、その効果は薄く、すぐに、放り出された孤独色で、満ちたり――と言うアーティストの想いがある様に、思う今夜。
篠原美也子の2007年のナンバー、“rainbird”を、アルバム『桜花繚乱』から、聴いてみる。
始まり日に抱いた、明日への想い、ここにあり。
2001年の篠原美也子のナンバー、“S”を、アルバム『新しい羽根がついた日』より、聴いてみる。
今日は、月始めの日か、で、この歌のピックアップは、あり。