

昨日も本日もこのブログ『急行特急は行く…』への大変多くの閲覧と訪問に心から厚く感謝と御礼を。
涼風鈴子「はい、はよおざいますー。涼風鈴子どすー。“Morning on”どすー。さあ、ジングルベエの日の終わりだぜ。あっけないよなあ」
布団|∵=) ̄「あっけないなら、火星で白馬のおぢいちゃん達を慰め訪ねるんだ兎ひゃー」⌒バナナの皮
涼風鈴子「やかあしいいや。兎が月に帰って、白馬の国家公務員20代午年と幸せになるんだうがあ」
布団|∵=) ̄→布団|ρ¬^=)∵=) ̄「あたしの幸せなら既に来ている兎ひゃー」
紅黄田現「おはよお。みんなの紅黄田現、“KUKKIE”だよー。クリスマスだね!良いプレゼント貰ったかなあ?」どやあV
涼風鈴子「その電波的な登場は何とかならんのかねえ」
紅黄田現「私は、みんなの紅黄田現だから、こう言うキャラクターなんだよお」
涼風鈴子「印台淑丘とかぶるぞ」
紅黄田現「何の話かなあ?りんりんこっこ。火星にお帰りあそばせ」
涼風鈴子「インチキDJは火星には帰らないうがあ」
布団|ρ¬^=)∵=) ̄「帰るんだ兎ひゃー」
涼風鈴子「やかあしいや!」
紅黄田現「クリスマスなのにおだやかぢゃないですね」
涼風鈴子「もまいらの所為だうがあ。以上、“Morning on”でした。メリークリスマスだうがあ」
布団|∵=) ̄「あっけないなら、火星で白馬のおぢいちゃん達を慰め訪ねるんだ兎ひゃー」⌒バナナの皮
涼風鈴子「やかあしいいや。兎が月に帰って、白馬の国家公務員20代午年と幸せになるんだうがあ」
布団|∵=) ̄→布団|ρ¬^=)∵=) ̄「あたしの幸せなら既に来ている兎ひゃー」
紅黄田現「おはよお。みんなの紅黄田現、“KUKKIE”だよー。クリスマスだね!良いプレゼント貰ったかなあ?」どやあV
涼風鈴子「その電波的な登場は何とかならんのかねえ」
紅黄田現「私は、みんなの紅黄田現だから、こう言うキャラクターなんだよお」
涼風鈴子「印台淑丘とかぶるぞ」
紅黄田現「何の話かなあ?りんりんこっこ。火星にお帰りあそばせ」
涼風鈴子「インチキDJは火星には帰らないうがあ」
布団|ρ¬^=)∵=) ̄「帰るんだ兎ひゃー」
涼風鈴子「やかあしいや!」
紅黄田現「クリスマスなのにおだやかぢゃないですね」
涼風鈴子「もまいらの所為だうがあ。以上、“Morning on”でした。メリークリスマスだうがあ」

日付変わって、クリスマス2015年となったので、篠原美也子『流星の日』(2002年)を聴いてみた。クリスマスの今夜に流星をみたら素敵だろうなと思う。
「今宵は街に、星が降って。今ならきっと言える。流星に願いをかけた」
と言う詞がこの曲にはあるが、大切な誰かとあたたかい雰囲気の中のクリスマスを迎える事はないだろうな。

深夜にこの作品の映画が放映されるのを新聞のテレビ欄で見つけた事があった。受験を翌年に控えた時だったような気がするが、当時通っていた塾講師と大喧嘩して塾を辞めた記憶も同時に思い出してしまった。その大喧嘩の時分より前に、この作品を知っていたかは解らないが、映画のタイトルを見て鷺沢 萌の作品であると思った所を見ると、それよりも前にこの小説を知っていた事になる。最後まで読んだかは定かではない。
今回、最後まで読み通して、やっぱり失恋物かと言う思いと共に、物語の終わりを迎えるに従い、唇がへの字に歪み行った。ハッピーエンドで終わりそうなタイトルなのに、嘘だろこれ、だった。
同時に、物語を読みながら、ファンのシンガー・篠原美也子の歌『淋しいのは』と“HOPE”を思い浮かべた。曲の歌詞の感じの雰囲気が物語の端にあった。
クリスマスは幸せの象徴で失恋のようなものはあってはならない――だからこそ、この作品に意味があるのだろう。

Please give us our daily happy life without fear!