goo blog サービス終了のお知らせ 
goo

Mind Feeling0208-8 赤ちょうちんと『前夜~Heavy Night ~』

2009年02月08日 23時59分43秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
「10年後の見本なら、そこらの赤ちょうちんに、ほら。でも俺だけは、ああならない」

という歌詞が出て来る篠原美也子『前夜~Heavy Night~』1994年のナンバーを、これを観かけて思った。日曜深夜はまさに、“Heavy Night”!
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

Mind Feeling0208-7 京急川崎-鈴木町間にある夜の多摩川から見たもの

2009年02月08日 23時55分05秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
馬鹿やったら偶然見つけた場所で、何も考えず撮影。橙色の道路を照らすシーンしか撮れなかった。
寒い事、この上なかったが、私は急いでいたこの時。
goo | コメント ( 1 ) | トラックバック ( 0 )

トレイントーク0208-4 前照灯・急行灯付き1637F 2224H 特急金沢文庫行き

2009年02月08日 22時26分20秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
折角なので、2224H特急金沢文庫行きの前面を。1500形の6連特急はレアである。
ちゃんと車内の次駅案内LED式装置に、特急金沢文庫行きと出るとは、粋かしている。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

トレイントーク0208-3 1642F 2224H 特急金沢文庫行き

2009年02月08日 22時12分39秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
今日、2月8日の2224Hは1642編成であった。だるまはもうやらないのだろうか?
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

トレイントーク0208-2 夜の八丁畷駅

2009年02月08日 21時42分46秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
何と言う迫力だろう、2100形が駆け抜けて行った。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

トレイントーク0208-1 夜の浜川崎線

2009年02月08日 21時39分13秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
何と無くで乗ってしまった。八丁畷で降りてみるか。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

Mind Feeling0208-6 夕暮れ月昇時

2009年02月08日 20時56分55秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
今からもう3時間前だが、月が昇り出していた。もうそんな時間なのね…でもそんなの関係ねー、的に、その時間、記事投稿に熱かった私である。日曜日も終なのねぇ、と何時もの溜め息。どんな風に過ごせば、満足の行く月曜日を迎えられるのだろう、ふと思う。多分、

「さぁ明日から頑張ろう」

とか言う言葉を「美辞麗句」と思わなくならない限り無理だろう。どう考えてもそれは無理。誰かを喜ばそうとか「俺はこんなに大人な考え出来るんだぜ」とか「嘘っぱち言っている」としか思えない限り、ダメだろう。永遠に。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

Mind Feeling0208-5 友情物語『ロミオの青い空』の脚本集

2009年02月08日 18時00分36秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

島田満著『ロミオの青い空・脚本集(上)、(下)』(ブッキング 2004年)。



 主人公ロミオと親友アルフレドが、胸の辺りで拳を握りしめて向かい合っているのが、表表紙と背表紙の丁度中間にあたる所を撮ったもの。


脚本集なるものがあったとはびっくりだった。書店で先述の『世界名作劇場』で放映された『ロミオの青い空』の物語を文庫本化した物が発売され、近所の書店のデータ検索端末で調べていて、発見出来た。
読んでみて、こんなだったっけ?とかあーあったなこれ、と記憶の有り無しを楽しんでいた様に思う。
主立って、子供を啓蒙する様な、「説教臭さ」はなく、するする読み進められたな、と思う。また、原作の『黒い兄弟』内容外の話も形成され、よくもそんなアイディアが浮かんだなと思う主人公ロミオ達が生き抜いてきた時代の歴史的な背景も調べて盛り込んでいるあたりが凄いなと思う。そうまでしないと、話の深みもそうだが、物語がうまくまとまらないのかな、とも思う。
友情に飢えていたからこそ、原作本・テレビ放送物語編集編・脚本と追いかけられたのかな、と思う。物語みたいな綺麗な人間関係や人間模様なんてありやしないけれど、先程話した通り、ロミオとアルフレドが、片手を握って胸にあてて信頼を深める所は、今もって私の中で色あせる事はない。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

Mind Feeling0208-4 友情物語『ロミオの青い空』とその原作『黒い兄弟』

2009年02月08日 17時17分33秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59

リザ・テツナー著、酒寄進一訳『黒い兄弟(上)』『黒い兄弟(下)』(福武文庫 1995年)


『世界名作劇場9 ロミオの青い空』(竹書房 2004年)

 2作品は私の1番の友情物語である。
 どちらも同じ物語に相当するが、『黒い兄弟』が『ロミオの青い空』の「原作」に相当するのは、以前話した通りである。
原作のが、当然の如く、内容が難しく書かれていて、かつ、残忍なシーンもあったりするが、「現実にありありと即している」感じがする。もう少し言えば、生々しいという所だろうか?
出会ったのは、共に学生時代中期。丁度、その頃、自分の身の回りの人間関係がめためたになっていた(自業自得な面もあるが汗)時分だったので、この物語の人間模様がいかに素敵な物か、という感じであった。それは、先述の『水色時代』に『耳をすませば』も例外ではなく、学生生活の長い毎日が、100パーセント物語の如くとは言わないけれど、一般的に言われる「楽しい一時」であったらなぁ…という感じだったので、「惹かれる物があった」のではないか、と思う。
欧州の「人身売買」の一面が描かれた物語がこの作品だが、そんな苦境な時代だったからこそ、私の嫌いな美辞麗句的な話になるが、「共に生きよう」とする「意志」の現れを、「友情」という形で表現したものだと思う。
まだ10台にもなってならないか、なっても間もない少年達が、不幸な境遇の中で織り成す物語は、やはり絵になる。
「綺麗な人間関係・人間模様」とでも言おうか、それがあり、実際には泥臭い面はあっても、そこは最低限度に抑えられているのがやはり、読者層の年齢を重視してのストーリー展開であり、翻訳であり編集である。故に、「魅力的」になっているんだろうと思う。それは大切な事だと私は思うし否定は出来ない。
年齢の割に、物凄いとさえ言える機知に富んだ、主人公の大親友アルフレド。識字率さえままならない時代に、彼は、文字の読み書きが出来る教育をされてきていた様だが、それでいても、なかなか年齢が上がったにしても理解の難しい思想家の本やら戯曲やら何やらを読み解いてしまうのは、絵に描いた「天才」なんだなと思う。対照的に、機知には富まずとも、所謂、子供らしい、年齢分相応な姿で描かれる主人公ロミオ(原作では、ジョルジョ)。故に、2人は引き合ったのか、と思う。もう少し言えば、アルフレドが頭であればロミオは手足、という所もある。実際、物語の中で、そんな場面が特に『ロミオの青い空』では、描かれている。
お互いがお互いをあてにしつつ、苦境な時を乗り切ろうとする意志は、怒られるかも知れないが、今では色あせた理想論でしかない様に思う。人が人を半ば嫌いになり、泥臭く醜いとさえ言える人間模様に、目を背け、口をよじってしまう位にまでになっている自分自身からすればそう思う。だから、有り得ない嘘っぱちだ、という事は毛頭なく、むしろ、それだからこそ「心惹かれる物語」だと私は思うのだ。
友情に友達なんてどこにでもあるありふれた物で、あまり見向きされないものだなと思いつつも、あまりにも酷かったかつての人間関係/人間模様な時代(今も案外変わらないか?)に、最も手に入れたかった「理想」が一杯込められていた作品として、今もここにある。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

Mind Feeling0208-3 恋愛物語『耳をすませば』

2009年02月08日 16時26分50秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
画像は、漫画本の柊あおい著『耳をすませば』(集英社 1990年)とその小説版の田中雅美著 柊あおい原作『耳をすませば』(集英社 1995年)である。またしても10数年前の物語を引っ張り出してくるあたり、回顧論者の私がよく表れている。
この作品も学生時代の中期~後期に出会い、先程の『水色時代』とは違う雰囲気で描かれた物語である。
私は、漫画・小説よりも以前話した通り、「映画」で先に出会い、良い恋愛話だなぁ…と思った。主人公月島雫と天沢聖司の距離が縮まって行く模様が好きだった。映画版では、「切なさ」が加わり、より「2人の人間模様」が際立っていた様に思う。中学生なのに、異様に「大人びて」いるのが印象的である。漫画版と小説版は、そんなでもなく、それらしいなぁ…という程度であったが、割と親近感はあった様にも思うし、主人公の「感性の強さ」がありありと現れていて、「物語が大好き」というのが大々的に描かれいて、物書き癖のある私からすれば、理想とさえ言える面もあったけれど、自分とはあまりにも掛け離れた存在だなと今にして思えば、夢物語に踊らされていたかあの頃、というのが正直な所。
昨今、めっきり物語が書かれた小説や漫画から遠退き、文章表現も貧相かしている中だが、数は少なくても、幾つかの物語のパターンというか色を知ってしまった事と共に、自分自身の「文章を読み解いて、場景・情景を想像する力」が、退化してしまい、感動も何も味わえない、無機質な存在になって来ているのは否定出来ない。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )
« 前ページ