
リザ・テツナー著、酒寄進一訳『黒い兄弟(上)』『黒い兄弟(下)』(福武文庫 1995年)

『世界名作劇場9 ロミオの青い空』(竹書房 2004年)
2作品は私の1番の友情物語である。
どちらも同じ物語に相当するが、『黒い兄弟』が『ロミオの青い空』の「原作」に相当するのは、以前話した通りである。
原作のが、当然の如く、内容が難しく書かれていて、かつ、残忍なシーンもあったりするが、「現実にありありと即している」感じがする。もう少し言えば、生々しいという所だろうか?
出会ったのは、共に学生時代中期。丁度、その頃、自分の身の回りの人間関係がめためたになっていた(自業自得な面もあるが汗)時分だったので、この物語の人間模様がいかに素敵な物か、という感じであった。それは、先述の『水色時代』に『耳をすませば』も例外ではなく、学生生活の長い毎日が、100パーセント物語の如くとは言わないけれど、一般的に言われる「楽しい一時」であったらなぁ…という感じだったので、「惹かれる物があった」のではないか、と思う。
欧州の「人身売買」の一面が描かれた物語がこの作品だが、そんな苦境な時代だったからこそ、私の嫌いな美辞麗句的な話になるが、「共に生きよう」とする「意志」の現れを、「友情」という形で表現したものだと思う。
まだ10台にもなってならないか、なっても間もない少年達が、不幸な境遇の中で織り成す物語は、やはり絵になる。
「綺麗な人間関係・人間模様」とでも言おうか、それがあり、実際には泥臭い面はあっても、そこは最低限度に抑えられているのがやはり、読者層の年齢を重視してのストーリー展開であり、翻訳であり編集である。故に、「魅力的」になっているんだろうと思う。それは大切な事だと私は思うし否定は出来ない。
年齢の割に、物凄いとさえ言える機知に富んだ、主人公の大親友アルフレド。識字率さえままならない時代に、彼は、文字の読み書きが出来る教育をされてきていた様だが、それでいても、なかなか年齢が上がったにしても理解の難しい思想家の本やら戯曲やら何やらを読み解いてしまうのは、絵に描いた「天才」なんだなと思う。対照的に、機知には富まずとも、所謂、子供らしい、年齢分相応な姿で描かれる主人公ロミオ(原作では、ジョルジョ)。故に、2人は引き合ったのか、と思う。もう少し言えば、アルフレドが頭であればロミオは手足、という所もある。実際、物語の中で、そんな場面が特に『ロミオの青い空』では、描かれている。
お互いがお互いをあてにしつつ、苦境な時を乗り切ろうとする意志は、怒られるかも知れないが、今では色あせた理想論でしかない様に思う。人が人を半ば嫌いになり、泥臭く醜いとさえ言える人間模様に、目を背け、口をよじってしまう位にまでになっている自分自身からすればそう思う。だから、有り得ない嘘っぱちだ、という事は毛頭なく、むしろ、それだからこそ「心惹かれる物語」だと私は思うのだ。
友情に友達なんてどこにでもあるありふれた物で、あまり見向きされないものだなと思いつつも、あまりにも酷かったかつての人間関係/人間模様な時代(今も案外変わらないか?)に、最も手に入れたかった「理想」が一杯込められていた作品として、今もここにある。