吉村京花☆歌う門には福来る

Jazz, Bossa Nova, Sambaを愛するシンガー、吉村京花のブログです。

自然体であることの大切さ

2009年05月25日 | 音楽雑記
ひとりごとです。

音楽にはいろいろなスタイルがあっていいと思うし
好きな音楽、感じる音楽は当然、人それぞれ。
自分がいいと思うものを人がいいと感じるかどうかはわからない。

私の場合は、最近特に志向を強めているのが
「自然体の音楽」。
ジャズやボサノバ、サンバに引かれるのは
自然体な音楽だからだと思う。

自然体といってもこれがまた曲者。
どうにも定義が難しいのだが・・・・。

一時期やたら「癒し系」がもてはやされた時期があったが
あれにはなじめなかった。
Bossa Novaも癒し系にひとくくりにされて
「ささやくように歌う」とか、一部分だけを拡大解釈されて
本質が誤解されていた感がある。

千人いれば千通りの癒し方がある。
たとえば、苦しい環境の中にあってもがき、叫ぶ。
苦しみから出た叫びにも近い歌詞なのに、メロディーは明るく
リズムはからだが弾む。
そんなスタイルが癒しになっている場合もあるだろう。
逆もあるかも。

演奏者にとって自然な流れが大切。
しかし、そこまでにたどりつくのは並大抵ではない。
特に日本人が外国語で歌おうとするならばその言葉を習得しようとする努力は
必要不可欠だ。
ジャズも、サンバもその派生系のボサノバも、原語のリズムと切り離せない
原語がリズムを形成している音楽。
何でまたそんな遠い道のりを選んでしまったのかと
たまにタメ息が出る。
まあ、ほれた相手が外国人だったって感じで、相手の実家のご両親や親戚ともうまくやっていくには・・・みたいな感じだろうか。
それもまた異文化体験と思えば面白い。
予定調和の嫌いな新しい刺激大好きな私だから
そういう道を選んじゃうのも、ある意味自然体なのかもしれない。

過去の私にとっては日本語で歌うことがどうも自然体だと思えなかったのだ。
これを歌いたい!と思う日本の歌があまりなかったのかもしれない。
西洋音楽に無理やり当てはめた日本語の窮屈さ?みたいなものに不自由を感じていた。
もちろんいい曲はたくさんあるのだが。
(興味本位レベルではチャレンジしたい曲はたくさんあります)

日本語の美しさが生きる音楽って、どんなんだろう?
そこらへんを、最近掘り下げて考えるようになってきて
だからこそ、改めて日本語の織り成すリズム・メロディーを見直してみて
自分にしっくりくるスタイルで演奏できないものだろうかと
模索することに興味が湧いてきている。

かたちだけ付け焼刃で真似したものは自然体とはいえない。
自分にうそをつかず、からだの芯から湧き出てくる音楽が演奏できるようになれたら
どんなに幸せだろう。

もちろん、今も音楽しているときはすごく幸せだけど
やればやるほど、新しい扉を開いていくようで。
それがまたワクワク世界への入り口なのだ・・・。
コメント
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